― 青春という実直な恋径(こいみち) ―
コロナウイルス蔓延で、多くの集まりが中止になった。故郷の集まりや同窓会などは来年に延期できるが、入学式や卒業式など、人生の節目の儀式となると同情する。だが、嘆くことなく代案を考えるしかない。そのひとつがインターネットを使ったイベントであった。
昨年は随分『Zoom飲み』を行った。フランクな意見交換には楽しかったが、どこか物足りなく、歯がゆい思いが残る。誰も酔わないのも、その成果だろう。
パソコン画面の背後の部屋模様に相手の趣味や生活感を推理し、楽しくもあり、かつ生活のリアリティー感に戸惑いもした。家族などを紹介されると困ってしまう。
「ご無沙汰しております」と何十年ぶりかに『老いた』花嫁を見るのも照れくさいし、「初めまして」と再婚者に自己紹介されても、このあと何を話すか躊躇する。
さて、そんなネット飲み会でのことだ。「珍しい酒が手に入った」と画面の向こうで瓶を持ち上げた、津和野の酒『鴎外の郷』。
十年程前(2012年)、森鴎外生誕150周年を記念して、生誕した島根県津和野町の酒を鴎外が亡くなった東京文京区の小売酒販組合がラベルを替えて販売した酒だ。ラベルには東京大学の赤門が描かれている。
彼は、島根出身でも、東京大学卒でも、文学青年でもなかった。なにか縁でもできただろうと、とりあえず「乾杯」と飲み始めた。近況を報告し合い、仕事がなくなったことを愚痴り、また温泉に行きたいなと飲みは続いた。
「ところで、その酒どうした」と問うたのは私ではなく、システム開発を手掛けていた男だ。還暦を前に、文学という世界に目覚め夏目漱石や芥川龍之介、山本周五郎などを読み漁っているという。全集を求めて神田の古本屋やブックオフを覗くのが楽しみらしい。文京区の森鴎外記念館にも出かけたという。『舞姫』『阿部一族』『鴈』など互いの蘊蓄を披露したところで、また尋ねた。「その酒どうした」
「もらった。それだけだ。それ以上のこともないし、意味もない。ただ貰っただけだ」
酒との関わりを頑なに否定する様に、私は島根出身だと割り込んだ。四人の内の最後の一人が、東大卒だと話した。三人が三様に酒に関わっている。『鴎外の郷』に関係ないと強調する彼が怪しく思えた。それに彼は酒があまり飲めなかった。「皆には縁があった訳だな」と『鴎外の郷』のラベルをわざとらしく示した。
皆から浮くような振舞をする男だった。焼き鳥を注文すると「俺は七味嫌いだ」と自分が食べたい焼き鳥を串ごと取ってしまう。刺身も白身や貝は受け付けないとマグロやウニなど高い品を自分の皿に取る。ひんしゅくを買う彼だが飲み会にはいた。金払いがよいのでもない。率先して幹事をするわけでもない。しかし、彼を誘った。それは、飲み屋で隣のテーブルの女性たちに話しかけ、合流するトーク術がずば抜けていたからだ。ネット飲み会ではまったく意味のない「ナンパ」特技だった。
後日、彼から『鴎外の郷』の酒が届いた。気味悪くなって電話をした。
彼を誤解していたようだ。ネット飲み会に参加するにあたり、私たち三人に共通するものはないかとリサーチし、共通点として『鴎外の郷』を用意したのだ。意外な気遣いに感謝し、「小泉八雲のビールでもいいだろう」と日本酒の飲めない彼にいうと、「まあな」と笑った。
薄笑いの意味が最近分かった。学生時代に熱烈な恋愛をして駆け落ちまでした。相手の女性の苗字に「森」がついているらしい。その情報は、先の飲み友の一人から推測を交えて知らされた。『鴎外の郷』、四人の飲みに共通する相応しい酒であった。ちなみに奥さんの旧姓には「森」はない。
『鴎外の郷』のフルーティーな味が、凄く繊細でせつなく感じた。それは若き日、友とキャンプをした朝に、朝露と一緒に飲んだような風味でもある。一人で飲むのに相応しいようで相応しくないような、胸が詰まる、そんな思い出深い酒になった。
一緒に働いていた頃の彼とのことを思い出した。スケジュール帳のどこかに「木木木」のような絵柄が綴られていたような気がする。それは気がするだけの、逸話から老いた脳が創りあげた偽りの残像かもしれない。あるいは、あまりにも切なすぎて、何かの作品と彼の出来事を繋げたのかもしれない。「木三本で森」。駆け落ちした女性の苗字の一部だろうか。
顛末は会って飲む折になりそうだ。電話で聞くには勿体ないし、一人で聞くのも重すぎる。それに、こんな思い出話は、酒のつまみにピッタリだ。その場には、私が『鴎外の郷』を持ち込むことにする。
まてよ、森鴎外にはライナー・マリア・リルケ著『駆落(かけおち)』を翻訳した作品がある。すると相手の女性は「森」である必要はない。さて、さて、その顛末は。
鷗外の郷
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