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87.「幽霊封じの千人坊主」江津市桜江町谷住郷

収録・解説 酒井 董美 
語り手 島田朝子さん(大正12年生)
(昭和46年(1971)8月18日収録)

あらすじ

 昔、幽霊の出るという大きな古い寺があったそうな。   日本全国から、坊さんを千人ほど集めてお経を読めば、幽霊は出なくなるということになったが、どうしても一人、坊さんがたりません。いよいよお経が始まるというようになっても、どうしてもたりませんので、裏山に来ている木樵りを雇うてきて、お坊さんにしてしました。

 そしたら、千人の坊さんの中で、この木樵りだけ、たった一人、違うお経を読んでいます。それは、

〽ワーシャ、コーレノー
背戸ヘコーソ     藤葛(ふじかずら)立テコソ
行キタリ
千人坊主ノターリーカーニー
ショウトテー         頭巾脱ギャ
毛ガデール    ………

 こういうように自分のことばかりをお経に読んでおられましたが、とうとう幽霊、恐ろしくなったのでしょうか、出なくなったそうです。

 はい、ぽっちり。

解説

 昭和四十六年の収録である。当時、筆者は三十六歳。仁多郡横田町立鳥上中学校に勤務していた。この年の夏休みに、江津市跡市町にお住まいだった民話研究の第一人者である森脇太一先生のお誘いを受け、ご一緒に録音機を携えて現地の民話を中心に収録に励んだ。森脇さんは江津市を中心に口承文芸を収録され、若い時分に『邑智郡誌』を執筆された。

 この時に訪問したのが、江津市桜江町谷住郷の島田朝子さんだった。お目にかかったのはこのときの一回限りだ。発音のはっきりした言葉で、気持ちよく話していただいた。今も鮮明に覚えている。

 話してくださった話は、「三人カタワの関所破り」、「神歌好きな一家」、「長い名の子ども」など六話だ。

 その後、教育学部・田中瑩一教授を団長とする島根大学昔話研究会が、同町を中心に民話調査した。筆者も一員に加わったが、調査班の割り振りの関係で谷住郷地区へは行けず、別な地区を担当した。谷住郷地区へ出かけたメンバーが、島田朝子さんをお訪ねしたおり、島田さんが筆者との思い出を語っておられ、「よろしく伝えください」と言われた旨を聞き、懐かしく思い出させていただいた。

 肝心の「幽霊封じの千人坊主」の解説を差し置いて思い出に終始したが、話そのものは関敬吾『日本昔話大成』には出ていない。しかし、内容から見て笑話に属することはお分かりいただけると思う。

出雲かんべの里 民話の部屋 「幽霊封じの千人坊主」

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