• ~旅と日々の出会い~
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温泉旅ノベル『シマネミコーズ、温泉の旅路』

一話 赤い糸のあや ―あなたは、気づきを教えてくれた―

五節 出会いは湯けむりにのって (玉造温泉の通り)

鳥のさえずりに目が開いた。眠っていたのだろうか。古(いにしえ)の世界を彷徨(さまよ)っていた感じが心と身体に残っている。男の人と手を繋ぎ、空を蝶のように舞っていた。茅葺の小屋が並ぶ温泉集落。いつの頃かしら、古い時代のもと古い頃、そうだ、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が退治されたと誰かが叫んでいた。

仲居さんの薦めで夕食までの間、川沿いの通りを散歩することにした。露天風呂で見た幻に出会うかもしれない。旅って、そんな非現実的なことがあるから楽しい。とくに『神々の国』島根だから期待できそう。

玉湯川を挟んで二十軒ほどの温泉旅館とお土産屋さんが並んでいる。

玉作湯神社に行く。勾玉(まがたま)作りの神様クシアカルダマノミコト、そして、この温泉を発見した国造りと温泉の神様オオナモチとスクナビコナの三神が祀られている。

境内の「真玉」(まだま)に触れると願い事がかなうそうだ。社務所で「叶い石」を求め、「願い石」に付けてパワーを得てお守りにする。

神社前に架かる赤い欄干の宮橋も、インスタ映えする人気のスポット。浴衣姿のグループやカップルが満面の笑顔で写真を撮っていた。

次は湯閼伽(ゆあか)の井戸に寄る。良いことがありますよと仲居さんに念まで押されたところ。湯閼伽の井戸は別名「恋来井戸」とも言うらしい。「恋(こい)叶いの素」という鯉(こい)の餌を投げると鯉(恋)が現れる。宮橋のことを「恋叶い橋」ともいう。

老夫婦のお爺さんが「わしにも、こいが来るかな」と餌を撒いた。鯉が来た。仲居さんと同じような笑顔でお婆さんはお爺さんを見詰め、「よございましたね」と呟いた。お爺さんと目が合った。照れくさそうにお婆さんの手を解いて一人歩き出す。

この川底に湯元があり、昔は露天風呂もあった。旅館の露天風呂で見た幻は、この川の湯元の露天風呂だったのだろうか。

八岐大蛇を退治した素戔嗚尊(スサノヲ)の六代目がオオクニヌシ。スサノヲの最初の奥さんがクシナダヒメで、オオクニヌシの本妻がスサノヲの娘のスセリビメ。なんだか複雑な関係だ。

川沿いのお土産屋さんにも、浴衣姿のカップルやグループがいる。軒に吊るされた風鈴の音に誘われて短い暖簾をくぐる。

褐色に日に焼けた男の人が、お土産用の勾玉を熱心に見ていた。肩までたくし上げた浴衣から陽に焼けていない白い腕が覗いている。お蕎麦屋で見た幹事さんだ。言いそびれたお礼を言いに近づいた。

