-せめて文化人類学者になって受け止めていたら-
-石貨・ビンロウジュ・花冠・南十字星のヤップ島-
神在月に島根を旅した知人が思い出話に、「出雲大社の周りだけだね、神様が来るって信じているのは」と問うたのです。神事をするから神様の存在を信じる根拠にはならないのですが、町あげての「神在祭」の季節に驚いたようです。
この知人、神様の存在は否定しつつ御参りすると沢山のお願い事をするのです。「君の仕事も上手くいくようにとお願いしておいたから」。大きなお世話です。「お願い事をするのでなく、お礼を伝え、感謝しろ」と返したのですが、今年も出雲に出かける知人、どんな思い出話を話してくれるか楽しみです。
さて、『思い出』話について。この言葉、深く考えることなく軽々しく語ってきたのではないかと、この頃思うのです。そんな反省から旅先の思い出という行為を少し掘り下げて考えました。
その一弾が、日本から約三千キロの赤道の少し上にある「ヤップ島」、現在ミクロネシア連邦ヤップ州の石貨と風習にまつわる体験からの『旅先思い出』についての試行です。当時はアメリカの統治国家でした。
半世紀も前の体験です。その頃と比較してヤップ島の生活も文化も随分変わったと思います。それでも文化伝統を大切にするヤップ島の人々、心の根幹にはここで紹介する風習や逸話が脈々と流れていることでしょう。
考え直す契機は、タイやラオスの山岳地帯に住む少数民族「ムラブリ」を調査研究する伊藤雄馬氏(1986-)、ボルネオ島で狩猟採取を主生業とする「プナン」をフィールドワークとする奥野克巳氏(1962-)の書籍を読み漁っているときでした。現地での生活、フィールドワークとして調査滞在、そして旅、そんな地元への関わり方によって抱く思いや意識は異なるだろうかと漠然と考えたのです。
そこで「思い出」に至る『行為』や、旅先での『営為』のなかでの心的な動きを捉え直してみました。いきついたのが、今から50余年ほど前に出かけた西太平洋の小島『ヤップ島』での数日間の出来事です。
このコーナーの目的「感性で感じ」、「思い出とする」の考え方の、ある意味で問題提起となり、この経験が皆様方の旅の思い出創りの深まりになればと思ったしだいです。
今回は島根県から離れて南の島へと旅立ちましょう。当時の写真や資料がほとんどなくなったのが残念です。
・考える前に旅立つ
ヤップ島は、西太平洋の赤道の直ぐ上にある四つの大きな島で形成され、グアムから飛行機で一時間半ほどのサンゴ礁の綺麗な海に囲まれています。現在はヤップ州の州政府が置かれ、ネットで見るとすっかり変わっていました。
「思い出」という行為をあらためて考える舞台のヤップ島は、まだアメリカの信託統治の時代のことで、日本の旅行代理店に行ってもまったく情報のない半世紀ほど前の体験です。忘れたこと、思い違いもあります。この原稿を書くために数冊の書籍を読みましたが、体験したことに近い話はありませんでした。
この旅は運と出会いではじまりました。一週間に二便の飛行場(現在の飛行場ではない)に降りると、ゼロ戦の残骸と地元の子どもたちが数人座る屋根だけの建物しかありません。周りは鬱蒼としたジャングル、もちろん建物もなく、子ども以外に大人は入国管理人ひとり。それに飛行機の着陸時に来る消防車だけでした。
・出会いは宝物
赤土で汚れた一台のマイクロバスが戻ってきました。パラオに向かう宿泊客を見送った(私が乗ってきた飛行機)ホテル(民宿のようなもの)の車です。この車が戻ってこなければジャングルの中で、食べ物も水もなく三日間過ごすことになったのです。
ホテルのオーナーで、日本語の話せる50歳前の現地の人です。仮に名前をアナグさんとしましょう。「運がよかったよ」と、ゼロ戦の残骸を指さし笑ったのです。冷静に考えれば、行けばホテルや店があると考える発想がいい加減でした。気候は熱帯雨林気候で高温多湿。
アナダさんの運転するマイクロバスで、飛行場とは反対側の海辺に向かいます。でこぼこの赤土の道を約一時間。ちなみにアナダさんがホテルの仕事やガイドをこなし、地元の女性数人が掃除と食事を担当しています。
今でもありました。「ESA Bay View Hotel」。すっかり綺麗になっていますが、建物の造りは同じです。インターネッで見る食事はあの頃とあまり変わりません。
アナグさんとの出会いが、ヤップ島の滞在を魅力的なものにし、多くの出会いと思い出づくりになりました。その思い出が、今回の「思い出とは」の考えるきっかけになった次第です。
