●爺さんは庭先まで出て中学の校長を見送ると、作業場として使う小屋へと急ぐ。今日の出雲神話の語りは小屋でする。
●校長の運転するオートバイが煤煙と土煙を上げ、下の道を走り去る。爺さんは思う、校長の気持は十分わかる。しかし、校長の力ではどうしようもない。今年も「金の卵」とたてまつられて沢山の中学生が働きに出た。来年の卒業生を求めて就職斡旋会社が頻繁に学校に通っている。校長は、教育者なのか、就職の斡旋なのかで悩んでいた。
●「お爺さん先生、こんにちは」。小さな童が手を握る。小屋の前には既に童が集まって、綾取りや相撲をとっている。
やあやあ、皆の衆、待たせたな。すまんこった。さあさあ、みんな小屋にあがった、あがった。今日はおはぎと蒸した饅頭だ。みんなの分はあるからな。ここで食べてもええし、お腹がいっぱいなら持って帰ってもええけんな。ただしおひとり様二個だぞ((笑))。
●お菓子が目当てで来るのか、話が目当てで来るのか、爺さんはどちらでもいい。こうして童と一緒に時を過ごせることが何より楽しみだ。童は村の宝だ。戦前、戦中、戦後と教員をした爺さんにとって、童は時代を教えてくれる先生でもある。神話や昔話を話すだけでない、童たちの感想が有難い。それが見つめ直す良い切っ掛けだ。
さ~て、始まり、始まりだ。
スサノヲは、クシナダヒメと両親を残して何処に行ったのかな。しばらくはスサノヲともお別れだ。
出雲大社に鎮座されておらっしゃるオオクニヌシの話の始まりだ。これからがな、出雲の国の国造り神話の始まりだ。オオクニヌシにはオオナムジなど色んな名前があぁますが、爺の話ではオオクニヌシにさせてもらいますわ。よござんすね。
●童は叫ぶ「よごさんす」。
そのオオクニヌシには、おかかの違う兄弟が沢山おおまして、それをまとめて八十の神(やそのかみ)と言いますわ。その八十の神はみんな、稲羽(いなば)のヤガミヒメに惚れちょうましてな、嫁にしたいとみんなで出かけました。オオクニヌシもみんなの荷物持として後ろについて出かけました。なんでか分からんが、随分、ひどい扱いですな。
●しおから坊主が蒸し饅頭を頬に当てて笑いをとる。たしかに家に飾られた大黒様の頬は丸々とふくよかだ。年長の童が注意する、食べ物を大切にしろと。
さて、今でいうとな、鳥取県の外れにある鳥取市の気高町だな、気多(きた)の岬に八十の神たちがさしかかると、皮を剥がれて赤裸の兔が倒れておった。そうそう今の白兎海岸だな。
●「お爺ちゃん先生、あだん、しっちょうよ」と言うと、小さな手で袋を担ぐ真似をして、「大きな袋肩にかけ、大黒様がきささると、こうこは稲羽のしろうさぎ、皮を剥がれてあか裸~」
●一番を歌ったところで姉の童が止めた。なかなか機転の利く童だ。最後まで歌えるだろうが、歌ってしまえば爺さんの出番がない。爺さんは童に拍手した。みんなも一緒に拍手する。
うめえ、うえも。かしこい童だ。よう憶えたな。婆さんか、それとも保育園の先生が教えてくれたのか。
●「ちがぁが、お姉ちゃんに教えてもらったんだ」
そうかそうか。賢い姉さんだ。
さて、八十の神たちだ。苦しんでいる赤裸のウサギに言ったとさ、「海の塩水で洗い、風通しのいい山の尾根の上でうつ伏せになっていると治る」とな。ウサギは言われたままに塩で洗い、うつ伏せになっているとな、みるみるうちに塩が乾き、薄皮は剥がれ裂けてきた。痛く痛くてたまらんが、ついにウサギはシクシク泣きだした。