「あぁ、どうも。またお会いしましたね」

先に声を掛けられた。

手にした籠に十個ぐらいの色違いの勾玉が入っている。

「土産ですか」

「はい、教え子たちへのお土産ですわ」

会計をすます間、入り口の小物を眺めていた。

「じゃお、ここで失礼します。楽しいご旅行を」

店を出る男の人に続いて出ると、振り向かれた。なに、と間抜けな顔をしている。

「お蕎麦屋さんで言いそびれたのですが、ありがとうございました」

首筋をタオルで拭きながら傾げた。

「何でしたっけ」

文庫本を拾って頂いたことだと告げた。

「川端康成の『雪国』ですね。お若いのになかなか趣味が良い」

川沿いにゆっくり進む。追うように歩く。

「カバーしてあったのに、よく分かりましたね」

男の人は頷くような笑みをして、幾分明るいトーンで言った。

「小説が好きで、川端康成の作品は何度も読みましたよ。私たちの時代、試験にもよく出ましたからね。だからでしょうか、どのページを見ても分かります。それにね」

と少し間を置いた。

「ページの上に柱といいますが、本のタイトルが書いてあります。お気づきですか」

水の流れる音がした。

「そうだ。開いていたページ、汚れてはいませんでしたか」

わざわざ開いたのではないのだと伝えている。

ほんの少し距離が縮まった気がする。

「こちらにお泊りなのですね」

「そこの、旅館です。風呂と酒さえあれば、僕らは十分ですから」

「それに、コンパニオンさんでしょう」

「聞かれちゃいましたか」

お店のビニール袋に手を入れた。

「年に一度の慰労会です」

どこにお泊りですかと尋ねられ、旅館の名前を告げた。

「玉造温泉のトップの老舗旅館ですね。お風呂も庭も、もちろん食事も接客も最高級です。旅のいい思い出になります」

お土産袋から取り出した勾玉を小さな袋に入れた。

「どうぞ、玉造温泉の思い出に」

自然な仕草に受け取った。

「ありがとう。でも、私にはお返しする物がないわ」。

「大丈夫です」

視線は川の向こうの角にある小さな小料理を向いていた。

「あそこの店、お薦めなんです。九時頃から一人で飲んでいます。よろしければ三十分でも、いや、十分でも付き合っていただけますか。美味しい店です。それに、おやじさんも、女将さんも凄くいい人だ。旅のいい思い出になりますよ」

唐突なお誘いだった。それがかえって自然で、好感を持てた。

「疲れてなければ」

温泉旅館に泊まるのに、美味しい店だと誘われた。コンパニオンを呼んだ宴会を同僚の皆さんと開くのに。それを抜け出して一人飲むのも不思議なことだ。それに「十分でも」が可笑しかった。新手のナンパというより、訳ありの誘いの匂いがする。

「もちろん。無理はしないでください」

歩き出した彼は振り向いた。

「島根のご旅行をお楽しみください」

「ありがとうございます」

まるで道を尋ねでもしたような自然な挨拶だった。

六節 勾玉に諭されて

残念で、申し訳なかったが、豪華で品数も多い夕食の多くを残した。お土産屋での妙な誘いに興奮し、ビールと日本酒を飲んだからだろう。飲むと食べられなくなる体質になりつつある。

仲居さんにすすめられお風呂に入った。夕食の時間帯、廊下には賑やかな声がしたが、お風呂は静かだった。時折、雨音のような雫の落ちの音が響く。

平泳ぎで泳いだ。乳房が柔らかな湯にほぐされる。開放された尻が浮かび、お湯の上で湯気に撫でられている。ターンして入り口を見た。タオルで下半身を隠すお婆さんが四人、笑みを忍ばせて立っていた。

「ええですよ。わたすらに気にせんと泳ぎんしゃい。若い娘の特権ですが」

「ごめんなさい」

空気の抜けた笑い声につつまれた。

胸とお股をタオルで隠し露天風呂へと向かう。

「やや子がいっぺえ生める尻ぺちだわ」

お婆さんたちの笑いに、隠せないお尻ならとすこし腰を振った。妙な自信に包まれた。大きな声で歌を歌いたくなった。山陰出身のバンドの歌をハミングした。心のもやもやも消えていく。

露天風呂から戻って湯舟につかるお婆さんに声を掛けた。

「私、子供、沢山産めますか」

お婆さんは笑い、「別嬪さんだわ」「ええ、オナゴさんだよ」と褒め、「その尻ぺちなら沢山、産めわ」と手を叩き、「島根に嫁にくうかね」とまた笑った。

お湯につかりすぎたのか、それともお腹がすいたのだろうか、『伊豆の踊子』のページが止まったままだ。八時過ぎ。眠るのには早すぎる。

テーブルの横に置いた勾玉が目についた。お婆さんが、勾玉を握って寝ればやや子に恵まれると教えてくれた。たしかに胎盤に眠る赤ちゃんのようだ。隣のお婆さんが「やーことやってからだぞ」と笑っていた。

セックスしたからといって妊娠するわけでない。赤ん坊を授かるためにセックスするわけでもない。好きな人と結ばれたいと思う一方で、仕事という社会生活にこだわりがある。その仕事に物足りなさを感じているのに、まだ何かが未達成だと思っている。それに結婚が社会生活を捨てる分岐だという考えに納得できない。

同期の女の子で何人かが結婚して家庭に入った。お正月の年賀状は必ず子供を中心にした笑いに満ちた写真だ。それはそれで幸せだろう。彼に寄り添う名前が印刷され、手書きで「元気」とか「たまには遊びにおいで」と添えられている。

ホテルのお店にあった絵葉書を買って送ろうかしらと思った。

勾玉がじっと見つめている。お母さんのように「いいよ、いいよ」と言っているようだ。心が穏やかになっていく。そんな感情でいるなら散歩でもしたらと聞こえた。

つづく

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