• ~旅と日々の出会い~
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二十九回 都電を挟んで小泉八雲・セツの墓所 「大島神社」(池袋)

― 昭和の下町、雑司ヶ谷ナスを感じながら ―

昭和の面影残す散歩径

JR「池袋」駅から歩いて15分、地下鉄日比谷線「東池袋」駅から5分のところに「大島神社」がある。都電荒川線ならば「雑司が谷」駅の前にある。六文銭の『面影橋から』(都電荒川線・早稲田の次の駅)の一番を歌い終わるまえに着くだろう。

第一次東京オリンピック前(1960年代前半)の下町を背景にした漫画(映画化) がある、西岸良平の『三丁目の夕日』。この辺りの雰囲気は、そんな昭和の面影を色濃く残す閑静な住宅建築と、その合間を緩やかな弧を描くように縫う昭和の小路が続く。豆腐屋の自転車から流れるラッパの音や角から駒下駄の音がしそうな気配がする。あるいは森鴎外の『雁』にでてくる高利貸しの妾「お玉」が囲われていた無念坂を夢想する(小説の舞台は本郷・三四郎池の近く)。夜ならば、怪談話が囁かれそうな雰囲気だ。

一方、学園地区でもある。大島神社の境内に杭を打ち、それを中心に円を広げていけば、東京音楽大学、学習院大学、日本女子大学、筑波大学へと続き、早稲田大学、東京大学へとつづく。昭和の高校生のデートコースでもある。1960年代から70年代、この辺りに多くの学生が下宿したことだろう。銭湯も沢山あったことだろう。

そんな町並みの都電荒川線に沿う位置に『大島神社』がある。

都電荒川線
大島神社

「大鳥神社」の御朱印は、都電荒川線沿線にあることから端っこに「路面電車」のスタンプが押される。これにもどことなく昭和の面影を感じさせられる。

大鳥神社は、1712年(聖徳2年)に建立され、旧雑司ヶ谷村(現在の雑司ヶ谷から南池袋・西池袋・東池袋)の土地を護る氏神様として祀られてきた。

島根とは縁が深く、出雲大社の境内にある伊奈瀬波岐(いなせはぎ)神社の御分霊を雑司ヶ谷へ迎えたことが始まりとされている。
松江藩五代目の藩主松平宣維の嫡男が、天然痘のために鬼子母神前駅付近に養生。伊奈瀬波岐神社へ祈ったところ病気が治ったことから、その御分霊を迎えた。

また、日本武尊や、穀物の神様でお稲荷さんとしても知られる食稲魂命(ウカノミタマノミコト)、恵比寿様も祀られている。

大島神社鳥居
恵比寿様

・伊奈瀬波岐神社

伊奈瀬波岐神社は由緒ある古社で、『出雲国風土記』や『延喜式』にも記載されている。現在の本殿は、明治14年(1981)に造営された。
御祭神は、国譲り神話に深くかかわる稲背脛命(いなせはぎのみこと)、合祀神は八千矛神(やちほこのかみ)と稲羽白兎神(いなばしろうさぎのかみ)と稲羽八上比売命(いなばやかみひめのみこと)である。

御祭神の稲背脛命は、出雲国造の祖神・天穂日命(あめのほひのみこと)の子神である。
天照大神から「国譲り」の勅を受けた建御雷神(たけみかづちのかみ)は、稲佐浜に降り立ち、大国主命に神勅を伝えた。大国主命の子神になる事代主命(ことしろぬしのみこと)は、美保関に猟漁で出掛けていた。稲背脛命が使いに出され、事代主命を呼び還した。その後、天穂日命の後を受けて大国主命の祭祀に仕えた。

合祀神の八千矛神は大国主命の別名である。

稲羽白兎神は、サメに膚を剥れ、騙されて塩水を塗って苦しんだ白兎伝説に由来する。大国主命が、意地悪な兄神の八十神(やそがみ)の荷物持ちとして因幡国の美しい姫を求めて向かう途中、助けるのが因幡の白兎である。
稲羽八上比売神は、八十神が惚れ、大国主大命も惚れた因幡国の女神様。このあたりの伝説は『島根国』の「出雲神話と神々」を参照してほしい。

五話 出雲国造り① 因幡のしろうさぎ伝説 ―恋と嫉妬、知と暴力―」  助けた兎に結婚を予言されたオホクニヌシは最初の妻を娶る。嫉妬した八十の神に二度殺害される。その度に蘇生するが追撃は終わらない」

稲佐の浜


・恵比寿様と美保神社

大島神社に祀られる恵比寿様の由来は、イザナギノミコトとイザナミノミコトの最初の子など諸説ある。ここでは事代主命が恵比寿様である話を紹介する。

大国主命のことを大黒様とよぶ。大国主命の子神が事代主命で、島根半島の右端の美保神社のご祭神である。別名、恵比寿様と呼ばれている。

毎夜、小舟を漕いでは対岸まで行き、朝まで女神と寝屋を共にした。ところがある日、一番鶏が鳴く時間を間違った。慌てて小舟を漕ぎだした恵比寿様は櫓を流し、片足をサメに食われてしまった。この話の続きも『島根国』をご覧頂きたい。

