「パパ、宇宙の先には何があるの」、「ママ、最初の赤ちゃんはどこから生まれたの」。子供だけでなく、あの先(空間)やことの始まり(時間)は気になります。ところが説明されても納得できないまま諦めてしまう。やがて「私って何だろう」「存在って何だろう」と大変厄介な疑問(心と社会)にぶつかります。これも分かったような曖昧な気持で「愛」や「人生」を語り生きています。今に始まったことではありません。ずっと昔から。そう古代から人類に付きまとう疑問と悩みだと思います。哲学や自然科学に社会科学が発展したのも、こんな疑問からです。また労働や戦いの後に人は自然と音楽や踊りを生み癒され、伝えるために物語や絵画に残しました。神話もそんな営為のなかから生まれたのです。
「出雲神話」は、現代小説のように誰それという作家が書いた作品ではありません。また『竹取物語』のような作者不詳でもありません。『浦島太郎』のようなおとぎ話とも違います。7世紀の頃、時の為政者の命で編纂された『古事記』、『日本書紀』、『風土記』のなかに収められた神々の話から「出雲」に係わるところを取り出した神話の総称です。出雲の神々の話をとくに大きくとりあげているのが『古事記』です。(『古事記』一巻の六割は出雲の神話)
711年に編纂された『古事記』の「序」に、編纂者であると太安万侶(おおのやすまろ)が次のように書いています。
壬申の乱(672年)で天下統一した天武天皇は、律令国家を目指し国史の編纂も指示しました。
歴代天皇を記した『帝紀』や神話伝説や氏族の起源を記した『旧辞』には誤りがあるので訂正して残したい。一度聴いたら記憶する稗田阿礼(ひえだのあれ)という舎人(とねり)に帝紀と旧辞を誦(よ)み習わせました。しかし天武天皇の崩御により中断します。その後、元明天皇が太安万侶に稗田阿礼が誦(よ)んだものをまとめて献上しとなさいと仰せられた。和同5年(712年)、事細かに採録しました。
本当に太安万侶が本文も書いたか諸説があります。ただ国家統一の歴史を書くよう指示した人がいて、書いた人いるのです。当然、書くために何かを参考にし、誰かに聞いたのです。重要なことは時の為政者の指示に基づいたことです。当然、為政者にとって不都合なことや不利益なことは盛り込まないでしょう。いわゆる「忖度」ですね。場合によっては、できた作品を改ざんしたかもしれません。それを大きな意味で「編集」という人もいます。なお『日本書紀』は720年、『出雲風土記』は733年に完成しました。
子供の頃、囲炉裏を囲んでお爺さんやお婆さんの昔話を聞いたものです。お爺さんもお婆さんも、自分のお爺さんやお婆さんから聞いたと前置きします。かぐや姫や浦島太郎のような話もあれば、山姥とか赤鬼のような地方独自の話もあります(『遠野物語』と同じ)。
斐伊川の上流に暮らしていました。祭りが近づくときまってスサノヲの八岐大蛇退治の話でした。お爺さんお婆さんの話にはそれぞれ特徴があり、勇ましいスサノヲを身振り手振りで話すお爺さん、酒に酔い悶絶するオロチをのた打ち回って表現する爺さん、クシナダヒメの視点で戦いを語るお婆さん、そのクシナダヒメを色っぽく語りお婆さんに叱られるお爺さん。それはテレビのないころの子供たちの楽しみでした。時に若者が「あれも大きかね」と冷やかし、娘さんが口元を隠して笑います。
時と場、雰囲気によって話が変わります。子供たちに受けないと「そうだ、もう一つ凄いことがあったがね」とドラマが追加されます。せがまれるともっともっと大げさになります。受ける話もあれば、相手にされない話もります。もちろん上手な話し手もいれば、下手な話し手もいます。自然の摂理と同じで面白くない話や話し手は淘汰され、子供から忘れ去られます。紙もない古代の時代なら取捨選択はもっと厳しく、受けないもの、価値のない語部は消え去るだけです。
神話の編纂を仮設します。
律令国家を目指す時の為政者は、基本となる考えを決め(今風の言葉ではコンセプト)、それに基づいて収集方針を立てて各地の話を集めます(戦略と戦術)。どんなに楽しい話しでも方針に会わなければボツです(為政批判など)。というより語部ごと抹殺されたでしょう。
さて創作です。ゼロから創り出すのは大変です。そこで何かを手本としました。手本に沿って時の為政者の意図にあった物語を創作します。今でいえばスポンサーの意思を重視し、視聴者が求めるテレビドラマ作りですね。しかし、寄せ集め故に辻褄の合わない展開や矛盾した現象が現れます。あるいは別なスポンサー(権力者の関係者)の意向など忖度も働くでしょう。基本は大筋と結論が支配者にとって満足いけばいいのです。細かなことまでかまってはおれません。これが『古事記』や『日本書紀』に残された神話だと想像します。さて為政者は、どんな神話にしたかったのでしょう。そして、「なぜ」「誰のために」、そんな物語にしたのでしょう。それは皆さんで考えてください。
さて、高天原を追い出されて出雲に降り立つつた暴れん坊のスサノヲが出会ったのが、泣き崩れるクシナダヒメと両親(アシナヅチとテナヅチ)でした。アシナヅチは自分を「国津神」と紹介し(アマテラス系は天津神で、出雲系は国津神)、ヤマタノオロチに娘たちが食べられてきた経緯を話します。頭が八つに尾が八つ、八つの山と八つの谷にまたがる大きなヤマタノオロチには二つの仮説があります。氾濫する斐伊川に形容した自然説と、たたら製鉄の職人集団を抽象した他部族説です。
ヤマタノオロチを斐伊川という自然神ではなく、製鉄の集団と設定するとどうでしょうか。この地でたたら製鉄の種族と稲作の種族(クシナダヒメは別名稲田姫)がいて、発掘か稲作かで抗争していた。そこにスーパースターというスサノヲが現れ平定する。「七人の侍」みたいな展開になります。なんか人間世界が見えてきますね。
神話の向こうにあるものを想像するのも神話の楽しみ方です。それを知るには島根の地を訪ね、山河や眺めて五感で体感することです。山間の霧のなかに見えてくるかもしれません。では、私が見聞きした出雲神話の寄せ集めの物語が始まります。
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