• ~旅と日々の出会い~
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夜行急行「千鳥3号」の筆談-木次から出雲横田までの恋-

茶屋 (ペンネーム)   

松江の高校で寮生活をおくる少年が実家のある木次線の出雲横田に帰るとき、なぜか、松江駅23時15分発、出雲横田駅01時11分着の広島行き『千鳥3号』を好んだ。「夜汽車に乗る」、そんな響きと憂いがさせたのかもしれない。

■好奇心

2年から3年へと進級する春休み。駅前の喫茶店で友とダベリ過ぎギリギリの乗車だった。
あの頃は語り合うことが沢山あった。政治や経済、哲学や芸術、音楽やスポーツ、書籍や映画、今日の出来事に明日の予想、目の前にあることだけでなく、夢や未来や宇宙も、すべてが議論のテーマであり、蟻の歩きや宍道湖の夕陽も、さらには不合理と不条理もテーマとなり、数学も国語も歴史も「もしも」の議論テーマだった。

東京大学の入学試験が中止され、大学についての議論も「入学試験」よりか「なぜ大学に行くのか」と存在そのものを問う議論となった(少年の周りは)。

岩波新書の赤本、アインシュタイン著『物理学はいかにして創られたか』やジョージ・ガモフの重力と宇宙『重力の話』(河出書房)、龍樹の空論に理解できない状態でハマったのも、図書館で借りては挫折したマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』も、全ては、未知の分からぬことに触れたかったのだ。そこに、もっとも未知で、不可解な「恋」が闇夜のマントとなって忍び寄ったのだ。

「待っちょうよ」と改札口で友がくれたのが、グリコアーモンドチョコレートと三色パンだった。ショルダーバッグには(学生鞄はショルダーバッグに、黒靴はバスシューに変わっていた)、別な友に借りたローリングストーズの「Jumpin Jack Flash」とドアーズの「Hello, I Love You」、そしてヴィッキーの「恋はみずいろ」のレコードが入っている。
『キネマ旬報』に『日本読書新聞』、そして友の姉貴に貰った司馬遼太郎の『龍馬はゆく』が数冊と東京の高校生に負けたくない一心に無理して買った羽仁五郎『都市の論理』。そして帰郷を引き延ばした最大の理由である「成績表」。

松江城天守閣から見た高校跡

■出会い

『千鳥3号』の四人ボックスは満席だが、通路はガラガラだった。宍道駅か木次駅あたりで酔っ払ったサラリーマンや労働者が下車するだろうと、車両の中程まできたところで呼び止められた。

「偶然ね」
ワンピースにカーデガンを羽織り、髪はポニーテール。そう、ゴーゴーダンスでなくツイストを踊り出すのではないかと思う、ふわっとした艶やかさ。紺の制服からは思い描くことのない清楚な色気に、無意識に平凡パンチのグラビア写真を重ねていた。

「どこに行くの」
肘掛けに置いた少女の肘が少年の脚に当たる。見上げた眼差しが歌手のフランス・ギャル(夢見るフランス人気)にそっくりで、少年は一瞬にして虜になった。

「家に帰る。君は」
女子校に通う彼女には二度ほど会っている。会っているというより、一度は部活の交流を兼ねた共同の読書会で、森鴎外の『雁』だった。二度目は偶然、一畑デパートの食堂だった。それぞれ何人かいて、二人で話したことはない。

「広島よ」「なにしに」「それは秘密よ」
口紅をさした唇を幾分つぼめて突き出した。フランス・ギャルがブリジット・バルドーになって闇の車窓を跳ねている。まるで箒にまたがる魔女のようだ。

「どこ?」「横田」
「いつまでしゃべちょうが」、少女の隣のオヤジが切れた。
紅色の舌を出し、ちょこっと唇を舐めると微笑んで、少年のズボンを摘んだ。薄いピンクのマニキュアだ。

「デッキに行こうか」
少年はノートを取り出してPARKER万年筆のブルーブラックのインクで『筆談しよう』と書いた。少女は肘掛けに座ってと書く。
角ばった癖字と綺麗なペン字が交互に連なり、やがて青春という物語が織りなされていく。

■朱に交われば紅くなる

『グリコ、食べる』
受け取った少女は、ノートを肘掛けに座る少年の太腿に置き綴った。広大の兄に会いにいくと。
少女が少年の太腿に置いたノートをなぞるたびに、少年の心も感性も緊張し、強張り、そしてまどろんだ。

