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物部氏!大伴氏! 謎と魅力あふれる古代の石見 

こんにちは、「かむやけ」です。

今回は島根県西部、石見地方の古代史のお話しです。

古代石見の有名人といえば、「柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)」が有名です。
「歌聖」とよばれた人麻呂は、国司として石見国に赴任したとされます。
彼が現地で詠んだとされる歌の数々は最古の歌集『万葉集』に収められています。

現在も石見の方々は親しみをこめて彼を「人麻呂さん」と呼び、万葉歌の舞台や、人麻呂をまつった神社が各地に点在しています。

一方で、人麻呂関係以外の古代石見の様子については、史料がほとんどなく謎に包まれています。
そこで今回は神社を切り口に迫ってみたいと思います。

大田市川合町に、「物部神社」が鎮座しています。
石見国一宮として知られ、『延喜式』にも石見国の式内社として最初に登場する神社です。

石見国一宮の物部神社。本殿は出雲大社に匹敵する大きさを誇っています。

現在も広大な敷地に本殿をはじめ、壮麗な社殿が建ち並んでいます。
主祭神は宇麻志摩遅命、『古事記』で物部氏の祖とされる神です。

この物部神社は川合町の名が示すとおり、静間川と忍原川が合流する地点に鎮座しています。
また近年の研究で、鎮座地は下流域に広がる水田に水を引くための重要な場所だったと指摘されています。
境内周辺には古墳も多く築かれており、神社には古墳から出土した遺物も伝わっています。

つまり古墳時代、石見東部の豪族は中央の大豪族物部氏と手を結び、最新の技術を使って水田開発を行い、ここを豊かな土地としたことがうかがわれるのです。

物部神社の主祭神が鶴に乗って降臨したとの伝承から、
境内では鶴の像がそこかしこに見られます。

続いて美郷町吾郷の天津神社を紹介します。
こちらも『延喜式』に登場する式内社です。江の川の上流に位置しています。

大伴氏とゆかりの深い天津神社。
江の川上流の吾郷集落内に静かにたたずんでいます。

近年関和彦氏が神社の調査を行い、江戸時代に奉納された大伴金村の神像が発見されました。
大伴金村は古墳時代に活躍した人物ですが、彼の神像が作られ今に伝わるのはとても珍しいことです。
この地では、大伴氏に対する信仰が連綿と受け継がれていたのです。

実は平安時代の石見国の郡司(地方豪族)には伊福部氏・久米氏・檜前氏が確認できるのですがいずれも古代においては、大伴氏と近しい氏族でした。
石見国は中央の大豪族大伴氏と深い関係にあったのです。

このように石見地方は、物部氏と大伴氏という古墳時代にヤマトで覇を争った大豪族と縁の深い地域だったのです!
今回ご紹介した神社に参拝し、古代のロマンに想いをはせてみるのはいかがでしょうか。

(かむやけ)

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