• ~旅と日々の出会い~
SNSでシェアする

21.「金屋子さんと鍛冶屋さん」邑智郡美郷町都賀本郷

収録・解説 酒井 董美 イラスト 福本 隆男
語り手 高橋ハルヨさん( 明治40年生)
(昭和49年7月29日収録)

あらすじ

昔、鍛冶屋さんがあった。旅人がその鍛冶屋へ行って、
「泊めちゃんさらんか」と頼んだけれども、
「これには親父が死んで、まことに騒動しとるとこだけえ、泊めてあげたいが、それはできません」と言う。
「そいじゃあ、も一軒先へ行ってみようかい」と旅人が一軒先へ行って宿を頼んだら、
「これにゃ子が産まれたけえ、人を泊める場じゃあありませんけえ、よそへお願いします」。
こう隣の家でも断わられた。
「はあ、そうかな。そいじゃあしかたがないけえ、鍛冶屋にゃ親父が死んじゃあおるが、泊めちゃろう言うてもろうたけえ、そこで泊まらしてもらおう」と言って、旅人がそこへもどって泊めてもらったという。
実はその旅人は鉄の神さんである金屋子(かなやご)さんだった。そのようなわけで金屋子さんというものは、昔から産まれ日は嫌いだが、死に日が好きだというんだげな。

解説

「金屋子さん」とは「たたら静鉄」の神さんのこと。若い方にはお分かりいただけないと思うが、古代から中世にかけて発展した製鉄方法で、原料の砂鉄を窯に入れて木炭で熱して精錬する方法を「たたら製鉄」という。

この神は、死の忌みは嫌わないが、血の忌みは徹底的に嫌う言い伝えがある。
島根県教育委員会発行の昭和42年度の民俗資料緊急調査報告書の『菅谷鑪』によれば、「萬一家にいた時出産に遭ったら男子出生の場合は三日間、女子の場合は七日間たたら場へ出ることはできなかった。だから出産が近づいたとみると、たたら職人はたたら場に寝泊まりした。家人もまた産後男子は三十一日、女子の場合は三十三日の初参りがすむまでは、たたら場へ近づくことは禁ぜられた。」(65-66ページ・牛尾三千夫氏執筆)とある。
この昔話も、こんな信仰が基盤となって成立している。

録音状態がやや悪く、また最後のところが切れているが、貴重な内容なので紹介することにしたものである。

この話は、語り手の高橋ハルヨさんのご自宅でうかがった。調べてみると高橋さん宅へは昭和31年と48、49年の夏の3回訪問している。昔話だけでなくわらべ歌や田植え歌もきいた。また、こんな風習も話していただいた。昔話は正月によく聞き、仲間内で語る際はコヨリに火をつけて回し、火が消えたらコヨリを握っている者から語るという。まるで古代信仰をうかがわせるような話だった。

出雲かんべの里 民話の部屋 「金屋子さんと鍛冶屋さん」

→「文芸のあやとり」に戻る

→「自然と文化」に戻る