• ~旅と日々の出会い~
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84「五人六兵衛さん」浜田市三隅町古市場

収録・解説 酒井 董美 
語り手 山根俊子さん(大正7年生)
(昭和36年7月26日収録)

あらすじ

 昔、人を殺したら、理由の如何を問わず、必ず殺される掟の村があり、知恵の六兵衛と怠けの六兵衛と喧嘩六兵衛と盗人の六兵衛と欲張り六兵衛が住んでいた。

 怠けの六兵衛と喧嘩の六兵衛が、山道で喧嘩になり、喧嘩の六兵衛は、怠けの六兵衛をなぐったら死んでしまった。喧嘩の六兵衛は知恵の六兵衛を訪ねて相談した。

 知恵の六兵衛は助けるためには、一つ嘘を言わにゃならんが、度胸を決め「これから決して喧嘩をしないと約束させ知恵を授けた。

「怠けの六兵衛の死体を、欲ばり六兵衛の田の畦のミナクト(水口)へ伏せておけ」。

 喧嘩の六兵衛は、怠けの六兵衛の死体を欲ばり六兵衛の田の水口へ伏せておいて帰った。

 欲ばりの六兵衛は、夜中に自分の田の水を人が取ってはならんと、いつも田の番をしている。その晩も、水の守をするため畦道を来ると、水口に黒い人影がいる。「田の水を盗む」と、鍬でガンと一鍬やったら、人影は下の田へ落ちた。

「何の抵抗もなしに倒れたが、この人は水を盗んたんじゃない、水を飲んでおったのか」と身体を起こして見ると、息が絶えている。

 知恵の六兵衛に相談に行った。

「これから欲ばらずに人と仲良くつきあうように」と約束をさせ、「死人を俵へ入れて、盗人六兵衛の下の水車へ入れておけ」と教えた。

 知恵の六兵衛の言われたように、盗人六兵衛の水車へ入れた。

 夜中になり盗人六兵衛は「明日の米がない、一稼ぎしてこよう」と隣の水車小屋を開けたら一俵、俵があったから、喜んで自分の家へ持って帰り、「早く片づけておかにゃあ」と開けたら、ちょん髷が見えた「ちょん髷ぞ。おれが盗っとすると感づいて入っとったに違いない」。盗人六兵衛は拳固を固め、ちょん髷の上を一つやっておいて俵を解くと、怠けの六兵衛で死んでいる。急いで知恵の六兵衛の家へ行って、知恵を教えもらった。「盗っとは本当に悪いことで、盗っとをやめるのなら教えてあげよう」と約束させた。

「怠けの六兵衛を持って、怠けの六兵衛さんの家へ行け。『おかあや、今帰ったで』と言うと、家内衆は『今になって何しに帰った』と怒るから、『それじゃあ死んでもええかや』言うて死体を井戸に放りこんでおけ」。そうしておいて帰った。

 朝、おかみさんが水を汲もうと釣瓶を落としたら音がする。近所の人たちを呼んで中を調べると帰ったはずのお父さんが、死んでいた。

 怠けの六兵衛が一人犠牲になったけれど、知恵の六兵衛が教えてくれたために、喧嘩の六兵衛は喧嘩をせずに働くようになり、盗人の六兵衛も盗っとをやめ、欲ばりの六兵衛も欲ばりをやめて、みんな働くようになったそうな。

解説

 関敬吾『日本昔話大成』によると、「笑話」の中の「狡猾者譚」に「智恵有殿」として戸籍がある。 この話をうかがって以来、二度と出会わない貴重な話である。

出雲かんべの里 民話の部屋 「五人六兵衛さん」

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