収録・解説 酒井 董美
語り手 田中ユリ子さん(大正8 年生)
(平成4年8月26日収録)
吉賀町抜月(ぬくづき)の欅(ケヤキ)の話。昔、ヤクロ鹿の骨を埋めたところに生え、伐ってはならぬと言われていた。
昔、偉いお方だった親方さんが、
「月和田があの木が目ざわりで見えん。蔭をするけえ、伐ってしまえ」と言われたので、木挽きたちが集まって伐り始めましたけれど、明くる朝、元通りになっています。三日伐っても、朝元通りになっていますから、木挽きたちが恐れて、
「木を伐ることはやめさしてください」と頼んだそうです。
親方さんは見張りを立てさせ。木挽きにケヤキを伐らせました。
夜、見張りが見ていますと、白い髪をして白い直垂(ひたたれ)を着たおじいさんたちが七人も出てきて、何とかぶつぶつ言いながら、コケラ(木の伐り屑)を拾ってひっつけています。明くる朝。木は元になっていました。
親方さんは非常に怒って、
「コケラを焼いて、夜も昼もいっときも休まんこうに手斧(ちょうな)を打ち込め」と命令したそうです。
親方さんの言われることなので、二日二晩伐り、三日目に伐り倒したのです。そのときに、切株のとこから七人の直垂を着た小人が、煙のように出てきて、嘆いてどこかへ行ってしまいました。
コケラを焼いた人が夜見たら、七人の小人たちが、コケラの灰を、手へすくって嘆いているそうです。
「許してつかあさい…」と焼いた人が、家の中へ転げ込み具合いが悪くなり血を吐いて死んだそうです。
それから雨が長く長く降り、上がってから見たら、切株に芽が一尺ぐらいも伸びていたそうです。
木樵りに携わった人は三十人ぐらいたけれど、みな気がおかしくなり、苦しんで死んだりしてしまいました。そして、命令した親方さんはどうしたかといえば、夜も昼も、
「熱い熱い熱い熱い。わしを冷やせ」と言って、水を飲ませると煮え湯のようになり、七日七夜も苦しむので、年寄りが心配して、灰のところでお経をあげ、それから切株へは御幣を立ててお祭りをしたそうです。親方さんは、「熱い、熱い」と言いながら、とうとう死んでしまわれましたが、身体は燃えさしのように黒うなっておられたそうです。
ですから、いくら権力があっても、人がいけないと思ったときにはしてはいけません。お天道さまをまっすぐに見られるように生活しなければならないのです。
田中さんの話では、木を伐り倒す方法は親方の考えで行うことになっており、鳥や木の会話から知るという戸籍の原則からは少し距離がある。また、木の精ともいうべき直垂を着た七人の老人が現れたりなど、なかなか手の込んだ舞台装置が準備されていて、スケールの大きい話になっている点でも、戸籍からは離れている。
ところで、この話は鹿足郡吉賀町抜月地区にあるケヤキの話と、はっきりと地名が述べられている。このように事実あったこととして語られている話は、民話の分類からいうと「伝説」になる。