• ~旅と日々の出会い~
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四話 最初の和歌  ―スサノヲ、自己実現への旅立ちの日々― 

さ~て、「ヤマタノオロチ退治」の続きを始めぞ。

●土曜日の半ドンの勉強を終えた童たちは、昼飯を食べるとやって来た。前回は祭りもあってたくさん集まった。それに比べるとやや少ないが、爺さんには数ではない。それに、ヤマタノオロチについて尋ねた童が弟妹をつれて来ていることが、爺さんを幸せな気持にした。

心をいれかえたスサノヲ

みんないいかな。婆さんから菓子袋を貰ったか。そうか、そうか。そうじゃあ、出雲神話のはじまりだ。

ヤマタノオロチを退治したスサノヲは、約束通りクシナダヒメと夫婦にならしゃった。根の堅州の国に行きたいと泣き叫び、山を枯らしたスサノヲが。高天ヶ原では乱暴狼藉をはたらきアマテラスを困らせたスサノヲが。追放されると地上に降りる途中で食い物をくれたオホゲツヒメを、出し方が汚いと殺めたスサノヲだった。しかしな、出雲の国の山奥の船通山(鳥髪山)にくると、すっかり心を入れ替えておらっしゃった。そうだけでねえ、クシナダヒメをヤマタノオロチから救われたわ。ひとりで寂しかったのかな。愛に飢えておらっしゃったかもな。それとも母が恋しかったのかな。

●婆さんが、出稼ぎにでている童の姉妹のところに駆け寄った。今にも泣きそうな小さい童を膝に乗せ、背中を優しく叩いている。母親を思い出したのだろう。姉の童が小声で「大丈夫です」と健気に礼を言う。爺さんは罰悪そうに拝んだ。

すまないな、すまんな。言いそびれておったわ。スサノヲは気が付かなかったもしれんが、山の神や川の神、草の神も、みんなスサノヲの友達だ。だからな、クシナダヒメを助けようとしたんだ、な。きっとな、黄泉の国のオカカ神も遠くからみちょったはずだ。

●爺さんの話は、泣きそうになった童を気遣い脇にずれた。姉の童が声をかけた。「おじいさん、心配せんでええけん。あだんたちは強いけん」。爺さんは頷いた。あの子は氾濫した斐伊川を恨んでいるはずだ。それでもヤマタノオロチをたたら製鉄の労働者と言った。あの童は賢いオナゴで、納得できる解釈を求めているのだ。爺さんは腹に力を込めた。

八重垣神社『鏡の池の縁占い』の紙

スサノヲは約束通りクシナダヒメを妻にするとな、みんなで暮らす宮を、宮とはな、おべぇほどの大きな家のことだ。そうも、住むだけでねえ、祭事や村を治める仕事もすうが。その宮を造うにふさわしい場所を求めて旅に出らっしゃった。きっと鳥髪から斐伊川を下られたことだろう。そのころはどげな道だっただろうかな。今は木次線が走り早ようなったが、そのころは歩きか、筏だっただろうな。そげでも途中から山道を進みなさった。

今の大東(現在の雲南市)の須賀の地にこらっしゃると、スサノヲは言われたが。「ここにくうと、心がな、すがすがしゅうなったわ。ここに新しい宮を造ることにするわ」と。そこでこの地をすがすがしいから「須賀」と呼ぶようになったげな。

宮を造るからには、クシナダヒメだけでない、親のテナヅチやアシナヅチも一緒だ。国津神様だから身の回りをする者もおっただろう。大家族だ。スサノヲはいっぺんに大家族の長にならっしゃった。そうだけではないぞ。この一帯を治めないけので、そんな仕事をする人も集めなさった。

宮造は大勢の民たちとやらっしゃった。せついことも、いたしいこともあっただ。そげでも踏ん張って出来あがった。そげすうとな、宮を囲むように、にわかに雲が立ちのぼった。そこで、スサノヲは和歌を詠まっしゃった。それが日本最初の和歌だそうな。

鳥髪から須賀神社

  オロオロ) 五七五七七だよね。

  クシナ) 日本最初の和歌よ。泣き虫で、乱暴者のスサノヲが、英雄になり、そして家族を持つと文人になったね。何が契機で変わられたのかしら。愛、それとも自然かしら。

  オロオロ) 責任感がうまれたんだよ。

  クシナ) 生意気言うわ。

  オロオロ) そうじゃないよ。まわりがスサノヲを変えたのだよ。

●小さな童は爺さんの話より、包まれた金平糖に夢中だ。

日本最初の和歌を詠むスサノヲ

●爺さんは姿勢を正して詠んだ。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣造る その八重垣を。

お前さんたちには、分からんじゃろう。こげな意味だわ。幾重にも、幾重にも、重なり合う雲が立ち上る。ここ出雲の地に立ち上るのは八重垣のような雲だ。クシナダヒメと住む館にも幾重にも囲む八重垣を作るよ。そうだよ八重垣を造るよ。八重とは沢山という意味だな。

