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81.「焼き米を食った男」浜田市三隅町芦谷

収録・解説 酒井 董美 
語り手 池田重哉さん(大正14年生)
(昭和35年3月18日収録)

あらすじ

 昔、あるところにたくさんに焼っ米(こめ)を食べる男が二人ほどおりまし た。それである家へ焼き米つきに雇われました。

 焼き米をついてしまったら、そこの主人が、

「おまえら、よう焼っ米を食べるけえ、しっかり食べえ」と言った。そして一人の男に、

「どのぐらい食べるか」と聞いたら、

「一升ぐらいは食べる」と言うし、もう一人の男は、

「二俵食べる」と言う。

「それなら好きなだけ食べえ」と言うと二人は、たいそう喜んで焼っ米を腹いっぱい食べたそうです。そうしたところ、なにしろ焼き米のことなので、とても腹が大きくなって、どうもこうもならんようになったので、一升食べた男は戸口へ出て、干し大根の下げてある縄を腹へ巻いて、その干し大根を一本ずつ取っては腹の周りにどんどん下げて、身体中にそうして帯で巻いても辛くてならんから、うなって寝ていたそうです。

 それからもう一人の二俵ほど焼き米を食べた男は、向こうの方にある一反ほどの荒(あ)れ畑(ばたけ)を大三(おおみ)つ鍬(ぐわ)を持って夜明けまでパクリパクリ打ち返し、とうとう一反全部を済まし、また腹が減って、

「焼っ米を食べさせてくれんか」と言ったくらい元気になりました。

 けれども、もう一人の干し大根を下げた男はどうしたのかと思って行ってみたら、腹が大きくなり、張り切って死んでしまっておったそうです。

解説

 筆者が民話収録を始めたばかりの頃に聞いた話である。

 昔話というよりは世間話に分類できる。話の流れは、怠けることを戒める教訓を秘めているので、昔話の精神に通じるものがあることも確かである。ただ、その後同類の話に出会ったことはない。

 語り手の池田重哉さんに話の由来を聞くと、益田市匹見町道川で聞いたと話しておられた。

 焼き米は、新米を火で調理して作る。まず農神さまに供える。以前はよく見られた風習である。

 そのような信仰を背景にして、この話を考えると頷ける。

 腹一杯焼き米を食べ、仕事をほったらからしにして寝てしまった男は、神様からの怒りを買い、生きることを許されずに死ななければならなかった。もう一人の男は、食べ終わった後も、元気いっぱい張り切って働いたおかげで、そのけなげさを神様の認めるところとなり、生存を許される結果となった。

出雲かんべの里 民話の部屋 「焼き米を食った男」

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