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奥出雲とともに  尾方豊

 奥出雲町は、山間の小さな町ですが、たたらの鉄やそろばんをとおしていつも日本中につながっていた町です。情報の発信や交流の中で育ってきた町だと思っています。このことが、奥出雲の「田舎町なのに何か開放的なところがある」とか、「妙に文化的な印象がする町」といった評価につながっているのだと思います。

 随分前のことになりますが、私は、旧横田町でタイとの「そろばん交流事業」を直接担当していました。当時のキャッチコピーは「世界にはばたく雲州そろばん」で、「小さな町の地域資源を活かした国際協力事業」として紹介されてきました。しかし、町村合併もありなんとなく消えていった事業です。

 しかし、「そろばん」も、「たたら」も今でも世界に発信すべき価値を内在していると思います。そして情報の発信と交流こそが、奥出雲町振興のキーワードだと今も思っています。

 今回は、この雲州算盤の話を再掲します。

2015年8月19日(水)雲州算盤のまち奥出雲町

 8月8日は何の日かご存知ですか。8月8日のはちはち、とそろばんをはじく音のパチパチの語呂合わせで、全国珠算教育連盟が1968年に制定した「そろばんの日」だそうです。

 奥出雲町は、算盤の産地としても有名です。今でも年間数万丁の算盤を生産し全国のそろばん塾で学ぶ皆さんにそろばんをお届けしています。

 昔から「読み、書き、そろばん」といって計算力は基礎的な学力の一つといわれますが、そろばんの効果は単に計算力や暗算力が付くだけでなく、集中力がつくとか、論理的な思考が身につくとも言われています。また、数の仕組みを知るためには完成した教育用具だという方もいらっしゃり、今も、そろばんは人気の習い事の一つです。

 今日は、算盤の産地としての奥出雲町。そろばんを使った国際交流事業「世界に羽ばたく雲州算盤」という2つの視点でお話をしたいと思います。

 先ず算盤の産地としての奥出雲町です。

 現在、ここ奥出雲町の「雲州算盤」と、兵庫県小野市を中心とする「播州算盤」の二つの産地があります。この二つの産地は、古くから技術交流もあり共に日本の算盤を支えてきたところですが、雲州算盤は職人さんが一つ一つ手作りで入念な仕上げをする高級品としての評価が高いものです。

 算盤は四角い「枠」と、上が1個と下が4個 計5個の「珠」。その球をさす「芯」で作られています。枠の材料は黒檀、珠はカバ、ツゲ、ウメなどの堅い木で、軽快なパチパチという音は、堅い素材ほど澄んだ音がするといわれます。

 高級品の場合、芯には「すす竹」といわれる古い農家のわらぶきの屋根裏に使われ100年以上もかけて囲炉裏の煙でいぶされ、よく乾燥したものが使われています。

伝統工芸士の長谷川さん

 奥出雲の算盤製造の歴史は、今からの180年ほどさかのぼります。天保3年、1832年に地元亀嵩の大工、村上吉五郎さんがたたら製鉄を営む鉄師の帳場にあった広島県 芸州産の算盤を修理したのがきっかけといわれています。

 その後たたら製鉄による経済活動が盛んだったことや、算盤製造の工具、刃物になる優れた鉄が身近にあったことから、特に玉削りの技術が発達し明治6年ころには地場産業としての生産体制が整ったといいます。

 明治の中頃には全国各地に行商を行い、「雲州算盤」は全国ブランドになります。最盛期は昭和52年前後で、年間100万丁もの出荷を行っています。

 しかし、電卓の普及や、簿記の変化、帳簿がなくなりコンピューターにより画面上で処理をされるようになってくると、計算機としての役割は少なくなっていきます。

 最初に紹介したように、全国一の産地といいながら年間数万丁の出荷になっているようです。

 しかし、そろばん塾が続いているように、そろばんの持つ教育的効果は、今も注目されています。

 奥出雲町では、このそろばんの教育的効果を世界に広める協力活動を20年以上も続けています。今から25年前の平成2年にそろばんの活用についての全国アンケートを行ったことがあります。その際、町の中では「そろばんを通じて地域の歴史に誇りをもとう。」そして、外部に対しては「そろばんの優れた教育機能を世界に発信してはどうか。」というアイディアが寄せられました。

 そこで、算盤業界と町が協力しながら、中学生をそろばん大使としてニュージーランドやタイ王国に派遣する活動を15年間続けました。また、そろばんを学ぶ外国人の受け入れも積極的に行い、ハンガリー、ブラジル、タイなどから多くの人が訪れています。

 特にタイでそろばん普及を担う指導者養成などの国際協力事業を、全国の皆さんの協力を得ながら行ってきました。奥出雲町はそろばんの町ですので、①そろばん(という教具)の提供。②テキストの提供。そして③指導者養成への協力。を事業の柱としてきました。

 今は、町の合併や相手国からのリクエストの縮小などで、奥出雲町国際交流協会を窓口として、希望する国にそろばんを提供することが中心となっています。

 近年「考えるそろばん日本普及会」という会の皆さんがハンガリーのそろばん教育への草の根協力・交流活動を続けていらっしゃいますが、奥出雲国際交流協会はその事業に積極的に協力しており、毎年ハンガリーで行われているそろばん大会に地元の算盤業者さんから寄贈された算盤を、考えるそろばん日本普及会の皆さんの活動をサポートする形で届けています。

 たたらと同様に奥出雲の人たちの暮らしを支えてきたそろばんが、新たな教育機器として評価され世界に広まっていくことはとても夢のある事業だと思います。

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