藤岡大拙
前回まで、島根の歴史のなかで、重要な問題だが、十分解明されていない点を四つ挙げた。いずれも日本史研究の上で軽視できない問題であるが、そう簡単に結論の出るものではない。今後の研究を待つことにしたい。
さて、四番目の謎として取り上げた出雲阿国は、生国は出雲で、杵築の大社(現在は出雲大社という)の巫女だといわれているが、この大社こそは、島根の、特に出雲国の歴史において、決定的な役割を演ずる存在である。しばらく、その杵築の大社についてお話してみたい。
平安末から鎌倉初期にかけての歌人に、寂蓮法師なる人物がいる。寂蓮(?~1202)は俗名を藤原定長と言い、新古今和歌集の撰者にもなったほどのすぐれた歌人である。伯父藤原俊成の養子となったが、俊成に定家らが生まれたので出家し、西行を慕って行脚の旅にでた。彼が出雲にやってきたのは、没する建仁二年七月二十日より、そう遠くない頃であった。その当時、杵築大社の南方を流れていた出雲川(現在の斐伊川)を渡って、大社に参詣したと思われる。寂蓮はその時、弥山(四九五㍍)の西麓にそびえたつ杵築大社の神殿を見上げた。
出雲の大社に詣て見侍ければ、天雲たなびく山のなかばまで、
かたそぎ(片削ぎ)のみえけるなん、此世の事とも覚えざりける
と、まず第一印象を書き留めている。片削ぎとは、社殿の屋根の前後に設置されている千木の先端が、垂直に削られている形で、男神を祭神とする神社の千木の形態だといわれているが、確証はない。杵築の大社は片削ぎである。
弥山にかかる雲の中ほどまで、社殿の片削ぎの千木が見え隠れしている。その壮大さは、まさにこの世のものとも思われないほど圧倒的なものであり、祭神の霊威もまた偉大であった、と記している。寂蓮は日ごろ京都の東寺の五重塔(約五五㍍)や祇園八坂の大塔(約四六㍍)など高層建築を見ているはずだ。それなのに、「此世の事とも覚えざりける」と言ったのは、塔とは違い、社殿のボリウム感、そして一町(約一一〇㍍)にも及ぶ長大な階の壮観さに圧倒されたからに他ならない。
寂蓮はその驚愕の思いを込めて、次のように詠んだ。
やはらぐる光や空にみちぬらん
雲にわけ入るちぎのかたそぎ
この当時は神仏習合の時代であり、杵築大社の御祭神はオオクニヌシの神からスサノオの命に変わっていた。そして勢至菩薩の垂迹とみなされていた。勢至菩薩は阿弥陀如来の脇侍で、智慧の光で衆生を救う慈悲の仏である。荒ぶる神スサノオは、習合によってやさしい神にイメージ・チェンジしていた。寂蓮は荒ぶる神威を和らげたスサノオを、社殿のように大きな慈悲の神格と見なしたのである。
とにかく、都人を驚かせる壮大な社殿であった。寂蓮より三百年ほどさかのぼった平安中期、すなわち十世紀の頃も、寂蓮が見た社殿と同じ規模だった。天徳元年(九七〇)源為憲という公家が作成した『口遊』という書物に、大屋之誦(大きな建物の数え歌)が載っている。それによると、「雲太・和二・京三」とある。同書によると、一番大きな建物は杵築の大社の社殿、二番目は大和東大寺の大仏殿、三番目は京の大極殿だという。平安時代の大仏殿は、高さが十五丈(約四五㍍)だったといわれる。杵築の大社はそれよりも高かったのである。
東大寺大仏殿は、治承四年(一一八〇)平重衡によって焼失したが、重源上人らの努力によって、建久六年(一一九五)落慶供養が行われた。寂蓮は焼失以前の大仏殿も、以後のそれも、わが目で見たに違いない。そして、その壮大さに感嘆したであろう。その大仏殿よりも、杵築の大社の神殿は大きかったのである。もし、それが事実なら、寂蓮が「此の世の事とも覚えざりけり」と驚愕したのも当然であった。
杵築の大社の伝承では、社殿の高さは「上古三十二丈、中古十六丈、そして今八丈」と伝えられている。中古、すなわち平安時代には、十六丈(四八㍍)だったと。「まさか」「伝承に過ぎない」そんな声が圧倒的だった。
ところが、平成十二年大社境内の発掘調査によって発見された柱根によって、巨大建築の実在が証明されたのである。直径一㍍の杉材を三本束ねて鉄の帯でバインドしたものを一本の柱とする巨柱根が発見されたのである。現在、この巨柱根は、出雲大社の東隣、島根県立古代出雲歴史博物館のエントランスに展示されている。
かくして、杵築の大社(出雲大社)にまつわる数々の謎が浮かんでくる。いったい、杵築の大社はいつから巨大な社殿になったのか。なぜ巨大になったのか。なぜ僻遠の出雲に日本一巨大な神殿が建築されたのか等々の疑問が、とめどなく涌き上がってくるだろう。出雲の古代史の面白さはここにある。われわれは、その一つひとつを明らかにしていかねばならない。
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