• ~旅と日々の出会い~
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奥出雲のおもてなし料理

 ―煮しめ、焼きサバ、漬物―

標高300メートル、中国山地の山間の小さな町のおもてなし料理。

お祭りや祝い事で縁者や知人を集めた宴が開かれると、前日(場合によっては前々日)から台所は活気に溢れる。姉さんかぶりの割烹着姿で慌ただしく行き来するのは母親だけでない。母の実家のお婆さんも小母さんたちも、母の親しい友達も来てテキパキと料理の素材や膳や酒類を整えていく。どこか弾みのある笑いや嬉しそうな会話は、意味も分からぬ子供たちさえ幸せな気分にする。覗き込む男衆にはカツが飛ぶ、「ここは女子衆の域だが」。遠方から駆け付けた女子(おなご)さんは、挨拶もそこそこに台所へと急ぐ。時には「内の嫁ですけん」と新妻のお披露目の場でもある。赤ん坊を背負った女子もいる、幼稚園の先生も、看護婦さんも女子衆で、高校生の女の子もいる。

窯からあがる湯気とともに煮しめができあがり、蒸篭から赤飯のできる甘い香りがする。味噌小屋から大量の漬物が取り出され、魚屋さんがブリの刺身と一緒に新聞紙に包んだ焼きサバを運び、前垂れを取り広間の客となる。一升瓶を両手に下げた男衆が勝手知る家と「お世話にな~ます」と開け放たれた玄関をくぐり、広間の敷居のところで慇懃なほどの挨拶をする、まるで田舎歌舞伎俳優の口上のごとく。ここでも新規の若衆の紹介がある。

台所は大変だ。でっかい薬缶に一升瓶が注がれて火にかけられる。盆にお猪口と一緒に湯呑も重ねられ、別の盆に雑巾が積み重ねられる。かすかな緊張に動きも速やかさをます。

クライマックスは長老のお出ましと、本日の中心である家長が下座についたときだ。その時だけは台所も静かになる。家長のご出席いただいた礼の挨拶に長老が増々のご繁栄と健康を祝い、乾杯の音頭を指名された年老いた男が「私如き若輩者が・・」と遠慮気味に立つ。廊下に正座する女子衆の微かな音がする。新聞の時事放談から昨今の村の政治経済状況を語り、このままではと日本の行く末を憂い、しかしご長男さんの活躍がと長い口上があって乾杯となる。と、障子が一斉に開く。そこには白塗りした炭団子の母親と天日に干し晒された梅干しおばばを中心に、左右に年の順に明るい服に真っ白の割烹着のご婦人たちがお銚子をもって座っている。歓声が上がる。「別嬪さん」「女優みたいだが」「どこのおかかかね」「原節子さんかね」。なんと芝居じみた「よいしょ」宴会の始まりだろう。昭和の時代はこんな宴の始まりだった。

刺身に鯉のみそ焼き焼きサバ、酢の物、あえ物、野菜の天ぷら、煮物、野焼きとかまぼこ、大量の煮しめ(※)、などなど。これにすまし汁、赤飯、しょうけ飯、そば、餅。だれかが持ち込んだ他県の名産物と鶏肉に牛肉、あの頃珍しかったウイスキー。オートバイを飛ばしてきた男衆が魚をおろす。珍しい刺身に歓声が上がる。

※煮しめ  竹の子、フキ、ぜんまい、ワラビ、焼き豆腐、昆布、里芋、大根

さて、男衆に酒が回ると隣の部屋で女子衆の宴会が始まる。男衆に揶揄われて泣く若女子と慰める中年女子。正座して謝る男を冷やかすオヤジ、そのオヤジの妻がオヤジを叱る。そんな雰囲気を消すように、誰かが黒田節を歌い始める。それを契機に三味線や尺八が登場する。石原裕次郎が、舟木一夫が、ペギー葉山が、美空ひばりが飛び出す。

もうこんな宴会はない。村落共同体は崩壊し、あの煮しめのも商品となって店頭に並ぶようになった。しかし、母や女子衆たちが作った煮しめの味ではない。漬物小屋もなくなった。漬ける老婆もいなくなった。もうあの赤かぶ漬けも、ぬか漬けも、高菜も、沢庵もない。炭火焼きの串に刺した焼きサバだけだろうか。

悲しむことはない。そんな味を大切に引き継いだ人々がいる。島根はいいところだ。古民家に泊り、こんな食事で地元の酒が飲む。

島根のおもてなし、それは日々の生活の中で工夫され、守られ、伝えられた自然の味だ。奥出雲の「神々の食」、それは八百万の神がそだてた山の幸だ。

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