そこに重い荷物を背負ったオオクニヌシがやってきた。「ウサギさん、どうして泣いているの」と尋ねるとな、ウサギは身に起きたことを話し始めたとさ。
ウサギが言うに、
「私は海の向こうのオキの島に住んでいて、こちらに来たいと思いました。ところが渡る方法がありません。そこで知恵を絞ってワニを騙して渡ろうと思いました。間抜けなワニに『ワニとウサギはどちらが多いか比べてみよう。ついてはワニを集めてここから気多の岬まで横に並んでくれ。私がその上を飛んで数えるから』と。ワニは真面目に並びました。私は一つ二つと数え、大地に着く寸前、嬉しくなって言ったのです。『わーい、騙された。こっちに来るために並んでもらったのだ』。怒ったワニは飛びつくと私の皮を引き裂いたのです」。
オオクニヌシはな、そりゃあ嘘をつくお前さんが悪いと思ったわ。そげでも、痛がっているウサギには言えんが。だまってきいちょった。
「痛くて痛くて泣いていました。そこに八十の神が来られて、『塩水で洗い、尾根でうつ伏せになっていれば治る』と教えてもらい、その通りにしていました。ところが肌は破れて増々痛くなりました」
クシナ) 意地悪な八十の神ね。だからヤガミヒメにも嫌われるのよ。
オロオロ) 違うよ。意地悪ではなく、医術や薬草について知らなかっただけだよ。
クシナ) じゃあ、知らないっていえばいいじゃないの。適当なこと言わないで。
オロオロ) そうだね。でもさ、知らないことを認めたくないのだよ。
クシナ) プライド?
オロオロ) プライドよりも、知らないということに気付いていない。自分が無知であることが分かっていないのだよ。
クシナ) どういうこと。
オロオロ) 無知の知。ソクラテスが偉そうなことを言う哲学者に、知らないことが沢山あることを知るべきだと諭したの。それと同じ。八十の神は自信家で、自分が一番偉いと思っている。だから適当なことを言ったのだよ。それが治療としては真逆だった。
クシナ) 無知であることを知っていたら、無責任なことを言わなかったのね。耳が痛いな。
オオクニヌシは近づいてウサギに言わっしゃった。「今すぐに川に行って、真水で洗わっしゃい。そげしたら水辺に生えちょう蒲の穂を撒き散らし、そこに横になっょうと治るけん」。そげしちょうとな、ウサギの身体は元通りに治ったそうだ。
助けた素うさぎ(しろうさぎ)が言わっしゃった。
「先に行かれた八十の神は、ヤガミヒメと結婚できません。あなた様が妻にするでしょう」。ウサギが言わっしゃったように、ヤガミヒメは八十の神の求婚を断らっしゃった。「私、オオクニヌシの妻になります」と。腹が煮えくり返った八十の神は、オオクニヌシを殺してしまおうと計画したそうだ。
クシナ) 最低ね
オロオロ) 国造りの始まりは、こんなものだよ。自分の欲と力だけで支配しようとする。
クシナ) じゃあ、オオクニヌシは優しかったのね。
オロオロ) それもあるけど、そんな心のレベルじゃない。すでに海の向こうの国と交流があったと思う。そのころは軍事力が第一だ、八十の神は学んだけど、オオクニヌシには学ばせず、医療技術や薬草、文化や技術を押し付けたと思う。
クシナ) そうか。オロオロは。なんか大人になったみたい。
オロオロ) そんなことないよ。少し知恵がついただけだよ。
クシナ) じやあ、オロオロも「無知の知」を知ることね
オロオロ) ・・・