美保神社は、全国に約三千社ある「えびす様」の総本宮でもある。

出雲大社
美保神社

・恵比寿様の賽銭箱

大島神社の本殿やいたるところに恵比寿様の持つ巾着袋を模した物やデザインを目にする。驚くのが本殿の賽銭箱で、巨大な巾着の形をしている。商売繁盛のご利益だろう。また御幕の柄や柱の明かりが巾着の模様になっている。

かつて北廻り船で繁盛した美保関にあやかったのだろうか。

巾着をデザインした賽銭箱
美保関を愛した「ばけばけ」の小泉八雲

事代主命、恵比寿様を祀る美保関には、不思議な風習が残っている。戦前まで鶏の卵を食べなかった。今でも祭りの当屋にあたる家のものは食べない。なぜ、食べないかというと、恵比寿様である事代主命が鶏の間違った時の鳴き声に驚き、片足を失ったことに起因する。

当サイトでも紹介しているのでご覧頂きたい。

そんな美保関を愛したのが、NHK朝ドラ『ばけばけ』の小泉八雲とセツである。現在、松江駅からバスで小一時間。明治の頃は大変な悪路で、そこを人力車で向かったのである。
バターやビール同様に鶏の卵が大好きだった小泉八雲は、風習に従いアヒルの卵で我慢した。またここの港で海水浴をしたことが随筆に残されている。

小泉八雲とセツも恵比寿様が祀られる美保神社に参拝し、事代主命(恵比寿様)に商売繁盛(作品が売れますように)、家内安全(セツと幸せな家庭を築けますように)とでも願ったことだろう。

小泉八雲が泳いだ美保関の海
大鳥神社と鬼子母神の関係

都電荒川線には「鬼子母神前」の駅名があるように、このあたりでは有名な名所だ。鬼子母神には、かつて大鳥神社の御分霊が祀られていた。しかし明治の神仏分離令によって現在のところに移った。元々は非常に縁深い大島神社と鬼子母神である。

鬼子母神とは、もとは他人の子を食べる悪鬼だった。しかし釈迦の教えで安産・子育ての守護神へと改心した仏教の女神である。

首都圏には三大鬼子母神ある。雑司ヶ谷の鬼子母神と、「恐れ入谷の鬼子母神」の口上で有名な朝顔・ホオズキ市の台東区入谷の真源寺、千葉県市川市の遠寿院である。

雑司ヶ谷の鬼子母神の参道には樹齢四百年の欅が並び、左に曲がると拝殿がある。境内には都指定天然記念物の樹齢約七百年の巨木銀杏あって、横には昔からの駄菓子屋があり、対面に団子屋がある。
拝殿は元禄13年(1700)年に建立され、その奥にある本殿は寛文4年(1664)年の建立である。

江戸・明治と茶店や料亭が並び繁盛したらしい。現在でも、10月に鬼子母神御会式が開かれ、参道には露店が並ぶ。クライマックスは高張り提灯を先頭に、しだれ桜のような万灯の行列が池袋駅前から境内まで練り歩く。

大島神社の参拝の帰り、あるいは鬼子母神を訪ねた折、それぞれにお参し、伝承やいわれ、また風物や関係を訪ねてほしい。
早稲田で教鞭をとった晩年の小泉八雲とセツも訪ねただろう。

鬼子母神拝殿
駄菓子屋
ネクスト「ばけばけ」・雑司ヶ谷霊園

大島神社と都電を挟んだところに雑司が谷霊園がある。交番に面した入り口を入り、ほんの少し行ったところに小泉八雲とセツの墓が並ぶ。

三段落ちのような話になるが、「大島神社⇒恵比寿様⇒美保神社⇒小泉八雲⇒雑司が谷霊園⇒小泉八雲」と繋がり、「島根(出雲地方)」が真綿のように重なった。

2025年秋以降、松江や出雲はNHK朝ドラ『ばけばけ』の影響で、沢山の旅行者が訪れた。有難いことである。また思わぬところも繁盛し、売れた。これも感謝したい。『島根国』では足元にも及ばないNHKの影響力だ。

これからも『ばけばけ』のトキ、ヘブン(雨清水八雲)、錦織友一、そしてモデルとなった小泉セツ、小泉八雲、西田千太郎、さらには役者人の髙石あかり、トミー・バストウ、吉沢亮のお力をお借りしたいところである。

この頃(2026年3月)は日本人が好む「謙虚(敗北)の美学」というか、「美男贔屓」というか、吉沢亮で旅行者の流れも大きく変ったようだ。それもいいだろう。「源頼朝」を扱っても「源義経」に食われてしまう「判官びいき」である。

雑司が谷霊園に眠る小泉八雲とセツも、きっと錦織友一(吉沢亮)のモデルである西田千太郎に感謝していることだろう。

多くの吉沢亮ファンの皆様、西田千太郎になって雑司が谷を散策してみてはいかがだろう。

小泉八雲とセツの墓
■大島神社

・所在地:東京都豊島区雑司が谷3-20-14
・最寄駅:鬼子母神前停留場・雑司が谷駅
・公式サイト(Facebook): https://www.facebook.com/ootorijinja/

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