• ~旅と日々の出会い~
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49.「天人女房」隠岐郡隠岐の島町飯田

収録・解説 酒井 董美 イラスト 福本 隆男
語り手 井上正男さん( 明治25年生)
(昭和55年8月12日収録)

あらすじ

 昔。飯田集落に中根という家があった。ここに少し人のいいオジ(独身の弟)がいた。松明(たいまつ)をこりに飯田の東谷の畑へ行った。東谷には池があって娘さんが四、五人水浴をしていたのでオジは一人の着物を盗ってヤマ(畑)へ隠し家へもどってしまった。

 その年の秋になって、旅の若い女がやって来て泊まるが雨が続くので、そのまま嫁になった。

 そのうち、子どもができる。子どもも成長したところ、オジは子を負って畑へ行った。

 お母さんが子どもに聞いた。
「おまえは、ちゃんちゃ(お父さん)に負われてどこへ行く」「神さん拝みに行く。お父さんはその神さんの中からりっぱな着物出いて着ての、そいかぁ舞ってみる。そしてまた元のところへ片づけてもどってくるわな」

 お父さんが留守のとき、お母さんは子どもを背にそこへ出かけたら、それこそ自分の着物だった。お母さんはそれを着て、子どもを負って舞い上がったけれど重いので帯をほどいて子どもを下に降ろした。

 お父さんがもどって来てから、その話を聞いてびっくりしていたけれども、自分が悪かったのでしかたがなかったそうな。

 そして元々かど貧乏で困っていたところが、子どもが家の門かへど 出て、空を見ながら、空へ向いて拝むと門へ米の俵がいくつも置かれているそうな。なんと飯田の者はみんなびっくりしてしまった。

 時代が下って明治六年になった。前中根でも名字をつけることになって、この昔話があるので「池添」という姓にした。

 ところが、子孫に。知恵の足らない者が生まれるので調べると、天神さんという神さまを粗末にしてはいないかということになった。前中根のオジが天の娘さんの着物を祭っていた神さんだそうな。しかし、それがどこにあるか今はよく分からなくなってしまい、知っている者もいない。そこで現在、中根ではスヤ(木製の小さな社)をこしらえ西郷の町の天神さんからお札さんをもらって納め、それを拝むようになった。それはここの奥の宮さまに祭ってあるわけだ。

 それでスッペラポン。

解説

「天人女房」の話は各地で聞くことができる。井上さんの話では、池添家の先祖になるところが特徴だ。また、着物を盗られた女が来て泊まり、翌日から雨が降り出発できままに嫁と収まるところや、残された子供が天に向かって拝むと俵が授けられるなども独特な話だ。

鳥取県倉吉市の打吹山命名の元は、「打吹山の天女」として知られている。天人女房の話が伝説化したものだ。昨年7月分で紹介した松江市美保関町の類話「七夕の由来」でも、七夕由来が語られている。

同じような話でも地区が違えばそれぞれ独自の味わいを示し、独自なかたちで伝承されている。

出雲かんべの里 民話の部屋 「天人女房」

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