収録・解説 酒井 董美
語り手 池田重哉さん( 大正14年生)
(昭和35年7月18日収録)
昔、あるところにたくさんに焼っ米(こめ)を食べる男が二人ほどおりました。それである家へ焼き米つきに雇われました。
焼き米をついてしまったら、そこの主人が、
「おまえら、よう焼っ米を食べるけえ、しっかり食べえ」と言った。そして一人の男に、
「どのぐらい食べるか」と聞いたら、
「一升ぐらいは食べる」と言うし、もう一人の男は、
「二俵食べる」と言う。
「それなら好きなだけ食べえ」と言うと二人は、たいそう喜んで焼っ米を腹いっぱい食べたそうです。そうしたところ、なにしろ焼き米のことなので、とても腹が大きくなって、どうもこうもならんようになったので、一升食べた男は戸口へ出て、干し大根の下げてある縄を腹へ巻いて、その干し大根を一本ずつ取っては腹の周りにどんどん下げて、身体中にそうして帯で巻いても辛くてならんから、うなって寝ていたそうです。
それからもう一人の二俵ほど焼き米を食べた男は、向こうの方にある一反ほどの荒(あ)れ畑(ばたけ)を大三(おおみ)つ鍬(ぐわ)を持って夜明けまでパクリパクリ打ち返し、とうとう一反全部を済まし、また腹が減って、
「焼っ米を食べさせてくれんか」と言ったくらい元気になりました。
けれども、もう一人の干し大根を下げた男はどうしたのかと思って行ってみたら、腹が大きくなり、張り切って死んでしまっておったそうです。
筆者が民話収録を始めたばかりの頃、うかがった話である。語り手の池田重哉さんに話の由来を聞くと、益田市匹見町道川で聞いたとのことだった。
昔話というよりは、世間話に分類したがよいと思う。ただ全体を流れる考えは、怠けることを戒める教訓を秘めていて、昔話の精神に通じるものがある。
ここに登場する焼き米であるが、新米を火で調理して作る。まず農神さまに供える風習が以前はよく見られた。
そのような信仰を背景に話を考えると教訓がみえてくる。腹一杯焼き米を食べ、仕事をほったらかしにして寝てしまった男は、神様からの怒りをかい、死んでしまった。もう一人の男は、食べ終わった後も、元気いっぱい張り切って働いたので、神様も認め生存を許された。
その後、同類の話に出会ったことはない。