藤岡大拙
天禄元年(九七〇)、源為憲が著した『口遊』の中に大屋の誦(大きな建物の数え歌)があり、「雲太・和二・京三」という歌詞が載っていることは、前回述べたところである。それによると、出雲の杵築大社が全国で一番高く、十六丈(四八㍍)もある巨大な建物であったことが、境内から発掘された巨柱根によって、ほぼ実証された。
『口遊』より一七六年ほどのち、久安元年(一一四五)平安政府が出した官宣旨(太政官から出した公文書)の中に、杵築大社について、「当社者天下無双之大厦、国中第一之霊神也」(当社は天下にならぶもののないほど大きな建物で、祭神は出雲国中で最も霊験あらたかな神様である)と記されている。平安末期においても、巨大な建物であったことが分かる。
問題は何時から巨大になったかである。前回筆者は、「このような巨大神殿は、『口遊』の成立した平安中期から出現したとおもわれる。なぜなら、『口遊』以前に、巨大神殿について語る史料が見当たらないからである。」と書いた。
このことに関して、読者諸賢の中には、疑問を抱かれるかたもあるかもしれない。というのは、出雲国風土記には、杵築「大社」と記されて、大きな社殿が想起されるし、杵築郷の条には、大国主神の宮を造営しようと、たくさんの天つ神たちが集まって、土地造成を行ったと記されているからだ。このことを考えれば、奈良時代にすでに相当大きな建物ではなかったのか、と。
しかし、奈良時代をカバーする続日本紀に、杵築大社の巨大さを示す文章は見当たらないのである。したがって、巨大化するのは平安時代になってからのことと考えざるを得ない。ただし、或る年の遷宮から、突如巨大化するものではなく、遷宮のたびごとに大きくしていき、平安中期には巨大化の限界に達したものと思われる。
そのことを側面から証明するのが、神殿の連続倒壊である。倒壊の初見は康平四年(一〇六一)であるが、続いて天仁二年(一一〇九)、保延七年(一一四一)、承安二年(一一七二)、鎌倉時代に入って、嘉禄元年(一二二五)と、連続五回に及んでいる。次いで、宝治二年(一二四八)に行われた正殿遷宮の神殿は、二十四年後の文永八年に焼失し、以後仮殿遷宮がしばらく続く(『大社町史上巻』)。一般に、正殿は高さ八丈(二四㍍)、六間(一二㍍)四面とされ、仮殿はそれより小規模の建物とされる。ただし、巨大神殿は正殿をはるかに上回るスケールであった。
もしも焼けていなければ、当然風もないのに轟音と共に倒壊する運命にあった。だが、不幸中の幸いと言おうか、焼けたために柱根が地中に残ったのである。それが平成十二年(二〇〇〇)、大社の境内で発掘され、一部は古代出雲歴史博物館のエントランスに展示されている。
倒壊については、文書に「無風顛倒」と記されているように、風もないのに轟音とともに崩れたのであろう。巨大な建物の荷重に耐えかねて、崩壊したのである。そのことは、国司も神社側も分かっていた。それでも遷宮のたびに、巨大な神殿を建て続けたのである。
それならば、文永焼失以後、長らく仮殿遷宮を続けたのは何故だろうか。それは、鎌倉時代に入って、天皇権力は大きく力を失ったからである。本来、出雲大神(杵築神)の祟りは、国譲りの約束を守らなかった天つ神、すなわち天皇権力に向けられたものである。だから鎌倉時代の権力者、武家政権にとっては、なんの関わりもないのである。すなわち、杵築大社の社殿が縮小されたとしても、出雲大神に怨まれる筋合いは毛頭なかったのである。以後、杵築大社は一度も倒壊したことはない。
以上、杵築大社の巨大化について、概略を述べてみたが、ここで二つの疑問が生ずるであろう。
第一は、何故、杵築大社は平安中期に巨大化したのだろうか。
第二は、風がなくても倒壊したのは、巨大すぎるからであるが、それを知りながら、何故、巨大神殿を造営しつづけたのか。
第一の疑問については、次のようなことが考えられる。
天つ神勢力(大和朝廷)は、国譲り神話のなかでの約束である巨大神殿の建立を守らなかったので、杵築神の祟りを蒙ることになった。しかし、奈良時代のような、大和朝廷が強力なときは、祟りなどに怖れなかったが、平安時代に入り、律令制の矛盾の深刻化、地方の治安の乱れ、新羅・刀伊などの外圧等々の問題が重なって、平安政府が衰退するにつれ、杵築神の祟りを怖れるようになり、国譲りの約束を履行し、神殿の規模を遷宮のたびごとに大きくしようとしたのではないか。その結果、平安中期には、倒壊ギリギリの巨大さになったのではなかろうか。
第二に、風もないのに倒壊するのは、木造建築の限界にまで神殿が巨大化したためであり、そのことは国司たちも神社側も十分知っていたはずである。それだのに、巨大な神殿を造り続けたのは不思議である。恐らく、祟りを畏怖する気持ちが強く、神殿を縮小することが出来なかったのであろう。
平安時代、文献上に杵築神として現れる杵築大社の祭神が、スサノオノ命か大国主神かは明らかでないが、その霊威力の強さは大なるものがあり、たとえ大和朝廷に征服されたとはいえ、出雲勢力の存在感はそれ以後も侮りがたいものがあったのである。
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