さて、「出雲神話」を話すかな。みんな静かにするのだぞ。そうせんと山姥(やまんば)がワシをさらいにくるからな。それとな、長い長い話しだ、いっぺんに話すことはできん。少しずつ聞かせるのでな。では始めますか。
おっと、「出雲神話」の前に、「国造り神話」をしなければいけんな。この世界と大地が出来るずっと前のこと、まだ昼と夜や、空と海の区別もなく、ぐしゃぐしゃしとったころだ。
ことの始まりを話すのは大変難しいことだのう。何もないところから何かが生まれる。それでは、何もないところは何処にあるのだと聞かれれば、爺も分からん。爺のずっと前の爺も知らん。だからな、何もないところにどうやって物が生まれるのだと訊かれても困ってしまう。
そこでだ、童(わらべ)たちよ、とりあえず頭の中でこう考えてみらっしゃい。みんな、目を閉じて、頭の中に暗い闇を描いてみるのじゃ。その闇が風のように揺れ、水のように流れ、そげしたら薄い水糊(みずのり)のように蠢(うごめ)きだすのだ。そのとき、闇夜(やみよ)から薄い光の帯が下りて夜と昼が現れた。そしてな、お粥(かゆ)さんのような地が生まれて、天と地に別れるのだ。そこで、天に三柱の神様がお成りになったのじゃあ。この神様の名前はアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒという。難しい名だが、カムムスヒだけは憶えることだ。出雲神話に出てくるからな。
(オロオロ その神様は、どこから来たの)
(クシナ それとも誰から生まれたの)
●爺さんは、優しい笑みを浮かべて大きく柏を打った。話すたびに童が必ず問う。爺さんも、昔、爺さんに問うたのだ。
難しいことだ。来たのでも、生れたのでもない。お成りになったのだ。風かもしれん、空気かもしれん、あるいは光かも、もしかすると「時」のはじまりかもしれんな。
(分らんから、もういいや)
●腰を上げる童に爺さんは慌てた。ここで去られては、これからずっと誰も相手にしてくれない。独りの寂しい夜が来るだけになる。慌てた爺さんは手を叩いて言った。
始まり、始まり。さて始まりだ。「ガンダム」より強いスサノヲと「キングギドラ」より怖いヤマタノオロチの戦いの話のはじまりだ。そして奇麗で優しいお姫様の登場だ。
●童は小躍りした、(早く話してよ)
さてさて、お待ちかねの誕生だな。
沼のような地上に神様は生まれたが、みんな長く続かない。そこに、そこにだ、ついに、スサノヲのお父さんとお母さんがお成りになったのだ。名前はイザナギにイザナミ。そこで三柱の神たちは相談してな、二人を呼びつけた。地上は水に浮かぶ脂やクラゲのようなものだ、固めて大地を作りなさいと。
天の浮橋に立った二人は矛を使ってかき回し、オノゴロ島を造られた。そこに降り立ったイザナギとイザナミはまぐわって、多くの島(14個)と沢山の神様(八百万)を創ったそうだ。ところがな、火の神を生んだイザナミは大火傷して亡くなってしまった。イザナミを出雲の国の比婆(ひば)の山に葬り、イザナギは悲しくて泣き続けたのだ。
(オロオロ 神様も亡くなるのだね)
(まぐわるって、なんのことじゃの)
●爺さんは耳が遠いふりをした。
一度はイザナミの死を受け入れたイザナギだったがの、どうしても忘れられん。
(オロオロ 僕もクシナを忘れないよ)
(クシナ ありがとう。でもね、死や別れはすべてにおとずれるのよ)
会いたくなったイザナギは、亡くなったイザナミに会いに死者の住む「黄泉の国」に出かけました。
地上と地下の入り口には大きな岩があってな、それを挟んでイザナギはイザナミと話したそうだ。一度は、黄泉の神様と相談してみるといったイザナミだった。でもなかなか出てこない。痺れを切らしたイザナギは灯を付けて入ったのよ。そこには腐り果て、ウジが湧いたイザナミがいたんだ。驚いたイザナギは悲鳴を上げて逃げだした。「なんて醜い女だ。俺は目が覚めた」。
(オロオロ 僕なら逃げないな)
(クシナ どうして。怖くないの)
(オロオロ だって腐ったって好きだということには変わりないよ)
怖さに慄(おのの)くイザナギ。激怒するイザナミだ。イザナギは逃げる。イザナミは許さない。あれだけ愛し合った二人だがな、醜い争いになったのだ。
●爺さんは、逃げるイザナギとなり、囲炉裏の脇に這いつくばった。そして追いかけるイザナミになり、残り僅かな白髪を振り乱す。皺だらけの顔が囲炉裏の火で真っ赤に火照り、皺くちゃな手がウジ虫のように伸びる。口の周りについて泡がウジのごとく蠢く。
「わらわに、恥をかかせよって」
「知らん」
「許せんぞーーーまたんか―――」
