藤岡大拙
第4番目の謎は、出雲阿国の生国は出雲か、という問題である。
昔から、阿国は「出雲」の阿国といわれ、当然出雲出身とみなされてきた。寛永後期といえば十七世紀半ばごろのこと、阿国が京都で人気を博していたころから四、五十年も経っていないが、そのころ成立した『慶長見聞集』という随筆集に、「慶長の頃ほひ、出雲国に小村三右衛門といふ人のむすめ、くにといひて、かたちゆうに、こころさまやさしき遊女候しが… 」とあり、同じころ成立した『当代記』に、「此頃カフキ躍ト云事有、出雲国神子女(名ハ国、但非好女)出仕、京都ヘ上ル…」とある。このように、かなり早いころから、阿国が出雲の生まれで、出雲大社の巫女だったという伝承があったことが分かる。このほか、大社町には、阿国の墓、晩年の阿国の居所だと伝える連歌庵などもあり、また、浄土宗安養寺(出雲国三十三番札所の第二番としても知られる)には、阿国ゆかりの銅鏡や数珠が蔵されている。このように、さまざまな証拠が残っているのだから、阿国は出雲の大社の生まれで、出雲大社の巫女であったという伝承を、地元で疑うものはほとんどいない。
だが、中央の研究者のなかには、このことを強く疑う人も少なからずいるのである。その理由は、
一、地元の古文書や日記等の第一等史料のなかに、阿国の名が全く出ないのである。
二、当時の芸能は、中央の大社寺、例えば奈良の興福寺や大津の日吉神社などの芸能座に所属していなければ、京都や奈良での興行は困難だったはずだ。だから、阿国は奈良か京都の近辺の生まれだろう。
三、彼女が出雲阿国と言われるのは、出雲大社の巫女と名乗ることによって、出雲大社の知名度を借り、興行成績を向上させようとしたものだ。
かくして、阿国は出雲国とは関係のない存在とされたのである。しかし、この名乗り論はおかしい。出雲大社の名を語ることによって、各地での興行が盛況になるという証拠がしめされていないのである。なぜ、伊勢神宮や住吉大社などではなく、出雲大社なのか、その説明がなされていない。
余談だが、明治以前には出雲大社の呼称はなく(ただし、「出雲の大社」の例はある)、杵築大社である。
こうして、阿国の生国は出雲か畿内か、という問題は、解明されないまま今日にいたっている。地元の阿国研究の第一人者である山崎裕二氏の近著『出雲阿国と阿国かぶき』(報光社刊)によると、「戦国末期から近世初頭にかけては、座の統制も緩み、地方から実力のある芸能一座が上京し、人気を博するようになるのだが、阿国もそのような地方出身の一座に属していた芸能人と考えている」と記されている。今の段階では、最も適切な結論であろう。だが、隔靴掻痒の感は免れない気がする。
さて、次回は阿国が所属していたという出雲大社について、お話したいと思う。
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