• ~旅と日々の出会い~
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第2回 乗客・駅務員・乗務員群像① 出雲横田駅の『さんどさん』

『さんどさん』

今のように家庭から家庭(あるいは集配所から家庭)へと荷物を運ぶ宅配便業界のない時代。送るとしたら郵便局か日通の時代のこと(1960-70年代)。
木次線・出雲横田駅の前に商店を生業としつつ「荷物」を運んでくださる『さんどさん』という方がいた。それが正式名か通称名か分からない。ただ言えることは、地域が限定されるが、大変便利な有料配送システムだった。
そして、そのかたの人間性にもよるが、信頼と確実だけでなく、明るくて、優しくて、そして荷物以外の確かな情報を届けてくれるメッセンジャーでもあった。

漁村から海産物などを運ぶ行商に似て、あるいは山小舎に荷物を運ぶ歩荷(ぼっか)のように何段も重ねた背負子(しょいこ)を背負い、両手に風呂敷包みの荷物を持ち、腰にタオルと大福帳、ズボンの裾はゲートルで巻く。
いつもニコニコした痩せたオジサン。その方を、店では苗字で呼ぶが、荷物をお願いするときは、感謝と尊敬と敬愛の意味を含めて『さんどさん』と呼んだ。

横田の実家から松江の寮まで

木次線の出雲横田駅から私の知るかぎりでは松江の配達先まで、『さんどさん』は運ぶ。逆に荷物を預かり奥出雲の横田まで木次線を使って運ぶこともある。

朝一番の6時前の汽車に乗って松江に向かう『さんどさん』は、郵便よりも早く、確実で正確で、無理や融通もきいて頂けた。時間指定の本人への配送である。

高校時代、松江で寮生活を過ごした私に、月一度のペースでやってくる『さんどさん』は玄関で声をかける。「お母さんからの預かりもんだよ」
母の作る赤飯であり、しょうけ飯(奥出雲地方独特)である。また学校に提出する緊急書類もあり、近況を伝える手紙やお小遣いでもあった。

『さんどさん』は荷物だけでない。言語での「言付け」もある。例えば、私の体調や環境を気遣った母からの伝言だ。『さんどさん』は、お袋の口調に似て穏やかで含むように話される。「体、きいつけて」「無茶なことしちゃぁいけんよ」「ちゃんと食べえだわ」。
そして横田の近況を教えてくれる。「同級生の〇〇君が入院したよ」「来週、祭りだよ」。そして「たまにはお母さんに元気な顔みせえだわ」

心のコミュニケータ

高校三年の時だ、高校まで書類を届けてくださった『さんどさん』に、近くの大橋川の土手で両親の近況を知らされた。沁みた。なによりも、責任もって荷物を届けることを目的とし、確実に運ぶことを使命とし、依頼人の情報は一切語らないことを姿勢とする『さんどさん』が、心から話す言葉だから深く沁みた。町の噂も、両親を冷静に優しく見る姿勢もあるからこそ、ぼつぼつと話す言葉一つひとつが信じられた。

その夜、18時の終列車(実際は23時発の夜行があった)で、『さんどさん』と一緒に実家に帰った。そう、私は足の遠のいた実家へ、荷物として運んでもらった(もちろんキップを買って)。

手段ではないこと

『さんどさん』は荷物を預かって運ぶだけではない。木次線も人や荷物を運ぶだけの手段やインフラではない。そこには当事者だけに伝わる「伝える」なにかがある。

『さんどさん』はずっと以前に亡くなられた。私は葬儀に出かけた。私の父の葬儀に『さんどさん』のお子さんが弔電を届けてくださり、深々と父に別れを告げられた。

運ぶだけではない。そこに言葉にはない『行為』を通したメッセージがある。そのメッセージに私たちは勇気づけられ、そして頑張ってこられた。

木次線には、そんな人がいっぱいいたし、いまでもいる。

JR出雲横田駅

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