収録・解説 酒井 董美 イラスト 福本 隆男
語り手 伊藤アキコさん( 明治38年生)
(平成5年7月4日収録)
とんとん昔があったげな。
たいへんな親方の家と貧乏人の家が近所にあったげな。
その親方の家では下男や下女を使ってにぎやかに暮らしておられるし、貧乏な家では家族が多いけれど食べ物がなくて、それでその親方の家の朝飯が終わったころになると、羽釜を借りに行っていたって。そしてそれを借りに行くと、まだ羽釜は洗わずにあるから、その洗わないのを借りて帰っては、また、洗って持って来て返していた。
そうして貧乏人の家からは毎朝、羽釜を借りに来るので、あるとき、その女中さんたちが、
「まぁず、こんなおばさんは羽釜借りぃ毎朝来うが、そっときれいに洗っちょったらどげなだらかい」と言って、それから洗っておきました。そうしたら、それからも借りに来るけれども洗った釜ばっかりなので、中の残りがありません。それから二、三日もしたら、羽釜を返しに来なくなったそうな。
親方の家では、
「羽釜もどしだり来んだが、なしてだぃだら」と言って、貧乏人の家へ行ってみたら、みんな死んでいたそうな。 貧乏人の家では羽釜をだいじにして、ご飯を取った後を、お茶でも少々も入れて、縁(へり)をシャモでなでて、その汁は飲んでいた。その汁というものは精(栄養)になるものだからね。
それで物をだいじにしなければならないということです。
それでこっぽし。
『羽釜借り』の話は短くて、語り手の伊藤さんの語りと「あらすじ」はほとんど同じ長さである。最初に申し上げておく。
さて、なんとも哀れな話である。貧乏人の家では、金持ちの家の食べ終わった羽釜についている残り物のご飯粒を食べて、飢えをしのいでいたというのである。かつての貧しかったわが国の生活の一断面をしのばせる話であろう。
筆者も以前、同類の話をどこかで聞いた記憶がある。それがどこの地区だったか忘れてしまい、特定できないのが残念である。しかし、同じ話は語られていたわけで、かつての農村などで広く伝わった話ではなかろうか。
経済大国となった現在のわが国の実情からは、あまり考えられない内容だが、比較的最近まで、懸命に働いていても毎日の食事に事欠く、そんな貧しい家庭は意外と多かったのではなかろうか。
おごり高ぶりすぎた今日、この話を噛みしめ、飢餓に苦しんでいる人々に思いをはせ、謙虚な心と優しさをわたしたちは持ちたいものだと思う。