• ~旅と日々の出会い~
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奥出雲とともに  尾方豊

2015年の4月から2017年の3月にかけて、NHKラジオの「ラジオ深夜便 ~日本列島暮らしのたより~」のリポターをする機会がありました。

レポートは19回に及び、当時「奥出雲たたらと刀剣館」館長であったこともあり、奥出雲の「たたら」や「そろばん」、「神話」などを中心に奥出雲の自慢話をさせていただきました。

今回「しまねの国」の中で、当時のリポートを改めて紹介していただくことになりました。手元に残っているのは当時、ラジオで皆さんに「話しかける」ための原稿です。重ねての表現も多く、また情緒的な言葉も多いのですが改めて奥出雲からのリポートとしてお届けします。

2015年4月29日(水)金屋子神社へのはだし参り

島根県奥出雲町の尾方 豊です。

私は「奥出雲たたらと刀剣館」という、たたら製鉄の資料館で皆さんにたたら製鉄のことや町のことをご案内する仕事をしています。

先日、たたら製鉄に関わる皆さんと一緒に、製鉄の神様である金屋子神社に “はだし参り”に行ってきましたので、今日はその話をさせていただきます。

たたら製鉄というのは、粘土で築いた炉に、原料の砂鉄と燃料となる木炭をいれ、吹子で風を送り燃焼させ良質な鉄をつくり出す日本古来の製鉄法のことです。

733年に完成した「出雲国風土記」の中に、仁多郡、これは今の奥出雲町とほぼ同じ範囲ですが「それぞれの里で鉄が作られ、いろいろな道具を作るのに適している。」と書かれています。今から1300年前には、すでに盛んに鉄をつくっていた様子がうかがえます。

たたら製鉄の最盛期は江戸時代の後半から明治の初めにかけてで、中国山地一帯で全国の鉄の80%以上を供給していたといわれ、奥出雲地方はその中心となっています。

奥出雲町にある日刀保たたらでは、今もそのたたら製鉄が全国で唯一操業されています。目的は、全国の刀匠に美術刀剣の材料となる玉鋼を届けるためと、技術の保存伝承です。

さて、お参りをした金屋子神社は、そのたたら製鉄に従事する人々をはじめ,鍛冶屋さんや鋳物職人さんからも厚く信仰される鉄の神様です。今でも鉄鋼メーカーの皆さんもお参りされます。

はだし参りは、この日刀保たたらから金屋子神社までの片道10キロほどの道のりをはだしで往復するものです。

日刀保たたらが復活したのは、昭和52年のことなのですが村下(むらげ)と呼ばれるたたら製鉄の技術責任者の安部由蔵さんと、現在の村下の一人である木原 明さんがその成功を祈ってはだしでお参りになったのがきっかけだそうです。

今年も、木原村下さんの呼びかけで、30名あまりの皆さんが集まられ、遠くは新潟や北九州市からの参加もありました。

はだしで歩くという機会は全くありませんので、地面の冷たさや足に食い込む小石の痛さを感じながら、しかもできた血豆がさけての往復になりました。

私は今回が2度目の体験で、初めての時はその痛さだけが記憶に残っておりどうやって帰ってきたのかも覚えていないのです。今回は、「足の痛さにばかり神経を集中せず、周りの景観や自然に浸りながら歩いてみたらいい」というアドバイスを大切にしながら歩ききることができました。

砂鉄を採取した跡地につくられた美しい棚田や、古い水路などたたら製鉄の歴史を感じることのできるコースで意外と高低差もあり峠では山桜が満開、下ると藤の花が盛りを迎えているなど変化もありました。そして、鶯の声や流れる水音なども励ましてくれました。

金屋子神社では、92歳になられる宮司や氏子の皆さんが暖かく迎えてくださり、苦しいながらもとても清々しい気持ちになれました。 最後には、参加者一同での交流会です。木原村下は、はだし参りをした者たちの「同志的結合」という言葉を使っていらっしゃいましたが、鉄のかかわる人たちの熱い気持ちを感じることのできた一日です。

金屋子神社周辺
狛犬と金屋子神社
金屋子神社
裸足参り11月2日

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