●「お爺ちゃん先生、これなんかね?」。それを聞いてほかの童も聞く、「なんだかね」「へんな絵だね」
●爺さんは小さく頷くだけで何も言わない。
●年上の男の童が屈みこんで逆立ちするように見上げた。「爺さん、こりゃ日本地図かね。そうも、逆さまに吊ってああが。まちごうちょうぞ」
●爺さんは微笑むだけだ。
●童がじっと見た。「そうだも、日本列島にも見えが。そげでも、なんか変だよな。周りも変だし、どこかよその列島か島みたいだわ」
そうだな、たしかに、面白い恰好をしちょうな。でもな、みんなが知っちょう、日本列島の地図だ。そうも日本海を挟んでアジア大陸も描いてああが。
●爺さんは、行儀よく座った童たちのところに行き、地図帳を開いた。
●小学生の三年生以上の童は一斉に、「そうよ、こうが日本よ」「あぁが地図は、ちがっちょう」と笑った。つられて小さな童も笑う。
爺さんは思った、わしも地球は丸いと教えられ、地球義を見た時は驚いた。そげなことはない、落ちてしまうがと言った。
●爺さんは孫娘が使った地球儀を差し出し、置台を上にした。
こげして見りゃあ、掛けてある地図と一緒だが。よう見いだわ。
●「爺さん、そりゃ間違いだわ。逆さまだ。北海道が上で、九州が下だ。北極が上、南極が下。そげだと習ったけん」
●爺さんは思う、そうが、教育の間違いだ。子供の想像力を狭くし、発想力を奪う。地図に上下はなく、便宜的に定めただけなのだ。それだけでない。概念も固定する。爺さんは、吊るした地図に目をやった。
よーく、見るだわ。日本は島国とちごうて大陸や朝鮮半島とつながっているように見えんか。日本海は大きな湖に見えだろう。実際にな、人類が生まれる前は繋がちょった。マンモスの化石が見つかったのも、繋がちょったからだ。
●「ほんに、そげな風にも見えるわ。宍道湖みたいな日本海だ」
人の歴史だけでない。地質や自然の生態も調べると似ていることがいっぱいああが。みんな、大きくなったらもっともっと勉強すうだぞ。先生だけが教えてくれのではないこともしっかり憶えておけよ。
さて、今日は、出雲国の神話の『国引き神話』を、お話しさせてもらいますか。
『国引き神話』の話はな、『出雲国風土記』にのちょった神話だ。前まで話しちょった『出雲神話』はな、『古事記』や『日本書紀』にのった神話だわ。二つの神話は違うけん勘違いせんようにな。それと昔の本の説明はな、次の会のときにすぅけん待っちょれよ。
さて、さて、始まりだ。
●大きな童たちは拍手した。小さな童は地球儀を不思議そうに回している。
ひとりの神様がおおました。その名前を八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌノミコト)といいますわ。その神様が出雲の国を見て言わしゃった。
「できたての若くて狭い国じゃ。つぎ足して、もうすこし大きな国にしましょうか」。
そげすうと山に登り見渡された。「新羅のほうに余った土地があぁが」と、乙女の胸のように幅の広い鋤(すき)を持ち、大きな魚のエラに突き刺すように打ち込み、肉を裂くようにしてえぐり取らっしゃった。そげして、大きな葛(かずら)をかけてグッグッと引っ張らっしゃった。「国よ、こーい、国よ、こーい」とな。それでてきたのが、出雲大社がある杵築(きつき)の国だ。つなぎとめた杭はな、今の三瓶山の佐比売山(さひめやま)で、引き寄せた葛の縄が薗(その)の長浜になったそうだ。
そげしてな、次に引き寄せたのが、隠岐の国に見つけた余った土地の佐伎(さき)の地だ。そげすうと、さっきと同じだな、乙女の胸のように幅の広い鋤(すき)を持ち、大きな魚のエラに突き刺すように打ち込み、肉を裂くようにしてえぐり取らっしゃった。そげして、大きな葛(かずら)をかけてグッグッと引っ張らっしゃった。「国よ、こーい、国よ、こーい」とな。
●童たちも繰り返す、「国よ、こーい、国よ、こーい」。
それでくっ付けた所がな、狭田(さだ)の国だ。
●爺さんは立ち上がり、眉毛の上に手を掛けると遥か彼方を眺めるようにして言った。