八十の神は、伯耆(ほおき)の国の山の麓にオオクニヌシを連れ出すとな、言わっしゃった。「この山には赤い猪がおうが。わしらが追い出すけん、わぁが下で待ち受けて捕まえろ。いいな、失敗すうと、代わりに我を殺すけん」。猪に似せた大きな岩を真っ赤に焼いて、山の上から落としゃった。オオクニヌシは言われた通りに待ち受けて、その真っ赤な岩を受け止めなさったわ。すうと大きな岩に押しつぶされて焼け死んだそうだ。
●爺さんはみんなを見渡した。童も爺さんを見つめ返した。
それを聞いたオオクニヌシの母神はひどく悲しんで、すぐさま高天ヶ原に飛んでいきなさった。そこにおらっしゃる女の神、カムムスヒにお願いなさったのだ。どうかオオクニヌシを助けてくださいと。そうだ、そうだ、みんな覚えちょうか、カムムスヒの神様を。
●童たちは顔を見和わせて互いに首を横に振った。両親が出稼ぎに出かけている年上の童は一度縦に頷いたが、みんなと同じように横に振った。爺さんは微笑みながら頷いた。
忘れちょうか。そげならもう一度教えてやぁわ。スサノヲが高天ヶ原から鳥髪に降りてこらっしゃるとき、沢山の食べ物の種を持たしてくらっしゃった神様がカムムスヒだ。もう忘れちゃいけんぞ。カムムスヒの神様は出雲神話とは深く関わっておらしゃぞ。
そげすうとカムムスヒはキサガヒヒメとウムギヒメを遣わしゃったのだ。キサガヒヒメは、焼け岩に貼りついた死んだオオクニヌシの身体を貝の殻で剥がし、ウムギヒメは母神の乳に薬を混ぜて身体に塗らっしゃった。そげすうと、オオクニヌシは生き返り、元の身体にならしゃったのだ。
話は逸れぇがな、正月に赤貝の煮つけを食べが、キサガヒヒメは赤貝、ウムギヒメは蛤という話もあだ(※)。八百万の神様というが、いろんなところに神様はおらっしゃる。それはな、スサノヲやオオクニヌシのように絵になっちょう神様もおうが、多くはな、それとちごぅて、鳥や虫、草や石、そうだけでねえ、風にも雲にも神さんは姿を変えておらっしゃる。みんな大切にすることだ。もちろん童たちの心の中にもおらっしゃる。
※赤貝と蛤については『自然の恵み』「食と酒」の「神々の食」を合わせてご覧ください
鳥取県の南部町に、オオクニヌシを祀る赤猪岩(あかいいわ)神社があぁが、オオクニヌシの命を奪ったといわれる大岩が安置されとう。大きくなったら見に行くがいいわ。
●婆さんがみんなに番茶を配った。童たちは行儀よく「いただきます」と叫ぶと、いっせいに口にした。蒸し饅頭が胸につかえていたかもしれん。「小便」と童が立ち上がった。
さあて、はじめぇかな。生き返ったオオクニヌシに八十の神はますます腹立てて、山の中へと連れて行ったげな。そこでな、八十の神は、大樹を切り倒し、縦に割れ目をいれると、その割れ目に楔(くさび)を打ち込んで少しの隙間を作らっしゃった。ひどいことを考える八十の神だ。その隙間にオオクニヌシをいれるとな、楔を抜き取った。オオクニヌシは太い木に挟まれて、潰れ死んだのじゃあ。
船通山の裏側になる鳥取県の日南町に大岩見神社がああが、祀っちょう神様はオオクニヌシとヤガミヒメですわ。オオクニヌシの二度目に殺される地ではないかと言い伝えられちょうます。
●「ひどい神様」。
母神たちはオオクニヌシを探し出してな、泣きながら生き返らせたということだ。いつの世も、子供に対する親の気持は変わらんもんだ。オカァは子供が一番かわいいからな。
●爺さんは出稼ぎに出でいる姉妹を目の端で見た。姉はもちろんだが妹の童も気丈に頷いた。
母神は、いつかきっと殺されるだろうと思わっしゃった。そこで今の和歌山だな、昔は木の国と言ったがな、そこのオホヤビコの元にオオクニヌシを逃がされなさった。ところがな、八十の神も執念深い神様だ、押し掛けるとな、オオクニヌシを出せと迫ったげな。