スサノヲは、よっぽど船通山(鳥髪山)にかかる雲が気に入ったのだな(トップページの写真)。そげに珍しい雲ではないが、荒ぶれるスサノヲには、クシナダヒメの心のように清く美しく映ったのだろうな。それにな、斐伊川の川の流れや波打つ稲が気持ちよかったかもしれん。種を撒き、手間をかければ沢山収穫できが。今年だけでねえ、来年も生きていけぇし。来年も生きていければ、その先も生きていける。子供も、孫も生きていける。そげだげでねえ。みんなと生きていけぇわ。有難いことだ。生きていける喜びを教えられたんだな。それが自然と五穀の農業の力だわ。だんだん、だんだん。

なあ、童たちよ。教えてくれるのは、親や学校の先生だけでねえ。山や川、動物や草木も、いろんなことを教えてくれーが。そうだそうだ、友達も教えてくれえな。みんなもいろんなところで、よう勉強すうのだぞ。

●元気のいい童の返事に爺さんは頷いた。そして独り言のように呟いた。

そうだな、わしらも忘れちょうが。ついつい贅沢になり、便利なものを求めちょう。そうも大切だ。水道もついて便利になった。やがて車も増えるだろう。しかしな、この自然も忘れちゃあいけん。便利な道になれば山は削られ、護岸工事をすればフキノトウもネコヤナギも、それに魚もいなくなる。しかし、工事をせんと洪水になる。どげしたらええのかな。

●「おじいちゃん」。孫の声で呼び戻された。

須賀神社

すまんすまん。ついつい宮を考えちょった。

それでな、立派な宮ができるとな、スサノヲはアシナヅチを呼ばれたげな。

「お前は我が宮の長になりなはれ」。一番偉い人のことだ。そげして、「稲田の宮主スガノヤツミミを名乗りなさ」と言い渡したとな。スサノヲは、自分は主人とはならず、もともとこの地に暮らす国津神のアシナヅチに譲られたのだ。欲のない神様だ。

当てずっぼうだがな、松江や出雲などのぞいた「奥出雲」の一帯かな。そうでも広いところだ。そげしてスサノヲとクシナダヒメはこの宮で結ばれて、赤ん坊が生まれたげな。そうが名前が、ヤシマジヌミいとう。五代目の子孫がな、出雲の国を治めなさったオオクニヌシだ。

そげだ、そげだ、出雲大社におらっしゃるオホクニヌシは、スサノヲの子孫ということだ。

出雲大社

またな、スサノヲは、クシナダヒメの父さん(アシナヅチ)の父さん(オホヤマツミ)の娘のな、カムオホイチヒメを妻にして、子も作られた。

さて、それからどうなったか。みんなも気にしちょうだろうが、暫くはスサノヲともお別れだ。こうでスサノヲのヤマタノオロチ退治伝説はおしめえだ。めでたし、めでたし。

●ヤマタノオロチ退治が衝撃的な話だったので、童たちは、幸せな宮づくりにどこか拍子抜けした。神話をすでに知っている童も、この爺さんなら、何か新しい話をしてくれるのではと期待していた。それでも健気に拍手した。

そうだな、あのスサノヲも良い神様になったのだ。おやじさんのイザナギに命令されたように、海原を征服しなさったのだ。そして子孫も作らっしゃった。穀物に恵まれて、蚕の吐き出す糸で服を作り、平和な村ができした・・・

●オナゴの童と目が合った。

そうだ、忘れちゃいけんな。立派なたたら製鉄も手に入れて、鋭い鍬や鋤、鎌を造る技術も引き継いで、立派な道具をつくらっしゃった。そうが生産を大きく伸ばしたが。そうだけでない、技術に優れた職人もたくさん作られた。この地はどんどん栄えたと思わっしゃい。(※たたら製鉄の起源はいつからか、議論の分かれるところです。ただ草薙剣から仮説として話した次第です)

●童たちは、残った金平糖をポケットに入れ、めいめい「ありがとうございました」と礼をいった。いつのころからか、挨拶から方言が消えたように思える。松江の大学に進んだ末っ子は帰郷するたびに標準語になり、爺さんや婆さんの方言を笑う。たしかにラジオから方言が流れることはめったにない。

童たち、次はオオクニヌシの国造り神話が始まるからな。楽しみにな。

●童たちはもう一度大きく手を振った。

補足

  クシナ) どうしたの、オロオロ。静かだね。お腹でも痛いの。

  オロオロ) 違うよ。地主の学生さんが、教えてくれたことを考えていたの。

  クシナ) また、学生さん。

  オロオロ) 心理学について教えてもらったんだ。「マズローの5段階欲望」説っていうだよ。

  クシナ) なに、それ。

●マズローの5段階欲望

  オロオロ) マズロー(※①)というおっさんが言うには、人には五段階の欲求があって、ひとつの欲求が満たされると次の高い欲求を満たそうとするんだって。それが五つあるのだよ。

