収録・解説 酒井 董美 イラスト 福本 隆男
語り手 柳原ヒサコさん( 昭和8年生)
(平成13年7月31日収録)
昔。一人息子が、
「今もどりましたでな。かあさん、何をそんなに怒っとるかな」
「この猫が魚を盗ったので、目をつぶしてやろうと思うとる。早うつかまえてくれ」。かあさんが言うたげな。
息子が、
「かわいそうなから今日はこらえてやってくれ」と息子が断りを言ったので、その日はそれで終わったげな。
明くる日また仕事に息子が出ていったが夕方帰ってきても猫がいない。おかあさんは、
「今日も魚を盗ってしもうた。目をつぶして追い出してやった」とかんかんに怒ったげな。
息子はその猫を捜して旅に出たげな。
とっぷり日も暮れてしもうたげな。泊まろうには宿はなし、猫の名前を呼びながら歩いていったら、遠くに青い寂しそうな灯がぽつんと一軒見えた。
「今晩は。旅の者です。一晩泊めてください」と頼んだ。そしたらきれいな娘さんが出てきた。
「どうぞ、何もおかまいはできませんが、お泊まりくださいませ」て泊めてくれたげな。
まもなく、
「今晩は、お母さん、今夜はこれにはお客さんが見えたそうで」
「おお、よう来た、早う上がっててごをしてくれえや」。そして旅人は疲れてぐうぐう休んでおったげな。
夜中に、何か騒がしい音がする。はっと目が覚めてみたら、その娘さんたちが母さんと全部で何かごそごそ話しとる。
「おかしいなあ」。すると一人の娘さんが傍に来て、
「旅人。ここにおってはあなたは食われてしまう。早く目隠しをしてわたしの背中にさばってください」と、そうっと起こしたげな。娘さんにおんぶしてもらって、ずいぶん歩いたと思われる。そうすると娘さんが背中から降ろして、
「わたしはあなたのところで飼ってもらっておったネコマタだが、早く逃げてください」と言うて助けてくれたげな。
ネコマタのお話でした。猫は三日すりゃあ恩を忘れるというが、それは嘘です。というお話でした。
それぽーっちり。
猫の恩返しの話である。猫を扱った多くの話では、歳を取った飼い猫は、そこの家のお婆さんを食い殺したりする妖怪になったりすることがあり、この連載の中でも浜田市三隅町東平原で聞いた松岡宗太さん(明治29年生)の「菖蒲が迫の婆」の話である。結果は退治されて話が終わる。同様の筋書きを持つ、松江市の「小池の婆さん」の話もよく知られている。
ところが、この江津市波積本郷の話は、それらとは異なり、かわいがってくれた飼い主の危険を、身を挺して助けようとする猫の話だ。猫を主題としたものとしては珍しい話だ。
これは波積ダム建設に伴う文化財調査として、江津市教育委員会が島根県浜田河川総合開発事務所の委託を受けて調査したさい、筆者も調査員の一人として現地に入り、地元の方々から聞き書きをしたものの一つである。語り手の柳原ヒサコさんご一家とは、今も時々交流している。
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