●爺さんの体にイザナギが、イザナミが憑依する。爺さんの白濁した目が童を睨むと、童は互いに震える手を取り合い、息をひそめる。額に汗を浮かべ御座に爪をたてて這いつくばると童は握り拳をつくって、前のめりになった。
暗い洞窟を必死で逃げるイザナギに、イザナミは追っ手を出した。それは黄泉の国の一番怖くて強い女軍隊たちだ。イザナギを追いかける。
「こらー、またんか」「おんどりゃ、またんか」「食い殺してやる」「足に食らいついてやる」
口は耳まで裂け、目は真っ赤に燃え盛り、唇から牙がで、爪は伸び放題で、髪にはシラミがたかる。蚤がたかった着物ははだけ、あばら骨が丸見えだ。ところが腕力あって岩など木っ端微塵に砕いてしまう。裸足でも走るのも早い、早い。「まてー」「またんか」と追い着いた。
捕まりそうになるとイザナギは髪飾りを投げつけた。髪飾りが山ぶどうになった。醜い女は食らいつくが直ぐに食べつくし、また追いかける。「待たんかー」「食ってやるぞ」。
こんどは櫛を投げた。櫛は竹の子に変わる。これも直ぐに食い尽くし追いかける。
●爺さんは這いつくばって囲炉裏の周りを回り、急に立ち上がった。まるで童に覆いかぶさるようにして叫んだ。
「またんかー」とイザナミは叫ぶとな、自分の体にまとわりついていた魔物を差し向けた。境界線の黄泉比良坂(よもつひらさか)で、桃の実を三つ取って投げつけると魔物はやっと退散した。ところがイザナミだけは違った。どんどん迫ってくる。捕まれば殺される。洞窟の出口を岩で蓋をした。イザナギはやれやれと安心した。ところが岩の向こうからイザナミが、「お前の国の人間を毎日千人殺す」と脅してくる。イザナギは「毎日千五百人の赤ん坊を生む」と答えたそうだ。これがな、イザナギとイザナミの永遠の別れだな。
(クシナ 可哀そうな話だね。一緒に国造りをしたらいいのに)
(オロオロ どうして憎しみあうのだろう)
●爺さんはここまで話をすると湯呑の酒を飲み干し、不安げに見る童に頷いた。
さて、いよいよスサノヲの誕生だ。
無事、黄泉の国から生還したイザナギはな、汚れた身体を清める禊(みそぎ)をするため日向の里に出かけられた。そうだのう、今の九州南部辺りかのう。そこで杖や衣類を捨てると、そこからも神様がお成りになった。そしてな、川に入られて身体を清められると次から次と沢山の神様がお成りになられたのだ。
(オロオロ ひとりでも神様をつくったのだね)
●爺さんは囲炉裏にいざり寄り、まるでちょうずばちで顔を洗うように両手を差し出した。
こうしてな、禊の最後に顔を洗われた。まず左目を洗った時に成られた神様が、アマテラスだ。次に右目を洗うとツキヨミで、鼻を洗った時に成られたのが、誰かな。
●爺さんが何度も話したように、年長の童は何度も聞いている。初めて聞く童が退屈そうに手悪さしても、そっとなだめるのは盛り上がる局面を知っているからだ。それは子供心に、話をしてくれる爺さんへの配慮でもあった。
●年長の童の目配りにみんなが一斉に叫んだ。
「スサノヲさまだ」
●爺さんは皺の中に目が隠れるほどに破顔した。
そうだそうだ、そうだよ。みんなが待ち望んでいたスサノヲ様の出現だ。偉い三人の神様だ。それを三貴子という。
イザナギは三貴神に言われた。アマテラスは神様のいる高天が原を治めなさい。そしてな、ツキヨミには夜の国を、スサノヲには海原を治めなさいと。それぞれに役割を告げられた。
■島根国 ここでお気づきの方もいらっしゃることでしょう。サイトのトップページで「太陽」「月」「海原」と現れた意味を。そうです。アマテラス、ツキヨミ、スサノヲの出現を表していたのです。
●爺さんは皺だらけの握り拳で自分肩をトントンと叩いた。それを見た年長の童が爺さんの肩を叩く。有難いことだと爺さんは手を合わせた。目じりには白く濁った涙が貼りついている。
さあーて。今日はここまでにするか。わしも少し疲れたわ。それに舟をこぎだした小さい童もいるしな。もっと聞きたいって。そうじゃな、明日の昼にでも話そうか。おとうやおかは祭りの準備で忙しいからな。
●童はめいめい「約束だよ」と指切りして囲炉裏から離れていった。爺さんは見送ると、湯呑に残った酒を飲み干して煤だらけの天井を見上げた。
●さて、今日の話は上出来だったかな。ところで誰かが言っていたな、「神様も死ぬのか」と。そうだな、わしも気が付かなんだ。神様が死ぬなんて。
参考文献 三浦祐之『口語訳 古事記』『出雲神話論』
藤岡大拙『神々と歩く出雲神話』
その他多くの書籍と故郷の爺さんや婆さんから聞いた話をベースにしました。
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