・ビンロウジュの実と酒
ヤップ島には百余程の部族がいて、階級制度も残り、気性が激しい人たちだと現地で聞きました。『所有』意識や女性蔑視も強く、ミクロネシアでは珍しい父系社会です。これに石貨や結婚や家族の営為が複雑に織り込まれ、アナダさんたちのアドバイスがないと貴重な体験はなかったでしょう。
旅行者にはピールを売りますが、島民は禁酒。酔うと鉈(なた)をつかった喧嘩となり流血騒ぎになったのです。旅行者にはどんどん飲めと薦めます。バドワイザーのアルミ缶。それもそのはず、働くことを好まない住民の唯一の金稼ぎが「アルミ缶」の回収です。外では飲むなとアナダさんから注意されました。
島のマングローブに流れ着いたアルミ缶を集めドルに交換するのです。缶を買い取る元締めは、定期的に来る日本人の自称商社マンの仮称「商社」さんです。面白い人で、夜になるといなくなり、翌朝、房ごとのモンキーバナナやタロイモなどくれました。いろんな話を聞きました。畑仕事をするのは女性だけで男たちは空き缶拾いに飽きるとゴロゴロ寝ている、金が入ると仕事をやめて一族で飲み食いするそうです。セックスや喧嘩など島の生活を話してくれましたが、夜はウロウロするなと注意されました。
島民の嗜好のひとつがビンロウジュの実です。キンマの葉に包んで噛み、唾と一緒に吐くのです。道の至る所に赤い唾が血のように点在します。このビンロウジュ、硬い実で、すこし覚醒作用があるようです。
・石貨が絶対の社会経済
ヤップ島にはもうひとつホテルがありました。
湖の反対側の小高い丘の上にある白いホテルです。Googleで調べると『Traders Ridge Resort』が似ていますが確定ではありません。ここの焼きたてパンが美味しくて欧米の観光客のほとんどはこちらに宿泊します。ホテルの前を上って行くと旧日本軍の塹壕の跡や錆びついた高射砲がありました。部族の所有地で、無断で登ってはいけなかったようです。海辺には米軍の錆びついた上陸艇が置き去でした。
ドイツ人の夫婦が幅一メートル程の石貨を持ち上げようとしていたところに遭遇しました。二人は協力して持ち上げようというのです。重くて持てるはずがありません。見るだけの文化に育った私は初めて触れて体感しました、石貨の肌触り、重さ、重圧感を。
ヤップ島の流通貨幣はドルです。小さなスーパーも、日本人の経営するうどんレストラン(海辺のバラックです。今もあるようです)も、宿泊費もドルでの支払い(ホテルは円もオッケー)です。しかし地元島民たちの結婚式や儀式や祝い事、貴重なヤシの木の売買は「石貨」で交換します。
この石貨、家の中に隠してあるのではなく、道や広場に置きっぱなしです。重いから盗まれない、そんな機能的な考えではありません。
地元の老人や自称商社から聞いた話です。
石貨の価値は、大きさや重さ、品質や見た目の美しさではありません。石貨にまつわる『物語』です。思えばすべてヒアリングしておけば貴重な文化資産になったと思います。市場の片隅で一冊しかなかった英語の書籍「ヤップ島の歴史」を購入しましたがなくしました。
パラオで切り出した石貨を、カヌーでヤップ島まで運びます。価値はその時の物語です。どんな出来事や苦労があり、運ぶ途中でどんな禍が起き、ヤップ島に来たあと、どんな人の手に渡り、そこにはどんなドラマがあったか。その壮大な物語のすべてが価値になるのです。
海底の底に今ででも沈む石貨が貴重だと教えてくれました。伐り出した石貨を運ぶ途中で台風にあいカヌーが沈み、沢山の男たちが亡くなりました。その勇姿と犠牲を弔う意味で貴重な石貨なのです。あるヨーロッパ船長との戦いに傷ついた酋長にまつわる石貨もありました。
島に来てから何と交換されたか。ヤシの木(ヤシの木は貴重な財産)何本と交換し、部族の酋長の結婚式で使われ、こんな人に渡ったなど経緯も重要です。ひとりの女性を取り合った兄弟の石貨もありました。すべて当事者だけの思い出ではありません。集落、そしてヤップ島全体の共通の物語です。
家に置く必要も、交換したから運ぶ必要もありません。日比谷公園にもヤップ島から運ばれた石貨があります。この石貨もヤップ島でまだ使用されているのでしょう。
財産としても交換の品として最も貴重な石貨。その価値は石貨に伴う物語です。島民全員が認める物語です。ヤップの人は『物語』のなかに暮らし、物語を大切にします。
