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郷土史家・故高橋一郎先生の想い出 宇田川和義

宇田川和義(公益財団法人奥出雲多根自然博物館館長)

 高橋一郎先生は、私が中学生時代に音楽の授業を教わった恩師です。
 いつも穏やかで物静かな高橋先生が、授業や学校行事では圧倒する素晴らしい歌声を披露されました。その時の驚きと感動は、今も鮮やかに脳裏に聞こえてきます。

 私は仁多町職員に就職、町づくりに関わる仕事をする中で、郷土史家として地域の歴史や文化など幅広い分野において研究・ご指導される高橋先生に、お目にかかる機会に恵まれました。
 先ずは、たたら製鉄の歴史を持つ6市町村で「鉄の道文化圏」を発足する当時、関係者の研修会で、奥出雲の砂鉄と林業、たたら操業の歴史など、観光的な観点ではなく、産業考古学的な視点からご指導を受け、その研究の深さに感銘を受けました。

 そして、米価下落と農業振興等の課題解決のため、郷土の誇り「仁多米」のブランド化への取り組みが始まり、集落営農、堆肥センター、集出荷施設などの整備を図り、全国展開の産直販売体制が整えられました。
 この重要施策を、農政の未経験の私が業務を担当することになり、販売戦略的な準備に追われていました。
 その折、高橋先生からお電話を頂戴しました。「貴君の活躍に期待する、ところで仁多米の歴史、良質米の理由など、なぜ仁多米として価値あるのか知っておくことが必要ですよ」とのわざわざ親身なお話でした。
 ブランド化のポイントはまさにそこだと気づき、恩師という甘えで早速高橋先生のご自宅に伺いました。
「古代からの鉄穴流しで土地(田)や水路ができ良田を造成。横田郷は朝廷所縁の『石清水八幡宮』の荘園となり栄えた。12世紀以降、鉄と米とで、常に中央政権の直轄地として存続し、育まれた特異な土地であった。現代では絲原家などによる稲作改良等があり今の仁多米となっている・・・」
 良質米として仁多米の所以を高橋先生に教わったことが、確信を持って全国展開とブランド化成功の大きな支えになりました。
 今も、私たち町民が何か郷土のことを知りたい時には、先ずは高橋先生が残された膨大な資料を拝見させていただきます。
 とにかく限りない探究心と郷土愛により、後生に残して頂いた貴重な文献・資料は、感謝と共に、我が町の永久保存すべき大切なものとなっています。

奥出雲の田園風景

【編集部より】

当コーナーの『奥出雲』三巻の「検索用テキストデータ  WORDダウンロード」で、『石清水八幡宮』を検索すると数多く紹介されています。

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