• ~旅と日々の出会い~

七話 出雲国造り③ 恋するオオクニヌシ ― くどき上手 ― 

●爺さんは、庭の草取りの手を休めて考えた。昨夜の老人会のことだ。爺さん婆さんだけの趣味や噂話の寄り合いでなく、孫のような童や青少年との交流もはかったらどうかと提案があった。たしかに最近、よその子との話も減った。幼稚園からはお遊戯会への招待はあるが、小学校や中学校から声のかかることもなくなった。ところが年寄り扱いされて嫌だという意見も出た。結局、「世代の断絶」だと世間話で終わった。爺さんは思う、力もないし、考えも古臭いが、年寄りだから社会に貢献できるはずだと。

●「お爺ちゃん先生」と、いつもの童たちがやってきた。少し早いようだが、幼稚園で作った藁草履(わらぞうり)を、昔話のお礼にくれるという。

だんだん、上手にできちょうのう。だ~がな、おめえたちの爺さんや婆さんに、あげんでいいのか。

●「先生(幼稚園)が、お世話になっちょう人にもと言わっしゃったので、みんなで作ったんだ」

●たしかに左右ちぐはぐだ。だが、そのちぐはぐさが可愛くて、嬉しい。

そうか、そうか。有難い。ちょいと仏壇に供えてくーわと、一度手を合わせた。

出会いと別れの話

さてさて、始めますか。

そうそう、ちょんぼしだがな、爺さんの弟が東京におうが、それから、みんなにっと送って来てくれた浅草の『雷おこし』だ。みんな、一枚ですまんが取ってくれ。それと芋は食い放題だ。

●歓声が上がった後、童の目が雷おこしに釘付けだ。それも見るだけで、口にしようとはしない。

爺さんより雷おこしが良いようだな。みなの衆、おこしは逃げんから、こっち向け。

オオクニヌシはスセリビメと共に戻り、八十の神を征伐して『葦原の中つ国』の主となった。スサノヲに言われた通り、スセリビメを正妻とし、出雲の地にたいそう立派な社(やしろ)を造らっしゃった。

てえしたもんだ。あれだけ八十の神に虐められ、二度も殺されなさったオオクニヌシだが、スサノヲからもらった武器がよっぽど凄かったのか、それとも、もっといろいろなもんを頂いたのか、打ち勝ったのだ。これからが「出雲国」の国造りの始まりだ。

●爺さんは、最初の国とはと問うた童を見た。童は小さく頷いた。先日、童には国につい話してきた。力で治めるだけでなく、知恵で治めるところから国としようと。

さて、みなの衆、ヤガミヒメを覚えちょうか。

●童は一斉に「はーい」と叫ぶと手を挙げた。「稲羽のしろうさぎのお姫様」。

オオクニヌシが、最初に結婚されたのは『因幡の素兎』に出てこらっしゃったヤガミヒメだったな。オオクニヌシが国を治めなさると、そのヤガミヒメを約束通り出雲に呼びなさった。

まあ、二つ説があってな、ひとつは出雲に来られて、「ややご」を身ごもられた。ところが正妻のスサノヲの娘のスセリビメの妬みが怖くて逃げだして、出雲市の近くの斐川町のあたりで「ややご」を生み、木の股にかけて帰らっしゃったという。もう一つはな、「ややご」を身ごもって美人の湯の「湯の川」まで来らっしゃった。そこで湯につかっちょうと、スセリビメのことを聞き、恐れをなし、あとは同じだ、「ややご」を木の股に置いて帰らっしゃった。

●「可哀そうなヤガミヒメ」。「そのややこはどうなったの」

木股神(きのまたがみ)と言ってな、祀られちょうよ。出雲市には、オオクニヌシとヤガミヒメと子供の神様を祀る御井(みい)神社がああわ。

日本海北上の旅立ち

さてさて、葦原の中つ国を治めたオオクニヌシは、ある時に、今の新潟だな、高志(こし)の国のヌナカワヒメを嫁さんにしようと、出掛けらっしゃった。まあ、新しい領地を求めて出掛られたかもしれんな。因幡の素兎のヤガミヒメの時とき大違いでな、お供ではなく、自分から進んでいきなさった。