守り切れんと思ったオホヤビコは、「スサノヲのおらっしゃる根の堅州の国においでなさい」と木の俣の穴からオオクニヌシを逃がしたということだ。
●「よかったわ」と童に笑顔が戻った。「そうだよ、スサノヲは強いから、八十神なんか一撃だ」。男の童が胸を張る。
●「須賀(須賀神社)の地を出たスサノヲは、お母様のいらっしゃる根の堅州の国に行きなさったんのね」。年長の女の童は呟いた。
●爺さんはみんなを見詰めていった。
そうだ、オオクニヌシは根の堅州の国でスサノヲに会わしゃった。そこでいろいろな試練が待っちょうが、それは次回の楽しみだ。今日の話はここまでだ。そうそう、みんなは男ん子も女ん子も分け隔てなく仲良くすうだ。仲が好いことが一番だけんな。それじゃあ、こっぽし、こっぽし。
●童たちが一斉に拍手をした。
みんな気を付けて帰だぞ。道草すんじゃねえぞ。肥溜めには気いつけよ。くれぐれも田んぼに石なんぞ投げたらいけんぞ。わかっちょうか。
●分かっちょう。さいなら。
●風と枯れ葉が話し始めた。
オロオロ) ねえ、聞いてくれる。
クシナ) どんなこと。
オロオロ) ヤガミヒメに会いに行くまでオオクニヌシには、「出雲国」を造る野望はなかったと思うんだ。八十神の攻撃が統治者オオクニヌシをつり上げたと思う。
クシナ) ヤガミヒメやここに暮らす人々が、優しいオオクニヌシをリーダーにしたと思うよ。戦争もない平和な国にしてくださいの思いを込めて。
オロオロ) そんな観念的なことでなくてさ。
クシナ) 失礼ね。
オロオロ) 稲羽のしろうさぎの頃って、まだ「出雲国」は統一国家ではなく、武力をもつ八十の神による「烏合の衆」の状態だったと思う。さっきも言ったけど、オオクニヌシは裏方で、みんなの荷物を持って最後に付いて行ったのもそのためだ。戦争の軍隊でいえば後方部隊。軍需品や食糧を担う兵站と怪我人の医療部隊だよ。
クシナ) だからなに?
オロオロ) 海の向こうの国との交流はすでにあった。八十の神は、戦に勝つ戦略や兵器について学んでいた。でもオオクニヌシはそこに参加できず、医療や薬草、軍備開発の技術、そして国を治める考えについて学んだ。
クシナ) また始まったわ。
オロオロ) しばらく僕の仮説を聞いて。八十の神たちは「ヤガミヒメ」の国を武力制圧に向かった。ヤガミヒメの親である領主は、軍勢を見て勝てないと判断した。そこで策を練り、八十の神のなかで一番力が弱く、いつでも領地を取り戻せる男にヤガミヒメを嫁がせようと考えた。それが誰であるかを調べる偵察が、「稲羽のしろうさぎ」だった。ウサギはオオクニヌシに医療技術や薬草の知識があること知り、将来的にはオオクニヌシと手を結ぶことが得策だと提案した。
クシナ) そうかしら。
クシナは思った、オロオロは現象を解釈しているだけだ。語部の話でたいせつなのは、ストーリーではなく、何を伝えたいのかをくみ取ることだと。語る人、聞く人の心を知ることが大切だと。ただ、今のオロオロには聴く余裕がない。
オロオロ) 僕も勉強したい。
クシナ) つづきはお家で聞くね。帰りましょう。
爺さんは赤味を帯びてきた西の空を見て思い出した。豊かな生活とはなんでしょうかね、と校長は言い置いた。爺さんにも「豊かさ」とはなにか分からなくなっている。あの童たちに、何を教えることができるだろうか。
つづく
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