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『島根の民謡・労作歌』(酒井董美)

― 唄い手の心と日々に触れる書 ―

書籍紹介

『島根の民謡・労作歌』。著者・酒井董美、発行・今井書店、発行日・2023年11月1日、定価・2200円(税別)、B5。  【購入する

表紙

(文中・敬称略)

昔話と民謡の思い出

民謡ではないが、昔話を聞いた子供の頃をつらつら辿ると、囲炉裏と幼稚園と縁側が思い浮かぶ。
蛇の舌の如くチロチロ燃える囲炉裏の淵で、荒縄のようにささくれた手をした婆さんが、拍子をとりつつ桃太郎を語る。優しくて美しくしい幼稚園の先生は、一寸法師のように強くて優しい大人になろうねと話す。爺さんの昔話は、時に縁側の灼熱に焼けた鉄のレールに火傷して、八岐大蛇退治など聞いた。

何度も聞いた。そしてねだった。同じ話でも、どこか違っていた。まだテレビもない頃だ。

子供ができると、いまの時代にアレンジした昔話を風呂でした。桃太郎は仮面ライダーよりも強く、シンデレラはセーラームーンのお姉さんだった。受けた、と思っている。子供達は覚えているだろうか。

そんなことを思うと、婆さんはよく「長谷川一夫」の話をした。爺さんは「原節子」のブロマイドを見せてくれたた。先生はそんなことはしなかった。
昔話にはいろんな味が付加されている。もちろん、付加した。

民謡には酒がつきもので、祭りの席や集まりの納会に直結する。始まりは歌自慢が推されて歌い出す。上手いものである。その歌に合わせてひょうきんな踊り手が現れて、宴もたけなわになると、我も我もと歌いだす。だいたい順番は決まっていて、年長者からだ。若手になると民謡ではなく歌謡曲になり、座の雰囲気はガラッと変わる。

さて、ここで紹介する民謡は、農村や漁村の哀愁もあり、華やいだ歌だ。田植え歌もあれば、子守り歌もある。労働歌もあれば、激励歌もある。島根県の民衆の詩を是非、聞いていただきたい。

テレコかざして収集された酒井董美   

当『島根国』でも、酒井董美の『山陰の昔話』を、開設時からお願いし、掲載してきた。QRコードから生の話を聞くこともできる。語部(かたりべ)にも、話にも、地域にも、それぞれ個性がある。その個性とは語り手の持っている性格と共に方言だ。
島根県は出雲地方、石見地方、隠岐地方と別れ、出雲地方の出雲弁も山を越えると異なる。面白いほど違う。録音された時代が昭和40年代からで、語り部は明治・大正・昭和に生まれた。このあたりも聞き分けてみるのも面白い。

さて、書籍の案内だがよく集められたものである。職業が学校の先生であることが幸いした。異動があるたびにその地で収録され、また部活にもされたようだ。

本書の特徴は、民謡と労作歌を文字に起こしているだけではない。収録された歌の解説と共に録音当時の模様を紹介している。ここに唄い手の人間味や時代性をうかがうことができる。
テータベースとしての「民謡と労作歌」集ではなく、唄い手のドキュメントといったノンフィクション物語だ。今度、お会いした折、このあたりを尋ねたいものである。

昔話を語る構造

口頭伝承を旨とする昔話は、物語(ストーリー)だけで成立するのではない。話し手、聞き手、そして関係性と状況が大きく関与する。それは紙芝居や各施設での語り部も同じで、相手が子供か、大人か、個人的な集まりか、公式的な集まりかによってもことなる。

語り部(話す人)は、聞き手の年齢や目的、そして反応や態度に大きく影響される。波長が合えば話も乗り、臨場感溢れる演出つきの話になるだろう。
子供たちならつい受けを狙い、子供が好みそうな展開に走ることだろう。当然、話し手は評価や称賛も気になるだろう。民俗学の研究員やメディアの取材がならば緊張もし、ことさら方言を使用し、それとも逆に標準語で話すかもしれない。中には不適切な発言を修正するとか、とばす語り部もいるかもしれない。これはすべて、話し手と聞き手、また社会関係による。

昔話の館

先生を意識し

民謡を聞きながら本文を読むと、気になる箇所にでくわす。なんとなくぎこちない歌い方に。

昭和の時代の田舎では、学校の先生と医者と代議士は「先生」と呼ばれ(町会議員はよばれなかった)。田舎の先生は、偉い人だった。学がある、人格者だ、なんといっても子どもの成績や家族の健康管理や生活権を握っている。

さて、そんな偉い人の前で、素面で歌うわけだ。粗相があってはいけない、礼儀を欠いてはいけない、さらには目の前にはテープレコーダーという学生鞄ぐらいの機械が置かれ、やがてテストといわれ妙な声が流れてくる。聞きなれない調子はずれな歌だ。それが自分の声だと知って驚く、こんな声かと。うまいと言われ、NHKのど自慢に応募しようと思っていたが、委縮した御仁もいただろう。
いつものようには歌えなかったかもしれない。そう思いながら聴くとなおさら面白い。是非、歌を聴きながら、ご一読願いたい。

トトロに出てくる狸のようなどんぐり体系の、愛敬のある「酒井先生」を前にして、外では牛がモーと鳴き、浜ではカモメがギャーギャ泣き叫び、嫁が漬物と番茶を持ってきて座り込む。歌い手は、湯呑につがれた日本酒でこっそりうがいをしたかもしれない。そんなことを思うとなおさら面白い。

島根県の民謡を通し、明治・大正・昭和の民衆の感性をお楽しみください。

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