さてさて、そげして、ヌナカワヒメの館に着くやいなや、閉じられた雨戸の前で、思いのたけを歌にして歌わっしゃった。ほんにまめな神様だ。

●「歌かね。わかく、あかるいうたごうに・・・」。「静かにしんさい」。年上の童に叱られて歌った子供は拗ねてしまった。

●ラジオから流れる曲か、兄や姉の口ずさむ歌で覚えたのだろう。オオクニヌシがヌナカワヒメに歌ったと聞いて、学校の音楽より歌謡曲を思い出したようだ。

『青い山脈』か。ずいぶん難しい歌を知っちょうな。こんど、みんなでのど自慢大会でもやーか。

●思い付いたことを口にした。ところが、みんなから歓声が上がり、やることとなった。老人会のみんなも喜ぶかもしれん。それにアコーディオン弾きの先生も喜ぶはずだ。

さあ、話の続きだな。歌と言っても「神語り(かむがたり)」と言ってな、難しいかな、相手に話す詩の朗読のようなもんじゃ。

爺さんも、長げえから覚えちょらんが、だいたいこんなことを言わっしゃった。

私はオオクニヌシだ。みめうるわしい嫁さんを探しにここまで来ましたが。まだ、刀もとらず、旅の衣も抜かず、雨戸を壊して入ろうと思っちょう。ところが鳥がうるさくて、追い払おうと思っちょうます。

せっかちなオオクニヌシだ。

●爺さんは、あまりいやらしい口調にならないように自分でも注意をしている。

そうすうとな、なかからヌナカワヒメも同じように歌わっしゃった。てえしたもんだ。

私も貴方をお慕い申しております。どうかか弱い女子ですので、夜までまっちょぅてくださいとな。明日になれば、約束通りお嫁さんになります、と。

オオクニヌシとヌナカワヒメは仲良しにならっしゃった。ヌナカワヒメを祀った神社があぁよ。今の新潟県の糸魚川市にある奴奈川(ぬなかわ)神社だ。

●爺さんは童が「雷おこし」に手を付けていないことに気が付いた。婆さんに大きな飴玉を人数分持って来いと声を掛けた。珍しいお菓子は宝物だ。爺さんの頃は飴玉だった。

なあ、みなの衆。これからもオオクニヌシはいろんな所に出かけられた。気の弱いオオクニヌシではない。どんどん、いろんな土地を治めていかっしゃった。

●童たちの小さな頬の片っ方が、飴玉で膨らんだ。「ゆっくり舐めぇだよ」と注意する。ついつい飲んで詰まらせてしまうことがある。婆さんは小さな童には小さな飴を二個渡したようだ。

国治め

さてさて、正妻のスセリビメも心穏やかではないわー。オオクニヌシが出かけると言えば、たまには怒ってみらっしゃった。しかしな、わーわー、ぎゃーぎゃーと言い過ぎれば、オオクニヌシも臍を曲げる。そこでやんわりと言わっしゃた。

そうもな、ヌナカワヒメと同じように歌にして、自分の心とオオクニヌシへの思いを歌わっしゃった。不思議なもんでの、優しくでられりゃ、オオクニヌシも気が変わる。同じように歌にして返された。そげして馬から降りるとどこにも行かず、スセリビメのいる家に入いらっしゃった。出掛けることをやめなさったとさ。

まあ、スサノヲの娘さんだわ、力が強いだけでねえ、知恵も回るし、相手をなだめるのも上手だ。そこにきてスサノヲ譲りの歌の教養もありゃあ、うまいこと言わっしゃる。幸せに続いたとさ。

●爺さんは、童たちへの話では幸せな家庭で終えたがいいと思う。婆さんからも注意された、あんまし忠実に話すんじゃねえと。小さい童には小さい童なりの話があぁだろうと。

さてさて、オナゴさんとの話はここまでだ。次はどげして国を治められたか話をすうわ。

●「爺さん」。隣りの村から弟を連れて、たまに来る童が手を挙げた。

なんかね。

●「おら、先週、来れんかったから、学校の図書館で、子供向けの古事記を読んだが。そこに翡翠(ひすい)のことが書いてあった。そうが勾玉(まがたま)と関係ああかね」

●飴玉に夢中の小さな童を見て爺さんは、高校の図書館で読んだ「考古学」の発掘調査のことについて話すことにした。

小さな童には退屈なことかもしれんが、チョンボし聞いてくれ。四年生にもなれば昔話だけでなく、古代史のことも大切だからな。

●この村も山や岡の畑を掘れば、土器の欠片や貝殻が沢山でてくる。そんな保存も大切だと、教育委員会に提言したいと考えている。

そうだな、爺も最近勉強したところで素人だが、本で読んだだけのことは話しておこうかな。

●年長の童は身を乗り出した。塩から坊主も殊勝な顔をする。

さっき話したがな、ヌナカワヒメを祀る神社が新潟県の糸魚川市にあると。その奴奈川(ぬなかわ)神社の近くに、「姫川(ひめかわ)」が流れておうが、どうやらヌナカハだったではないかと言われちょう。その姫川の支流の谷ではな、縄文時代から沢山の翡翠(ひすい)が採れ、河口には加工跡も見つかったということだ。

