収録・解説 酒井 董美 イラスト 福本 隆男
語り手 福岡エンさん( 明治26年生)
(昭和51年5月8日収録)
とんと昔。ここの奥山からこの里へ雪が降るころ山姥(やまんば)がこっちの旧家の上(かみ)いうとこへ下って来よった。
こっちにはまだ昔に糸類がないだけん、その人が麻を作たって、その皮をはいで右の手でちぃと裂いて、左の手でテガラをこしらえて、車でよりをかけて糸をこしらえて、機をこしらえることも習わすっし、魚を釣るテグスをこしらえよった。
何月来ておっても、雪が溶けるやあになっと、姿を消して、山へ逃げてしまいましよったとね。
また、明けの年、雪が積もるようになっと、またその山姥は下って来よったということでござんした。
海洋性気候地帯に属する隠岐地区は、冬でもあまり大雪は積もりません。そのため「跡隠しの雪」のような昔話に出会うことはありませんでした。ところが、雪に関わる山姥伝説を聞くことができました。
お話をきいた小字名は波止の福岡エンさんは、隠岐の海そのもののような爽やかな明るい方でした。
山姥といえば、「牛方山姥」に出てくる牛方を襲ったり、「天道さん金の鎖」に見られる母親を食い殺し、さらにその子どもまで狙ったり、ほとんどの山姥は、恐ろしい妖怪的存在が多いものです。ところが、この島に伝わる山姥は、優しくて親切です。里人に機を織ることを教え、また、四方海に囲まれ海の幸に恵まれたこの里に、釣糸のテグスの製法を伝授するのです。まるで生産の女神、あるいは漁業の女神とでもいえそうな健全な山姥です。
山姥は雪が降り始めると里にやって来て、人々に幸せを授けます。春に雪が溶け出すと、いつの間にか山に帰って行くのです。
この山姥は、新年になるとどこからともなくやって来て人々に年玉を与える「正月つぁん」という正月神とどことなく似ています。
島前地方のこの神は、海のはるか彼方から西ノ島の三度(みたべ)地区に上陸し、そこから各地区へ出かけます。かつて、子どもたちに唄われた「正月つぁん」歓迎のわらべ歌によっても証明できます。例えば西ノ島町三度の万田半次郎氏(明治19年生)によるとこうです。
正月つぁん 正月つぁん
どこから おいでた
三度の浜から おいでた
徳利に酒入れ
重箱に餅入れ
とっくりとっくりござった
こんな詞章だったと教えていただきました。
この歌には直接、雪との関わりは見られませんが、雪とは無縁ではない隠岐島の正月の神です。この男神は雪の降りしきる新年に、常世の国から海を渡って来訪されると考えられます。
正月に来臨する正月神と雪のある間に山から来てこの地に滞在する山姥とは、実に好一対をなす男女の神ということになります。筆者はこのことに一人秘かに微笑しています。
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