ヤップ島の「物語」を、日本の生活での「物語」と同等に考えてはいけません。石貨の思い出の価値は、皆さんが大切にする金とか宝石以上に社会経済の根幹を成しているのです。島の文化の交換価値と物語に含まれる名誉を併せ持つ価値です。定量的な比較する価値、分割し結合できる貨幣価値ではなく、定性的な、その石貨しか持たない絶対価値で、変化するのです。物語と経過が『価値』を形成するのです。
そんな物語を大切にする人々の島がヤップ島でした。
・海は部族の所有物
アナダさんが、海水浴に誘ってくれました。ヤップ島の海は、そこに続く土地に暮らす部族の所有物です。許可を得なくてはいけません。土も所有物です。余談ですが、建設中の新しい飛行場の土も隣の島から運んでいました。
外国人の夫婦がボートをチャーターしたので、一緒に乗れというのです。奇麗な砂浜のある海でボートの助手の少年と泳ぎました。少年は銛で「おじさん」をつきます。おじさんは髭のある魚で、日本のおじさんから来たと話してくれました。きっと太平洋戦争の時にヤップ島にいた日本軍のちょび髭をはやした将校に似ているからでしょう。
・花冠 頭をなでてはいけない
その夜、海を借りた部族の集まりに呼ばれました。二十人程での踊りや歌の宴でした。私は踊りながら「ギンギンギラギラ夕日が沈む」を歌ったと思います。少年も笑って踊っていました。
翌朝早く、アナダさんに起こされました。訪問した部族の娘がホテルの前に来ていると。その子が花冠を渡そうとするが、決して受け取ってはいけないと怖い顔で話すのです。ヤップ島では、女の子が花冠を渡すのは求婚の意思表示なのです。
中学生ぐらいの女の子です。島の年長の女性は上着を着ることはなく裸ですが、若い子は皆服を着ています。そんな迷信を信じないでしょうと答えたのですが、俺には分かると言い張るのです。
歓迎の印に花の首飾りを送りますが、少女がくれるのは花冠です。少女の祖母にはシャーマンのような霊能力があり、少女にも特別な能力があると。残酷かもしれないが断ってくれと諭されました。もし受け取れば、少女は結婚もせずにお前を待ち続けると。それが不幸なのだと。
島の掟で、他人の頭を撫でてはいけない。持ち物の籠の中を覗いてはいけないと注意されていました。頭は神聖なところなので触ってはいけないのです。昨夜、私はあの子の頭を撫でたようです。もっとも忌み嫌うことを耐えたあの子はお前に特殊な感情をもったのだというのです。その時に話してくれた昔話は、残念なことに忘れました。ただヤップ島は父親の血筋を重視し、父親の系譜によって女の子は誕生すると。彼女のずっと前の父親は日本人です。
・南十字星
その夜、夕食が終わると「南十字星」を見に行こうとアナダさんに誘われました。真っ暗な細道をトヨタのトラックで走ります。山の上も何も見えない真っ暗な闇ですが、見上げると満天の星空です。星の群れが天の川になり、きれいな南十字星が輝いていました。
アナダさんが一層深い漆黒の闇を指し、そこにいると離れました。鬱蒼とした樹木群だったかもしれません。でも私には闇に黒ペンキを塗った闇にしか見えません。それでも見続けました。あの子がいるのでしょうか。いくら目をこすり、細目にしても分かりません。見ようとしたのですが闇しかありません。それに比べ空は満天の星空です。
車の中で何か見えたかと問うのです。そこに少女がいたのでしょうか。それとも試したのでしょうか。首を振る私にアナダさんは何も話してはくれませんでした。
商社さんは、ヤップ島ではセックスの初体験は随分早いと教えてくれました。
ながながと書いたのは淡い恋話の紹介ではありません。
あのとき、日本の感覚で「思い」を受け取り、日本の常識で理解し、思い出にした私への反省です。旅先の思い出を自分の習慣や考えで整理したことへの問い直しです。
花冠なんて子供じみたことだと思ったのです。子供の一時の憧れと受け止めたのです。一目ぼれで求婚なんかしないと思ったのです。初めて会って二言三言の片言の英語単語で話しただけです。求婚まで思い詰めるはずがないと日本の常識で整理したのです。さらに経済的に進んだ国・日本と遅れた国・ヤップという恥ずべき偏見もあったかもしれません。
そんなもろもろの考えから、少女の行為を「好かれた」という日本的な憧れに近い告白として整理したのです。日本という尺度での「思い出」化です。