そげしてな、次に引き寄せたのが、隠岐の国の良波(よなみ)の余った地だ。そげすうと、さっきと同じだな、乙女の胸のように幅の広い鋤(すき)を持ち、大きな魚のエラに突き刺すように打ち込み、肉を裂くようにしてえぐり取らっしゃった。そげしてな・・・
●と、言ったところで童が一斉に立ち上がり爺さんの腰にまとわりついて、綱を引くような格好をして叫んだ。
「大きな葛(かずら)をかけてグッグッと引っ張らっしゃった。『国よ、こーい、国よ、こーい』とな」。
あはは、あはは。そげだ、そげだ、そげだわ。よう言うた。
そしてつぎ足したのが闇見(くらみ)の地だ。
●童の小さな手が爺さんの腰バンドやズボンを掴んだままだ。
次にな、越(こし)の都都(つつ)のあたりをみらっしゃると、そこにも余った土地があった。
●年長の童が大声で続けた。女の童が小声で小さな童に耳打ちする。
「そげすと、乙女の胸のように幅の広い鋤(すき)を持ち、大きな魚のエラに突き刺すように打ち込み、肉を裂くようにしてえぐり取らっしゃった。そげしてな、大きな葛(かずら)をかけてグッグッと引っ張らっしゃった。『国よ、こーい、国よ、こーい』とな」
童の手が爺さんのベルトを引っ張る。
そうだ、そうだ、そうだわ。そげして生まれた国が三穂(みほ)の地だ。そげしてな、引いた綱は細長い夜見(よみ)の島になり、つなぎとめた杭は今の鳥取県の大山(だいせん)、伯耆(ほうき)の火神岳(ひのかみのたけ)だ。
そげして出来たのが、今の島根半島だ。
●爺さんは童に乾燥した葦の茎を一本ずつ渡した。
童たちよ、わしらの仕事はまだ終わちょらん。
●爺さんを真ん中に童は囲んだ。
そげすうと神様のヤツカミズオミヅヌノミコトは言わしゃった。「国を引き終えたぞ」。
●爺さんは童に耳打ちした。年長の童が年少の童に手取り足取りで説明する。
そげすうとな。
●童は乾燥した葦を持ち上げた。
そうだ、ええな。
ヤツカミズオミヅヌノミコトは持っていた杖を力いっぱい大地に突き刺すと叫ばれた。
●童が一斉に葦を床に突き刺すと叫んだ。
「おえー」
そうだ、そうだ、もう三回、叫ぱっしゃい。
●「おえー」、「おえー」、「おえー」。
そうじゃ、そうじゃ。それでな、杖を突き刺した辺りをな、「おえ」が変化して「おう」と言うようになったとさ。漢字で書くと『意宇』だわ。
これで『国引き神話』はめでたしめでたした。こっぽし、こっぼし。
●童たちは立ったまま拍手した。
「すげえ、神様だ」「そげだよ、ヤツカミズのなんとかは・・・」
●爺さんは、「だんだん、だんだん」と言いながら童たちの頭を一人ひとりなでた。
次回はな、みんなの感想もききたいからな。爺さんと婆さんから、ちょんぼしだが昼飯をだすけん、なんも食べずに来いよ。みんなの意見を聞かせてくれ。それを爺さんの励みにしたのだ。それと反省にもな。
●「なあ、爺さんよ、その出雲神話の続きは話してくれないのか」「そうだよ。私も図書館で読んだわ。アマテラスの孫たちが下りてくるのを」
そうだな。そのためにもみんなの意見をきかしてくれ。そーからだ。
●「わかったよ。お爺さん先生、あだんも考えておくわ」
クシナ) オロオロはついに来なかったわ。どうしたのかしら。何も言わず、旅立ったのかしら。酷いな。悲しいな。
●柿の木の実は必ず一つ残す。それは来年も美味しく実るようにと願いを込めて。その実が落ちた。童も爺さんも、誰も気づかない。落ちた柿の実が石に潰れ、そこに枯れ葉がかかる。
クシナ) オロオロ、どうしたの。私はどうしたらいいの。
終わり
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改訂新版 東京 わざわざ行きたい 街の本屋さん 和氣正幸▼
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出雲国風土記: 校訂・注釈編 島根県古代文化センター▼
小泉八雲 日本の面影 池田 雅之▼
ヘルンとセツ 田渕 久美子▼
かくも甘き果実 モニク・トゥルン (著), 吉田 恭子 (翻訳)▼
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