• ~旅と日々の出会い~
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64.「鬼の豆」隠岐郡知夫村多沢

収録・解説 酒井 董美
語り手 小泉ハナさん( 明治26年生)
(昭和50年6月4日収録)

あらすじ

 昔があったげな。

 鬼と人間とが出会って、
 「鬼の世の中になるか、それとも人間の世の中になるか」と論をしたげな。

 そのあげく、
「炒り豆に花が咲いたら鬼の世の中になるが、もし咲かなかったら人間の世の中になる。そして、豆を炒って入れちの箱に入れて十二時過ぎに花が咲いておれば、鬼の勝ち」。

 こういうことにして掛けをしたげな。鬼は安心して寝てしまったげな。

 十二時過ぎ。人間がそっと見たところが、箱の中の炒った豆に花が咲いていたげな。
「これはろくなことはない」

 あわてて人間は豆をすりかえ、鬼の豆を箱にしまって蓋をしておいたげな。そして、寝ている鬼に向かって、
「さあさ、鬼、起きい」とたたき起こしたげな。

 そうして箱の中を見たところ、人間が豆をすりかえておいたので、花は咲いておらぬ。

 結局、鬼が負けたことになったので、魔が起きないようになったげな。

 節分の晩、
「鬼は外。福は内」と掛け合いをするのは、それから始まったことだげな。

解説

 ここに登場する鬼は間が抜けていている。人間を信用して寝入っている隙に、人間が鬼の予言した花の咲いた炒り豆を、そうでない普通の豆とすり替えてしまうのである。つまり、ここではむしろ人間の方がアンフェアな方法で、鬼を出し抜く。鬼はいかにも善人で、すっかり人間を信用し、豆がすり替えられたことなど全く思わず、人間を疑おうともしない。人間より鬼の方に好感が持てる。ところが、この話では鬼の世になれば、魔が起きることになるので、それを防ぐために人間が不正な方法を講じてでも豆をすり替えなければなかったのだ。

 ところで、そもそも鬼とはいかなる存在なのだろう。
 頭には二本の角が生えており、口にも牙がある恐ろしい妖怪であると認識されている。果たしてそうなのだろうか。秋田県の男鹿半島にはナマハゲなる民俗行事がある。小正月に鬼面をかぶった青年団長と副団長が、藁簔を着て、木の包丁を持ち訪問神となり、家々を訪れる。仕事を怠けて囲炉裏の火にあたったり、コタツに入って暖をとって怠けている者を叱るとされている。そのとき発する「ナマミコはげたか,はげたかよう」のナマミコとは、火にあたっていると出来る火だこのことである。それを取りに来るというのであるから、怠け者を戒める意味を持つ。

 鬼はそのように本来、怠け者を戒め、真面目に働いている者にはご褒美として,豊作や豊漁訪問神だったのである。

出雲かんべの里 民話の部屋 「鬼の豆」

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