少年のつくる距離を大人ぶった少女が詰めて、やがてコーナーに追い込みガラスのような少年の心を鷲掴みした。

『どこ、志望校は?』
キザだと思ったが少年は力を込めて書き込んだ。『決めてない、今が大切だから』

『読書会と同じね』
そうだった、読書会で少女と少年は激突した。それまで愛とか叶わぬ恋とかで盛り上がっていた訪問先の女子高の教室は、女の抑圧と妾という売買を問題にした少女と時代と貧困を語る少年によって凍てついた。それが身勝手な男たちの家父長制よと指差し、少年が呟いた言葉が「主体的に今を生きることか」だった。その時、少年の意識に少女への好奇心が芽生えたかもしれない。だが、それを恋と自覚するには無知で未経験だった。

前年、恋愛結婚のパーセンテージが初めて見合い結婚をほんの少しだが追い越した。でも農村部を中心とした島根では圧倒的に見合い結婚が多かったことだろう。(2010年、恋愛が88%、見合いが5%)

『俺たちに明日はない』のポニーとクライドの交わりを見ても、やはり異国だった。フリーセックスを取り上げるページ数は『平凡パンチ』より『プレーボーイ』が多いと比較分析をする友がいた。

日をまたがるように0時1分、大東駅に停車すると、少女の隣で寝ていたオヤジは少年を一瞥して降りた。

「神様にお礼しなくては」
座った少年の耳元で呟いた。
首を傾げて考える少年に、少女は小声でつづけた「君に会えて」

読書会のまとめに少女は言った。「私はヘンリック・イプセンの作品『人形の家』のノラのような生き方をしたい」。少年は声にはしなかった、「自由だけを求めて家を飛び出したノラは飢え死にする」。伊勢宮の映画館で『肉体の門』が上映され、そのポスターに何度も足を止めた。エロスよりは、貧困ゆえに身体を占領軍にゆだねる女の気持を考えていた。

『どうして』
少女は笑ってから書いた、『愛ってなに、すべてに勝るの』
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「人は女に生まれない。女になるのだ」を教えてくれたのは『龍馬はゆく』をくれた友の姉貴だ。いつもジーパンをはき、男女平等を唱えている。

『どうした』
『初めて会った読書会の続きよ』と綴り、少年の唇にアーモンドチョコレートを押しつけた。
『価値観を共有すること』
『一瞬の愛でいい。お玉のように』

■突然に

0時12分木次駅に着くと0時30分まで停車する。少年は少女を誘いホームに降りた。その横を背広姿のサラリーマンが改札口に向けて進んでゆく。三月下旬といっても木次線の夜中は寒く、暗闇だけでなく妙な霊気にも覆われている。広島まで残り5時間、出雲横田まで1時間。

腕時計を見た少女は少年の脇腹を突いた。

「ガールフレンドいるの」「いない」「嘘つき」「いないものはいないよ」
心の距離が縮まっただけでなく、二人の間にある距離も縮まってなくなった。

駅名表示板の前に少女は誘い、指さした。
「次は『キスき』って、やばいね」

『キス・スキ 木次』。『東大東』駅と『日登』駅の間にある『木次(キスキ)』駅。山陰本線に『揖屋(いや)』という駅があり、そこから通学する生徒も多かった。「次はイヤ(揖屋)」。こんなことで笑う時代だった。

最初に唇を寄せたのは彼女だった。一瞬だった。少年のすべての感性が解放され、情念が弾けた。

「付き合ってくれ」
「うん」といったのだろうか。初めのキスよりすこし長いキスだった

木次駅

『千鳥3号』が木次駅を出ると、少女は少年の手を握り眠り始めた。話すことはなく、手の温もりを感じるだけで十分だった。

少年はこのまま少女と一緒に広島まで行こうかと考えた。場合によっては少女の兄に会ってもいいと選択もした。
出雲坂根と三井野原の間にあるスイッチバックの景色は見えないだろうが、駅の灯りは認識できるだろうと。
しかし、少年は出雲横田の駅で下車した。遠慮したのでも、躊躇したのでもない、電車賃がまったくなかった。

ノートに寮の住所と地図を描いて渡した。少女はデッキまで見送ると少年を包み込み、「始業式の前の日に必ず行く」と告げた。

それが少年と少女が二人で過ごす最後の瞬間だった。少女はお玉になり、ノラにはならなかった。

深夜の出雲横田駅

■時代

始業式の二日前に寮に戻った少年に突き付けられたものは、『退寮』勧告だった。寮の規約に違反したからだと。

慌ただしい引っ越しが始まり、再び少年に議論の日々が訪れたときは、城山の桜花も散り、少年にも新たな日々が生まれようとしていた。映画館の告知ポスターや看板は、『卒業』や『ロミオとジュリエット』、そして『2001年宇宙への旅』に変わった。

