• ~旅と日々の出会い~
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50.「小僧の化け物退治」仁多郡奥出雲町大呂

収録・解説 酒井 董美 イラスト 福本 隆男
語り手 安部イトさん( 明治27年生)
(昭和47年2月26日収録)

あらすじ

 とんと昔があったげな。

 昔、あるとこに小僧さんと和尚さんとおったげな。

 和尚さんが「小僧、われも修業に出て帰れ」言った。そして小僧に次の三つの注意を与えた。「忙しかったら、手を出せ」「大木の根より小木の根」「大間より小間、小間より下段」。

 小僧が行きたげなら、雨が降り出して、人が忙しげに洗濯物入れておったから、「忙しかったら、手を出しぇな」と思って手伝いしたら、大変に喜ばれた。ずっと行っていたら、雷が鳴って大雨が降って大きな木の根元に立てっていたけれども、「小木の根に立つかな」思って、小木の根に立っておったら、大きな木に雷が落ちて焼けたげな。

 それからまた行って、暮れたものだから、「泊めてください」て頼んだら、「このそらの寺には、和尚さんが来さえすりゃ、化けもんが取って食ってたまらんけん、あそこへ行きてみさっしゃい。飯はうちで食わしてあげえけん」言った。

 それから、そこで夕飯を食べて、大間に座っておったが、「大間より小間てて、言っちょらったが、」と小間へ入っておったら、化けもんががたがた言わしてアマダから出たげな。今度は、「大間より小間、小間より下段」言わっしゃったけに、そこへ入っていたら、化けもんが三つも寄って、それから、いい火焚いて当たって、「これから尋ねば あぇずか」言って 「たった今、ことこに生くさ坊主がおったがなぁ」言って尋めるげな。それだけれど、下段に入っておって、尋める間に夜が明けて、化けはみんな逃げてしまった。小僧さんが、鐘ゴーンゴンついたげな。

 そうしたら、鍛冶屋みたいなとこの衆が、「夕べは小僧さんが取られんだったぞよぉ」言って喜んで、寺へ駆けつけて、「どげだったかね、小僧さん」言ったら、「化けが出えことは出たども、下段の下へ入っちょったら、みんな逃げたけん、今日は化け退治しようじゃないか」言って、「アマダへ上がってみしゃっしゃい。化けがおぉけん」。周りの衆を誘ってアマダへ上がって、「こに椿の木のカケヤがああますわぁ」「そぉだ。そぉが化けだ」言って「外から来た奴は、西の方の竹山へ行ってみさっしゃい。何ぞおぉけん」   そこに鶏がおった。その側に池があって、その池の鯉を捕ってきて、鯉とその鶏と椿のカケヤが化けもんだったげなで、みんな退治して、その椿のカケヤなんか割って焚いたら青火が燃えた。

 近所の檀家のもんが寄って、「小僧さん、ここの住職になってください」って頼んで、住職にしてもらって、それから地元の方丈さんに手紙を出したら、方丈さんが大変喜ばれたという話で、昔、こっぽし。

解説

関敬吾『日本昔話大成』で調べると、本格昔話の「愚かな動物」の中にある「化物寺」が相当する。「あらすじ」ではかなり割愛しているので、QRコードでみごとな安部さんの元の話をお聴きいただきたい。

編集部より
子どものころのこと。大呂のとあるお寺で、この昔話を聞いた。「横田弁」が懐かしかった。「出雲弁」とまとめていうが、出雲弁は細かく分かれ、平田や出雲、松江とは奥出雲(仁多郡)は随分違う。奥出雲でも、旧仁多町と旧横田町でも語尾のニュアンスが異なる。もちろん年齢によっても異なる。

この昔話を聞いて、子どものころに聞いた横田弁を思い出した。美しく響きのある老婆の言葉だった。

QRコードの話を聞いてつい思い出した次第です。

出雲かんべの里 民話の部屋 「小僧の化け物退治」

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