藤岡大拙
平安時代の不思議なできごとの第三は、神賀詞奏上が中止になったことである。神賀詞奏上とは、出雲国造(出雲では清音)が代替わりに、朝廷へ参向して位記(辞令)を頂戴し、天皇の御前で神賀詞という祝詞を奏上するもので、全国で出雲国造のみが行う儀礼である。他国の国造の場合は、それぞれの国衙において、国司から位記が渡された。そのため、出雲国造は特別待遇を受けていると考えられていた。
何故、出雲国造だけが殊遇されていただろうか。そのことを考える前に、神賀詞奏上について述べておかねばならない。
出雲国造家では、現任国造が死去すると、嫡子は新たに国造に任命してもらうため、国司の引率のもとに、一族郎党を引き連れ、朝廷に参向し、左大臣から位記を授けられ、天皇から負幸物を賜って帰国する。負幸物の中身は、こがね作りの大刀や糸・絹・鍬などであった。
こうして辞令をもらって帰国した新国造は、天下晴れて国造になれたのではない。帰ると直ちに一年間の物忌に入らねばならない。何処で物忌したかは明らかでないが、とにかく一年間の物忌が終わると、国造は神賀詞を奏上するため、一族郎党二百余人とともに、国司に引率されて再び朝廷に参向するのである。この時の献上品は、幸い延喜式の「臨時祭式」によって判明する。それによると、玉六八枚、金銀装横刀、鏡、倭文、馬、白鵠(オオハクチョウ)などであった。
さて、朝廷に到着すると、国造は神賀詞を奏上する。この時、天皇が出御臨席され、奏上を聞かれる。この神賀詞という祝詞は、延喜式に収録されており、その内容を知ることが出来る。加藤義成氏は、国引きの詞章とともに、古代出雲人が生んだ二大文学だとして高く評価されている。内容は、アメノホヒ以来、代々の出雲臣は朝廷に忠義を尽くしてきたこと、自分も国造になったからには、忠義を尽くす覚悟であること、そして天皇の聖寿萬歳を祈ることなどである。
奏上が終わって帰国するときには、国造はじめ同行の者に賜い物がくだされる。こうして帰国すると、晴れて国造になれるかというと、そうではない。さらに一年の物忌が待ち受けているのである。
二度目の物忌が終わると、再び一族郎党を引き連れて上京、天皇の御前で、前回と同様神賀詞を奏上し、帰国して漸く出雲国造になれるのである。何故、出雲国造はこのような扱いをうけたのだろうか。
戦前には、恩賞説が強かった。ほとんど無抵抗のうちに国を譲ったことへのご褒美として、特別待遇を受けたというのである。しかし、戦後は評価が違った。二年にわたる従順を強いる物忌、多勢を動員して上京させる莫大な経済的負担、それらを考えると、優遇とは正反対の服属儀礼ではないかという説である。
出雲国造の祖神はアメノホヒという天つ神である。古事記によれば、国譲りの使者として葦原中国(出雲世界)に下りながら、「大国主神に媚び付きて、三年に至るまで復奏さざりき」であった。つまり、アメノホヒはオオクニヌシに阿諛して、任務を遂行せず、復命もしなかった。高天原側にとってみれば、アメノホヒの行為は、許しがたい反逆である。こうして、アメノホヒは記紀神話のなかで、裏切者、反逆者のレッテルを貼られることになった。その後裔が出雲国造である。かくして出雲国造家は、朝廷に対し、自ら背負わされた不名誉を雪ぐべく運命づけられたのである。出雲国造は中央権力の狡智な計略にかかって、ひたすらアメノホヒの無実と、歴代国造の忠節ぶりを披瀝しなければならなかったのである。
神賀詞にはそのことが籠められていた。まさに服属儀礼と言っていいのではないか。
このような神賀詞奏上が、史料上判明するだけでも、霊亀二年(七一六)出雲臣果安の奏上から、天長十年(八三三)出雲臣豊持の奏上まで、九回におよんでいる。かなり記録もれもあると思われるが、奈良時代から平安初期まで続いている。
問題は天長十年豊持奏上後、史料上から消えることである。この点について、瀧音能之氏は、二つの解釈があるとし、次のように述べている。「一つは、これ以後出雲国造神賀詞の奏上は行われなかったとする解釈。もう一つは、これ以後も奏上はされたが、儀礼として整備・定着したため、記録には載らなかったとする解釈である」(『古代の出雲事典』)。現在は後者の解釈が有力のようである。確かに天長十年以後にも、奏上を推定させるような史料があるという。しかし、筆者は早晩打ち切られたものと考えたい。というのは、先述の如く神賀詞奏上は服属儀礼であったから、出雲国造家にとっては、名誉というよりむしろ屈辱的ではなかったろうか。しかも、平安中期に向って、平安政府は出雲大神の霊威を恐れて、社殿を次第に長大化させている。そのような時に、神賀詞奏上を要求することは、出来なかったのではなかろうか。神賀詞奏上の中止は、杵築大社神殿の長大化と連動した出来事であった。
次回は、杵築大社の巨大化についてお話したい。
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