  クシナ) ややこしい話はやめてね。最近のオロオロ、難しいこと言うから。

  オロオロ) いいから。聞いてよ。

  クシナ) 分かりました。

  オロオロ) まずね、この紙見て。

※アブラハム・ハロルド・マズロー。1908年~1970年。アメリカの行動心理学者。マーケテイング領域で、消費者心理の分析に活用されることが多い。

  オロオロ) 一つ目が「生理的欲求」で、人はまず、食べることを欲求するの。睡眠もだよ。当然だよね、生きるためには食べ物や睡眠は必要だから。

  オロオロ)二つ目は、それが出来たら「安全欲求」だよ。病気や事故にあわない、もちろん戦争もだ。

  オロオロ)三番目が「社会的欲求」。家族を作ることや、会社や集団に所属すること。みんなと一緒にいる欲求。

  オロオロ)四番目が、自主的に働くことで他者から認められ、評価される欲求。それには尊敬されたい欲求でもあるよ。それを「承認欲求」というの。

  クシナ) おもしろそうね。私は今、三番目かな。

  オロオロ) ちがうよ。クシナは、五番目の「自己実現欲求」を果たしているよ。だってなりたい自分、夢の実現に向けて活動してるだろう。それに大切なことは、私利私欲ではなく、老人や子供のために、頑張っている。唯一の成長欲求だよ。五番以外は不足を求める欠乏欲求だよ。

  クシナ) そんなの当たり前のことよ。わたしだって皆にお世話になったのよ。

  オロオロ) クシナはえらいな。

  クシナ) それよりさ、マズローの欲求の五段階説とスサノヲがどう関係あるの。

●スサノヲの話は五段階説の実証版

  オロオロ) お爺さんの話、思い出して。高天ヶ原を追放されたスサノヲが、まずしたことは何だった。そうだね、オホゲツヒメに食べ物を求め、種をもって地上にくることだよ。これ、第一段階の生理的欲求だね。生きていく糧を得る。

  オロオロ) 次にヤマタノオロチを退治するね。危険を回避し、安全を確保する。これが第二段階の安全欲求。クシナダヒメたちと幸せに暮らすためには絶対に必要だった。

  オロオロ) そして、第三段階の社会的欲求は、みんなを連れて宮を建て、結婚して、子供をつくることだよ。家庭を築き、集団に所属する。スサノヲは特に集団の長になったけどね。

  クシナ) そうか。マズローの法則にぴったり当てはまるね。四番目の「承認欲求」は、みんなの支持があって無事に国を治めることができたことね。だから五番目の自己実現欲求の実現に向けて、スサノヲはアシナヅチに国を譲ることができたのね。オロオロ、あなたってすごいわ。

  オロオロ) ありがとう。でもさ、すごいのはそんなことではないよ。『古事記』編纂が712年でしょう。マズローの五段階欲求説が1943年に発表されたんだよ。五段階欲求説が発表されるより1200年も前に、神話を語り継いだ語部たちは、「欲求」の五段階が人の成長の流れだと知っていたんだよ。その欲求をベースに構成することで、話が面白くなることを理解していたんだよ。それが凄いことだよ。そして、語部の人たちの英知だよ。

●語部の想像力

  クシナ) 偶然でしょう

  オロオロ) 偶然か、必然化か、どうでもいいことだよ。すでに人の欲望というか、人の成長構造を整理していたことが凄いことだよ。だからこそ、話を聞く民は、安心して聞けたんだよ。それだけではないよ、自分にはできないけど共感できたのだよ。

  クシナ) 聞く側も、こんな展開が面白かったのね。

  オロオロ) 語部は聞く人を飽きさせないように工夫し、そして社会にとって必要な人になってほしいから、うまく構成したんだ。それがマズローの成長プロセスと同じだったんだよ。凄い人だ。

  クシナ) 学生さんが教えてくれたの。

  オロオロ) ちがうよ。今、聞いていて気が付いたんだ。みんなが飽きない、納得する、そして尊敬する。うまく構成できているよね。そしてさ、欲求の五段階にある「自己実現」という、得を養ういい人になることが大切だと理解していたのだよ。あっ、神様だけど。

  クシナ) オロオロ、凄く立派になったね。私も頑張ろう。

  オロオロ) 違うよ。僕は口だけだ。でもスサノヲも、クシナも実行している。たいせつなことは、実行して、学んで、考えて、また実行する、クシナのような生き方だと思う。僕も、学生さんも、まだ口だけだ。ぼくも頑張るよ。

●時空の独り言

クシナとオロオロの対話は人には聞こえない。もしなにか感じるとしたら、小枝の擦れ合う音か、風の過ぎ去る騒めきか、小川のせせらぎに思えただろう。八百万の神様。会話をするのは人だけでない、動物だけでもない。植物だけでもない。過ぎゆく悠久の時にも、変わりゆく自然の襞にも、そして情念の渦巻く空間にも、互いが擦れ合う会話がある。

奥出雲の仁多米

                       つづく

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