朝、花を摘み花冠を編んできたのです。アナダさんは、物語を大切にする島にあって、物語に沿って生きようとする少女の純粋な思いに気づいたのです。ホテル業を通して近代化した発想を持つオーナー・アナダさんですが、心のなかにはヤップの心があり続け、少女の行為に危険とともに不憫さを感じたのです。少女の思いと文化を壊したくないがゆえに、私に強い姿勢の対応を求めたのです。受け取ってはいけないと。
花冠に織り込んだ少女の心を、歓迎という不特定多数への形式的なものとして理解すれば、少女を傷つけると。もっと悲劇的なことは少女の物語を踏みにじってしまう。それはヤップ島への冒涜にもあたると。悲しいことですが、その程度の男に見えたかもしれません。
あの時、今の感性があれば、もっと慎重に少女に接したことでしょう。そしてこの出会いに感謝して、今の心を説明したことでしょう。もっといえば片言の言葉でたずねたのでしょう。しかし、言われるがまま断りました。そして最大の失敗は、進行中の思い出をヤップ島の文化と伝統のなかで捉える考えをもっていなかったことです。
ヤップ島の文化と風習の中での触れ合いは、日本の価値観で図るのではなく、ヤップ島の文化と伝統、風習と物語の中で考えれば素晴らしい思い出になったはずです。それが体感での思い出でした。
さらに失敗しました。少女への感謝の気持として電卓やボールペンやノート、そして書籍を渡してくれとアナダさんに頼みました。アナダさんは何も言うことなく首を振ります。意味のない交換やプレゼントは、少女の心や行為を侮辱することだったのでしょう。少女の花冠はプレゼントや交換などの具現ではなく、心の抽象化です。そんなことにも気づかなかったのです。(文具とTシャツは、見送りに同行した助手の少年のものとなりました)
少女がどこまで本気だったか、アナダさんが考え過ぎたのか、あの時も、今も分かりません。ただ伝統の儀式にのっとった告白をヤップ島の文化と結びつけて受け止め、花冠に込められた風習を、帰国後、学習すれば半世紀も立った今、後悔にも似た反省にはならなかったでしょう。
反省を兼ねて思うのです。旅先の思い出とは、自分の生活観や価値観で考え、作ることではないことを。旅先の思い出は、旅先の文化や風習、そして習慣や生活観で創りあげるべきなのです。
旅先の体験が貴重なものになるのは、自分の尺度で測ることでもなく、まして比較した驚きにあるのではなく、その地の文化風習に自分がどれほどとけこみ、それを理解し、そして自分のたらない点や未知なる点に気づくことです。
あの時、私に相手の文化や風習から彼女の行為を受け入れる資質があれば、この旅はもっと意味深いものになり、その後も訪ねたことでしょう。
飛行場に向かうホテルのバスに乗る一瞬、少女の姿を海辺に探しました。迷いに気づいたのでしょうアナダさんは、一言も話さなかった自分の境遇を忘れることを条件に話してくれました。
ホテル経営を任され日々外国人と接するアナダさん、毎日何キロも歩き英語での学校教育を受ける少女。ホテルでは笑顔で接するアナダさんも部族の集落では強張り、篝火の前で編籠を握りしめた少女はホテルの前では艶やかな服に身を包んでいました。どちらが本当なのか。どちらも本当でしょう。石貨とドルが共存し、学校教育と部族の風習が存続するヤップ島です。石貨と風習が心に深く居ついているかもしれません。
旅先の思い出とは、何をしたとか、何を見たとか、何を考えたというのではない、その地の文化や風習で体感し、その地の風習や文化で織り成すことで意味や意義が生まれます。
貴重な体験をさせてもらい、思い出をつくることが出来ました。今、その思い出はヤップという伝説に包まれようとしています。やっと日本的な習慣や文化をすてて思い出にできそうです。
神在月に島根旅行を計画する知人に話しました。
東京に暮らす孫がコロナで入院した。田舎の祖母が願掛けに、「お百度参り」して無事をお願いしている。それを迷信とか、信仰だと非難してはいけない。祖母も願掛けで治ると信じてはいない。ただ何もできない自分にせめてできることはないかととった行動なのです。自分の視点で判断するのでなく、祖母の気持を考えることが大切です。それができれば、神在月の出雲の人々の心や、君を迎える出雲の人の気持ちが分かるだろ。素晴らしい思い出になると。さて、神々の国・島根の思い出はいかがなものになるのでしょうか。
2023年は11月27日(月)・11月29日(水)の2日間。出雲市観光協会のサイトをご覧ください。
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