ダイアモンドと同じくらい貴重な宝石だ、きっとオオクニヌシも、その翡翠を求めって行ったんじゃないかな。これは爺の推測だけじゃない、偉い先生の中にも、そげ言う人もおおますわ。

ヌナカワヒメは、もしかすうと翡翠のことかもしれんな。

●童は手を叩き、「そうか、爺さん、おなごの神様がいっぱいでえが、もしかすうと、翡翠のように大切なもの例えだったかもしれんな。そげすうと、スセリビメもスサノヲからもらった武器かもしれん。」

●童は、子供向けの滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』をランドセルからだし、「これとちょんぼし似ちょうが」と言った。

どこかね。どこが似ちょうかな。

●「もやもやしちょうが、なんか、苦しみながらも人が集まっていくところだ」

そうだな、人は昔の人の話を聞いて、学び、そげして新しい話をつくる。小さい童たちも、大きくなったらお兄ちゃん童のように、いっぺえ、本を読んで勉強するんだぞ。

●爺さんは自分にも言う。高校の図書館で『古事記』を読むまで、昔話の古事記しか知らなかったのだ。

それじゃや、今日はお終いだ。こっぽし、こっぼし。

●「ありがとうございました」とお辞儀する童に、爺さんは言った。

そうそう、雷おこしだけでなく、残っている芋も、みんなで平等に分けてもって帰れよ。新聞紙はそこにああけん。

対立から共存へ

●ススキが風もないのに揺れた。

  オロオロ) やはりそうだった。

  クシナ) なにが? といってもだいたい予想できるけどね。

  オロオロ) じゃあ、簡単に話すよ。オオクニヌシの話は、国造り神話でも、段階的な国造りを紹介した、教訓に満ちた話なんだよ。

  クシナ) はいはい。(理屈っぽいが可愛い弟みたいなオロオロだ)

  オロオロ) 三柱の女の神様には、それぞれ国造りに向けての他者や隣国との関係が、描かれているんだ。

第一はヤガミヒメ。八十神の家来のように扱われたオオクニヌシも、領主としての輝きがあった。それを見抜いたのが因幡の国だ。でも、軍事力のないオオクニヌシは殺される。それを助けるのが身近にいるお母さん。ここでは、真の仲間が大切だと教えている。

第二はスセリビメ。スサノヲの権威と軍事力を授かる。国造りのために戦いに勝つ軍事力と、治めるための「正義」という旗印と権威が必要だ。その証しが琴とスセリビメだ。

第三はヌナカワヒメ。

  クシナ) ヌナカワヒメは違うよね。優しく歌を歌った弱い女の神様よ。

  オロオロ) そうだよ。そこが、出雲神話の味噌なんだよ。

  クシナ) 偉そうに((笑))

  オロオロ) 祭事にも、国を治める権威にも重要な翡翠を手にいるため、オオクニヌシは戦いではなく、対話路線で接したのだよ。軍事支配ではなく、ともに栄える共存だよ。それが話し合いによる連合の提案だ。

  クシナ) そうね。確かに力だけでなく知恵の神様ね。

  オロオロ) 葦原の中つ国というか『出雲国』があれほど大きな領土を持ち、文化や技術を持ったのは、軍事支配だけでなかったからだよ。他の国の文化や考えを認めつつ、互いに特徴を活かして栄えたからだ。

  クシナ) そうね。『古事記』の上巻で、出雲神話に三分の二のページを割いたのも納得できる。

  オロオロ) でもさ、逆に言えることは、だから内部からの裏切りも多発したと思うよ。でも、僕はオオクニヌシが好きだな。

  クシナ) 私もよ。

  オロオロとクシナは、次の風を待って飛び去った。

                       つづく

→「出雲神話と神々」に戻る

SNSでシェアする