• ~旅と日々の出会い~
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百六十キロ車窓の宴

 ― 酒は地域を語る名刺 ―

日本海に沿って横に長い島根の端と端を繋ぐ山陰本線。ディスカバージャパン終焉の頃だった。東京からの帰郷の前に、萩の町を散策し、窯元で友の結婚のお祝いに萩焼を求めた。長髪でTシャツ姿の私が背負う小型リックには、一回分の着替えに数冊の文庫本とカメラ、トリスの小瓶が入っていた。

東萩駅から汽車に乗った私は、自分用に求めた湯呑にトリスを注ぎ、ビールを足す。好んだ旅飲みで、生温いビールでも美味しく飲め、安く酔えた。

益田の駅で開襟シャツの中年が乗車した。肩掛けの鞄とは別に、一升瓶二本を風呂敷に包み肘にかけている。四人ボックスの向かいに座ると一合の酒瓶を取り出し、皆に会釈すると蓋の徳利で飲み始めた。扇風機の車両は暑く、腰に付けたタオルで顔を拭きつつ唇を尖らせて啜っている。男は次の駅までに飲み干した。目が合うと私は「飲みますか」とトリスを差し出す。その頃は相席となると互いに菓子を分け合い、話をするのが普通だった。「いりゃあせん」と固辞されたが、おまけにもらった萩焼に注いで渡した。膝に置いた風呂敷を罰悪そうに見、玉造温泉で集まりがあり、出雲人(※)に石見の酒を教えてやりたいと言う。上京の折、地元の酒を手土産にする私には気持が理解できた。ご心配なく、と言っただろうか。

暫くは幕末談義で過ぎた。ところが私が旅人ではなく出雲地方の出身で帰郷の途中だと知ると一升瓶の封を切ったのだ。「出雲の若者に奢ってもらうわけにはいかん」。飲めと言う。ウイスキーの口にまとわりつくようなトロっとした甘味だったと、微かに知覚している。銘柄は憶えていない。教員だと自己紹介した男は酒を自慢し、なぜ地元に帰らない、島根での社会的使命を熱く語り始めた。いつもなら反論しただろうが、美味しい益田の酒に黙って聞いていたと思う。

数年前、在京の島根県民の集まりがあり、そこで益田の宋味」を口にした。それがあの時の酒かどうかは分からない。老人に出身地を尋ねられた。「出雲人か。どうだ、石見の酒はうまいだろう」。上品な甘みがあった。「先生、のまっしゃあと」と声がかかる。

あの頃、島根の横を繋ぐ大きな人の流れは、年に一度の県職や教員の人事異動だった。今は頻繁に行き交うビジネスの交流も多い。交流は地区の習慣や文化と出会う。そんな新参門と定住者が交叉するところに酒がある。酒が飲める、飲めないのではなく、酒は地元の名刺でもある。名刺には酒の味や香り、感性だけでなく、酒蔵や杜氏の思いや意思、そして米生産者や関わる人々のメッセージという地域の文化も含まれている。酒はその地域の顔にもなる。

「もう一杯いいですか」。私はコップを差し出した。「うめえか」と注がれた。地域の個性、地域の創造性、それは誰に向かってあるのかと言えば、地元の自己主張だけではなく、訪ね来るものへのもてなしでもある。地域の酒、それは地域で終わらない。あの日、私に飲ませ続けた男の意思は、益田の良さを伝えたいのではなく、帰らないならば東京で、島根人として島根のよさを主張してこいと言っていたのだろう。

老人に言った、「出雲にも旨い酒がありますよ」。「あたりまえだ、島根はいいとこだ」と頷き、「しかしな、益田にもこらっしゃい」と微笑んだ。たしかに。次は益田の飲み屋のカウンターで、地元の肴を突きつつ、地元の言葉につつまれて飲むことにしよう。できるなら柿本人麻呂神社に参拝し、贅沢にはなるが高津川のアユの塩焼きを食べるのが良い。

※島根県は、出雲、石見、隠岐の三地域で成り立っている。

宋味

宋味
株式会社右田本店 (益田市)

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