藤岡大拙
出雲における平安時代の不思議な出来事を述べてきた。特に前回は、平安の半ばから、杵築大社が巨大化したことに触れ、何故巨大化したか、その理由について私見をのべた。すなわち、大和朝廷(天皇権力)が巨大な神殿を建て、オオクニヌシに与えるという「国譲りの約束事」を遵守しなかったからである。
そもそも記紀神話は、津田左右吉がいみじくも看破したごとく、大和朝廷の権力を正当化しようとする政治的意図があった。国譲り神話についても、多少の史実が底流に存在したとしても、やはり天つ神は圧倒的に強者であり、国つ神は弱者のように描かれている。そこに、津田の言う「机上の製作」、つまり支配者の作り話、虚構性を認めざるを得ない。
そのフィクショナルな神話物語が、巨大神殿を造営するという、現実の歴史に影響を及ぼしているのである。そういう意味において、国譲り神話は出雲神話のなかでも、わけて重要な存在と言わねばならない。そこで平安時代からもう一度神話時代に立ち戻って、国譲り神話を考えてみたいと思う。
国譲り神話は記紀に載っているが、出雲国風土記にも簡単ながら記述がある。日本書紀には、正文(本文)のほかに「一書に曰く」という形式で、八つの異説を挙げている。なかでも一書の第二に注目したい。そこに示される国譲りの情景は、他の記述とは全く異なっている。筆者の拙訳で紹介してみよう。
高天原から派遣された国譲りの使者、フツヌシとタケミカヅチは、恫喝するような語気でオオクニヌシに言った。日本書紀ではオオアナムチノ神としているが、オオクニヌシと同一神とされているので、ここではオオクニヌシの神名で話をすすめることにしたい。
「おい、オオクニヌシの神よ、この出雲の地を天つ神に献上してほしいのだが、そなたの考えはどうか」
ところが、オオクニヌシは古事記や日本書紀正文に書かれているような穏やかな神ではなかった。使者の言葉を聞くと、憤然として言い返した。
「おかしなことを言うじゃないか。おぬしらは、もともとわしが居るところへ、後からやってきていながら、その言い方はなんだ。許せんぞ」
オオクニヌシの剣幕に驚いたフツヌシらは、いったん高天原へ帰り、ことの次第を報告した。これを聞いたタカミムスビが言った。
「そうであったか。オオクニヌシは怒ったか。ならば、いま一度下界へ下りて、かくかくしかじかと言うがよかろう」
そこで、フツヌシらは再び稲佐の浜へ下り、
「そなたが不満に思われるのは、ご尤もである。そこで、もう少し詳しく説明いたそう」というタカミムスビの言葉を伝えるのだが、その内容のなかに重要な部分があるので、原文読下しで紹介しておきたい。
「夫れ汝が治す顕露の事は、是皇孫治すべし。汝は以て神の事を治すべし」
すなわち、そなたが今まで治めてきた現実の世界(国つ神の世界、出雲的世界)は、今後は天つ神の大神の子孫が支配する。その代わり、そなたには神の事(幽界、黄泉国の祭祀権)を司ってもらおう、というのである。
フツヌシはさらにタカミムスビの伝言を続ける。
「そなたの住処(神殿)として、高天原の天日隅宮(天上界の日の神の宮殿)のような壮大な宮殿と同じ規模の大神殿を即刻造営して進ぜよう。そして御料田も提供しよう。また、そなたが海で舟遊びをするときに通うであろう階段や浮橋、それに天鳥船のようなスピードの速い船も用意しよう。それから、高天原の川にも橋をかけてあげよう。白楯も作ってあげよう。そなたを祭る係として、アメノホヒを任命しよう」
まさに、高天原側の大サービスである。すっかり機嫌を直したオオクニヌシは、
「天つ神の御言葉はまことに懇切で、恐れ入ります。ですから、もう逆らうようなことは言いません。私が治めている出雲世界(現実の支配地)の顕露の事(支配権)は、これからは高天原の大神のご子孫のものです。私は退いて、幽界を司りましょう」
と言った。この日本書紀神代下九段の一書第二は、昔から知られてはいたが、近時、内容の重大性を指摘されたのは原武史氏である。氏は言う。
「日本書紀神代巻の最後になって突然明記されるこの「例外」規定(原氏は顕幽問題を例外規定と呼ぶ)がはらんでいる問題は、とてつもなく大きい。なぜならそれは、「記紀神話」全体を貫くとされる「天」中心の構造を根本的に覆すだけの問題をもっているからである」と。(『出雲という思想』37~38頁)
大和と出雲の政治勢力が、顕と幽の世界を分担統治すべく、大和側から申し入れ、出雲側が受諾するという構図である。一見、出雲側(オオクニヌシ側)の敗北のように見えるが、違う。オオクニヌシが凛呼として自己主張したごとく、オオクニヌシに代表される出雲勢力は、敗れて遠い世界に逃げ隠れたのではなかったのだ。
一書の第二の内容は、論理的に詰めれば次のようなことになるのではなかろうか。(屁理屈だと嗤われるかもしれないが)
記紀によれば、日本の支配者(大王)は神から人へと移っていく。人間大王(これを人皇という)の初代が神武天皇である。人間は有限の生命を持つから、天皇といえども、やがて死んで幽界(黄泉の国)に去らねばならぬ。幽界の支配者はオオクニヌシである。だから歴代の天皇は最終的にはオオクニヌシに従わねばならない、という論理になるのである。オオクニヌシの霊妙不可思議な威力は、このような論理に裏付けられているのではないかと思われる。そして、オオクニヌシの霊威力の優位性は、出雲の歴史の底流に一貫しているのである。
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