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風土記神話二話 加賀の潜戸と佐太神社

加賀の潜戸(かかのくげど)

松江の駅からバスで小一時間のところに『加賀の潜戸』があぁます。島根半島の日本海側、地図で見ると丁度、松江駅の真上ですな。

地学的に話せば、安山岩などの岩盤が地殻変動や断層を繰返して割れ目ができました。そこに日本海独特の荒波や暴風が吹き付けて、長い年月をかけて出来上がった洞窟です。

まあ、そげなことを言わっしゃったら身も蓋もあぁません。人は自然との関わりの中で、恐れや喜び、回避や願いをこめていろんな想像を重ねてきましたわ。そうが、自然との関りで生まれた伝説や文化であぁます。

ちなみに二つの洞窟がああまして、新潜戸と旧潜戸といいますわ。真潜戸は三つの入り口があぁまして、高さ40メートル、長さは200メートルもああます。

(※関連記事。本サイト「古代史の今」の『日本書紀・神話と出雲』をご覧ください)

金の弓箭

さて、こげな話がああますわ。

『出雲国風土記』によぉますと、キサカヒメ(後で解説)が、この洞窟に降りられました。そこでサルタヒコノミコト(猿田彦之命、後で解説)をお生みに成らっしゃった。

そのときに、母神が大切にしちょった弓矢が、波にさらわれて流れてしまったということですわ。そげすうと母神は「戻って来い」と念じられました。不思議なもんですな。金の弓矢が流れ着きましたげな。

サキカヒメは、「暗き洞窟かな」と言わしゃると金の矢を放たれた。その矢は大したもんで、岩を突き抜けたそうだ。そげすうと、突き抜けた東の方から陽が差し込んで、洞窟が光り輝いたそうだ。

「あぁ、かかやけり」と言わっしゃった。そげで、この一帯を「かか(加加)」と言うようになぁました。その後、「加賀」に変わりましたげな。

貫通した矢はそのまま沖ノ島まで射抜いてしまったそうです。その後、サルタヒコノミコトが、この穴を的に弓の練習をされたそうですわ。この島は、今は「的島(まとじま)」と言います。

加賀の潜戸

夏至の頃、的島のあたりから昇る朝日に照らされて、洞窟が黄金色に輝きますわ。是非、ご覧ください。

佐太神社

さて、ちょんぼし、佐太神社について話しておきますわ。

佐太神社は松江の駅からバスで20分のとこ、『出雲國風土記』や『延喜式』にもある古い神社です。出雲大社に次ぐ出雲二の宮で、出雲造りの御本殿三社は国指定重要文化財になっちょうます。

ここに祀られておおます神様が「佐太大神」ですわ。こうが別の名がああまして、なんと加賀の潜戸で生まれなさった「サルタヒコノミコト(猿田彦之命)」ですわ。佐太神社は加賀の潜戸と深い縁があぁます。ここの儀式で使う海蛇も関係しちょうます。

さて佐太神社の三社に祀られる神様ですが、なかなか意味深きものを感じさせてくれますが。

正中殿が、佐太大神(さだのおおかみ)=猿田毘古大神(さるたひこおおかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)など。

北殿が、天照大神(あまてらすおおかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)

南殿が、素盞嗚尊(すさのをのみこと)です。

分かぁましたか。当サイトの「出雲神話」の『国譲り』で書いちょうますが、大国主から葦原の中つ国(出雲国を含む)を取り上げたアマテラスと、その孫になる新しい支配者のニニギも祀っておおますわ。明治以降ならわりとたくさんあぁますが、珍しいことです。呉越同舟的な感がします。あるいは永久平和的な共存かもしれませんな。

神々のつながり

さて、佐太大神の母神であるキサカヒメは、神魂命(カミムスヒノミコト)の子のです。この神魂命はカミムスビと同じ神様です。カミムスビは、素戔嗚尊(スサノヲ)に五穀の苗を渡した造化三神の一柱です。また、出雲神話の「因幡の素兎」のところで出ちょうます。大国主命が八十神に焼き殺されたとき、蘇生させるためにキサカヒメ(赤貝)とウムカヒメ(蛤)を遣わしたのがカムムスヒです。

分かぁましたか。佐太大神の母神であるキサカヒメは、大国主命を蘇らせた神ですわ。不思議は、そうだけではあぁませんが・・・

天孫降臨の道案内神

佐太大神はサルタヒコ(猿田彦之命)と同じ神だと申し上げましが、こうが、不思議なことですわ。

「出雲神話」の『十二話 国譲り、その後』をちょっこし読んでくだっしゃい。天照大御神(アマテラス)が大国主から葦原の中つ国を取り上げました(国譲り)。そげして、新たに支配者となって降臨すうのが孫のニニギです。この降臨の道案内役をしたのが「サルタヒコノミコト(猿田彦之命)」ですわ。佐太大神が案内したということですわ。

さて、わたしゃ、悩みましたが。素人の語り部ですけん、ここんとこは博識の先生方にお聞きしたいところです。なんでサルタビコが道案内になぁなさったか。

そうそう、サルタヒコノミコト(猿田彦之命)の出現は、眩いばかりに光り輝いていたということですわ。そうわ、あの加賀の潜戸が金の矢で光り輝いたということと関係あぁますかね。

佐陀神能(さだしんのう)

さて、由緒ある佐太神社で行われる伝統的な儀式に、御座替祭(ござがえさい)があぁます。ここで「佐陀神能(さだしんのう)」が舞われますわ。出雲神楽の代表的なもので、出雲の神楽全体に深く影響を及ぼしちょうます。「七座(しちざ)神事」、「式三番(しきさんばん)」、「神能」の三部から構成されておぉまして、その総称です。佐陀神能は昭和51年5月に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成23年11月ユネスコ無形文化遺産リストに登録されました。

さてさて、神話は不思議なもんですな。みなさんも、神社にお参りされましたら、祀ってああます神様をじっくり調べてみるのも楽しい旅になぁかもしれませんな。

それじぁ、今日のところは、こっぽし、こっぼし。

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