部員に少女のその後を尋ねたが、受験勉強を理由に退部し、女子高の仲間たちも知らない。寮の友人に誰か訪ねてこなかったかときいたが、それらしき噂もなかった。

少年の前に少女が再び現れたのは、その年の秋、少年の高校の学園祭だった。

先に気づいたのは少年の仲間だった。そして大声で呼んだ名前は少女の苗字でなかった。私服の少女の横に寄りそう青年が振り向いた。そこで少女は少年に気づいた。岡田(『雁』にでる帝大生)への思いを旦那に気づかれたお玉もこんな表情をしたのだろう。

「素晴らしい発表だった」と青年は少年に手を差しだした。一年先輩で、広島大学の学生。少年はその手を握った。横に木次線で手をつなぎ続けた少女が俯き加減に立っている。少女の手より大きく、そして硬かった。

青年は少女に、「誇らしい後輩だ」と言った。青年は発表内容について二、三質問をし、暫く松江にいるからディスカッションしないかと誘った。もちろん仲間にも、そして少女にも。

少女と目があった。あの夜、出雲坂根と三井野原の間のスイッチバックで心も行ったり来たりと揺れたことだろう。でも列車は山を越えて広島に辿り着いた。そこに訪ねる男が待っていた。少女は女であることを選択した。W・ライヒの『性と文化の革命』が勁草書房から出版されるのが翌年の1月のことだ。

少年には少女を冷静に、そして高校生らしい態度で送る余裕があった。わずか数カ月で少年は変わった。むしろ少女がぎこちなく、そのぎこちなさを誤魔化すように青年の腕をつかんだ。

■昇華する思い出

青春の思い出は、誰しも美しい物語に醸成する。この思い出も多分に美しく結晶化されている。思い違いや複数の記憶違いがあり、なによりも勘違いも甚だしいことだろう。少女から見ると、「誤解」とも、「捏造」とでも笑うかもしれない。それでも、そんな勘違いという過ちも含めて思い出である。時とともに思い出は更に美しい物語へと脱皮する。それが弁証法というものだ。

もしも、あの時に、そんなことを半世紀も過ぎた今、思い出を手繰り寄せながら考えた。

出雲横田駅の手前から落ち着きを失くし、手を放そうとしなかった少女の行動は、広島行きをやめて、深夜の出雲横田で下車しようとしたのではなかろうか。しかし、行動に移すには少年を知らなすぎた。少年も広島まで行くという大胆な判断を実行にうつす自信と勇気がなかった。

どちらかが一歩踏み出せば。しかし、その一歩を選択できない出会いだった。

既に紹介したアインシュタインの『物理学はいかにして創られたか』の前半で紹介される波状。波状には「縦波」と「横波」があり、波の進行方向に対して平行な振動を「縦波」、進行方向に垂直な振動を「横波」と定義される。イメージしやすく言えば、心電図のような上下に波打つのが「横波」で、密度の濃い部分と密度の薄い部分に分かれるのが「縦波」だ。

あの日の夜行急行『千鳥3号』の少年と少女の周りだけ、列車の揺れとは別に波状という「縦波」に包まれていた。密度の濃い縦波と薄い縦波が停車駅ごとに来る。密度の濃い波の最初が出会いの松江駅、次にキスをして告白した木次駅、最後が別れとなった出雲横田駅だ。その縦波も木次駅が動的ならば出雲横田駅は静的だった。

ひとり広島へと向かう少女は、出雲坂根駅からのスイッチバックで前後に変化する進行に「行くべきか、帰るべきか」迷ったことだろう。選択条件を変えれば、吊るす糸の長さが変わる振り子で、ときに振り幅が大きく、ときに振り子が早くなる。しかし、無情にも夜行列車は芸備線を広島へと走り、5時0分、兄と嘘ついた恋人のもとに送りとどけられた。

少女にとって残酷なことは恋人と少年が同じ高校であったことだ。もしかすると同じ高校だから親近感を抱いたのかもしれない。それが迷いを具現化することになった。その意味では傷ついたのは少年ではなく、少女かもしれない。

再び少女が少年の前に現れるのは少年の卒業式の朝のことである。

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