• ~旅と日々の出会い~
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52.「産神問答」隠岐郡海士町保々見

収録・解説 酒井 董美 イラスト 福本 隆男
語り手 徳山千代子さん( 明治37年生)
(昭和47年2月26日収録)

あらすじ

 昔々、遍路さんがサイの神さんのところで休んでいました。

 さて、夜中になって、「サイの神さん」と起こす者がおりました。箒(ほうき)の神と檐桶(たご)の棒の神でした。「村にお産がある。時間になったから、サイの神さん、行きましょうや」「そんな一緒に行くだわい」。神さんたちは村へ下って行き、夜明けに帰ってきた。遍路さんが聞き耳を立てていると、「よかった。お産は無事にすんだけど、男の子の方は気の毒だいど、しゃあがねえだな」「女の子は、がいに幸せな子で、一日に塩を三合も使う身分を持って生まれとるけど、男の子は一年に一合の塩を使うだけしか運を持っておらんが、しかたがねえだわい」と話し合っていたそうです。

 遍路さんは、「おかしなことを言うわいな。わしゃ夢見ちょっだらあか。とにかく聞いてみら分かっだけん」と、それから村へ下って「夕べ、この村に産がありましたか」と聞いたら、「ありました。男の子と女の子と生まれて、女の子の方は、特にいいとこの子でもないけれど、男の子の方は、とてもいいとこの子だ」と話してくれたそうです。

 何年も経ちました。遍路さんは、神さん の言ったことを確かめようと、その村へ行きました。そうしたら、男の子は死んでしまってもうおりませんでした。しかし、女の子は酒屋の嫁さんになり、とても繁盛しておりました。村の人に男の人のことを聞きますと、 「身体が弱いでもないのに、することなすことが、いい方へ向かんで、乞食のやあな生活しとって、酒屋さんの嫁さんが同じ年の同じ日に生まれたいうで、兄弟のようにかわいがって、いつも握りして食わしたりしちょったに、旦那さんが奉公人にも示しがつかんし、家へ入れて食わすっことはならん、言われて、しかたがないだけん、風呂場へ連れて行って、火焚くとこの釜の前へ座らして、そこでいつもご飯食べさしておったのに、け、こっとり死んだとえ。その女の子の方は墓立ててやって、今でも祀ちょとえ」と話してくれたそうです。

 ですから、人間はいつもいいことしなければいけませんよ。ことに女の子は子どもを生むとき、箒の神さんも檐桶の棒の神さんも回り荒神さんも、みな寄ってこられなければお産はできないのだから。ちゃんと扱わなければいけませんよ。

解説

 この話は本格昔話の「運命と致富」に属し、「産神問答」の名前で分類される。さらに、男女の福分型、炭焼きの子型、虻と手斧型、水の神型に分かれている。徳山さんの話は「男女の福分型」に属する。

 サイの神とは集落の境に祀られている神で、道祖神ともいわれる。集落を守護し、集落に子どもが生まれるおり、運命を決める役割を持っている。因幡では縁切りの神で、嫁入り行列はその前を避けて通る。伯耆では縁結びの神と対照的な神の性格とされている。いろいろあっておもしろい。

出雲かんべの里 民話の部屋 「産神問答」

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