• ~旅と日々の出会い~
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思い出の木次線から、ネクスト木次線

ひさしぶりに触れた奥出雲の町

名だけの11代目


父の故郷は奥出雲町の横田。斐伊川沿いに家がある。祖父も祖母も健在だった小学生の頃は、盆と年末には必ず帰郷した。

東京からの交通は二通り。羽田空港から出雲空港に向かい、そこからタクシーか山陰本線と木次線を乗り継ぐ。陸路なら東京駅から新幹線で岡山駅までむかい伯備線に乗り換え、生山駅で下車しタクシーかバスを使う。

一度だけ伯備線の新見駅で芸備線に乗り換え、備後落合で木次線に乗り継いだ。風景や駅にほとんど記憶がない。かすかに残っているのが三井野原駅から出雲坂根間にあるスイッチバックだ。

それも鮮明ではない。どこか谷底をみるような感じで、列車の進行方向が前後に変わったくらいだ。とにかく時間がかかったので、二度と乗りたくないと言った。父はそうだよなと笑っていた。

そのときだろうか、祖父と妹と三人でトロッコ列車に乗ったのは。祖父がよく笑っていたことを覚えている。

優しかった祖母と祖父が亡くなり、僕も妹も高校から大学へと進むと、横田に帰るのは父だけになった。幾度も誘われたが断った。なぜ断ったのか。大きな理由はない。きっと横田では何もすることがなかったからだろう。子供のころは、山や川、小学校のプールなどやることがたくさんあった。それに夏休みの宿題づくりには最適だった。自然の素材をつかった作品や物珍しい観察記録で、学校では話題になった。天体観察、城山と砦の比較、アリの生態等。

縁の遠くなった奥出雲に、この冬少しだけ寄った。目的は先祖代々の墓の雪かきをしに。父は驚いていたが、祖父や祖母、それにご先祖様も驚いたことだろう。

お墓参り行くと必ず寄ったのが「焼きサバ」屋さん。川沿いのT字路の角にあって、炭火で焼く白い煙と香りに包まれていた。三十センチぐらいのサバに竹串を指して、そのまま焼く。

その竹串を抜き、身をほぐしてくれるのは祖母か祖父で、きれいに小骨まで取る祖母のサバを選んだ。醤油をかけて食べるのもおいしいけど、寿司ごはんもおいしかった。その焼サバ屋はもうない。

「奥出雲」とは僕にとって何だろう。父の故郷であって僕の故郷ではない。でも、ここには何度も来て、祖父母との思い出がある。

最近、東京で開かれる島根県人会に参加する。故郷を懐かしむのではなく、新しい出会いを求めてだ。そのご縁で新しい仕事が始まった。僕にとっては故郷ではないが、かといって見知らぬ町との仕事の関係でもない。やはり特別な町でもある。

木次線の一部廃線が噂されていると父に聞いた。それがスイッチバックのある区間らしい。

一度しか利用していない区間だが、残念な気持ちだ。何かできないだろうかと考えて、この夏、みんなと乗ってみることにした。いつまでも心に残る祖父母と子供の時代の思い出、味として香りとして残り続ける焼きサバと同じように、スイッチバックをしっかり焼きつけるつもりだ。

なくなるか、なくならないかではなく、僕がこの町とかかわって、そしてこれからも島根県にかかわり続ける証として乗ってみる。

そこで、もう一度、木次線について考えてみる。それは父を通しての木次線ではなく、自分にとっての木次線について。

サバの一本焼き

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