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十九回 三貴神を祀る阿佐ヶ谷神明宮
―参拝後は阿佐ヶ谷商店街周辺のショッピングと昼飲み―

JR阿佐ヶ谷駅北口から徒歩で二分ほどの武蔵野の面影を残す大木の中に、阿佐ヶ谷「神明宮」があります。

神明宮の鳥居
阿佐ヶ谷神明宮の起源は

鳥居脇に杉並区教育委員会の説明文があります。

「天保七年 ( 1836 ) に刊行された 『 江戸名所図会 』巻四によると、日本武尊が東征の帰途、阿佐谷の地で休息し、のちに尊の武功を慕った村人が旧社地( 阿佐ヶ谷北5-35付近、同周辺一帯をお伊勢の森と称した ) に一社を建て、神明宮を勧請したのが当宮の始まりといわれます」 

 「建久年間 ( 1190~1198 ) には土豪横井兵部 ( 一説には横川 ) が伊勢神宮に伊勢神宮参拝した折、神の霊示をうけ、宮川の霊石を持ち帰り、神明宮に安置したと伝えられています」

建久元年(1190年)、源頼朝が義経を匿ったとして奥州藤原氏を滅ぼした翌年です。

江戸時代から庶民の信仰が篤く、明治7年に神明社、日枝社、北野社を合祀して天祖神社としました。平成2年(1990年)、社号を江戸時代からの名称である「神明宮」に復称。平成21年(2009年)秋に「平成の大改修」を終えました。

綺麗に掃き清められた玉砂利の道を進みましょう。

拝殿
三貴神と神話

神明宮の祭神は天照大神を主祭神とし、月読命・須佐之男命を配祀しています。

『古事記』の神話では、天照大神、月読命・須佐之男命の三神をまとめて「三貴神」と呼びます。『古事記』から簡単に紹介します。

(詳細は、当サイトの『出雲神話と神々』をご覧ください)

『島根国』「出雲神話と神々」より「神様系譜」

・三貴神誕生

天の浮橋に立ったイザナギとイザナミは矛を使ってかき回し、オノゴロ島を造りました。二人はまぐわり、多くの島(14個)と沢山の神様(八百万)を創ります。ところが、火の神を生んだイザナミは大火傷して亡くなりました。

弔った後も会いたくなったイザナギは、イザナミに会いに死者の住む「黄泉の国」に出かけます。地上と地下の間にある岩を挟んで二人は話しました。一度は黄泉の神様と相談してみるといったイザナミです。ところがなかなか戻ってきません。しびれを切らしたイザナギは地下に入ります。そこには腐り果て、ウジが湧いたイザナミがいました。驚いたイザナギは逃げだしたのです。

激怒するイザナミです。イザナギは逃げます。イザナミは追っ手を出して追いかけました。境界線の黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナギは洞窟の出口を岩で蓋をしたのです。

汚れた身体を清める禊(みそぎ)をするイザナギです。左目を洗った時に成られた神様がアマテラス、次に右目を洗うとツキヨミで、鼻を洗った時に成られたのがスサノヲ。この三神を「三貴神」と呼びます。

・アマテラスとスサノヲ

天を司るアマテラス。海を治めよと父神のイザナギに命令されても従わぬスサノヲ。天上で大暴れしたスサノヲはアマテラスによって地上へと追放されます。ところがスサノヲは、地上に降臨すると正義の味方へと変身するのです。八岐大蛇を退治し、助けたクシナダヒメを娶り、国を治めると大きな社を築き、最初の和歌を読むインテリゲンチャになるのです。

無欲のスサノヲです。その国をクシナダヒメの両親に渡すと自分は母イザナミのいる地下の国へと旅立つのでした。力強くて、インテリで、奥さんに優しいうえに無欲。ドラマチックに変わった神様です。

・大国主命(オオクニヌシ)

さてスサノヲとクシナダヒメの間に生まれた六代子孫が出雲大社に祀られている大国主命です。葦原の中つ国という九州から関東までの広大な地を治めたのです。ところがアマテラスが国を譲れとせまるのでした。

これが『出雲神話』の、国の創生から国造り、国譲り神話のおおまかなながれです。

本殿紹介

拝殿から奥の本殿(御垣内三殿)を眺めると、中央に天照大神が、右に月読命、左に須佐之男命が祀られています。皆様それぞれの神様に感謝しましょう。

本殿
天照大神
月読命
須佐之男命
合格印の菅原道真公

鳥居をくぐり左手の茂みの中に五角形の潜りが目につきます。合格(五角形)の御利益でしょうか。奥に祀られているのが菅原道真公です。

合格
お守り「神むすび」

平成27年(2015年)より、「神むすび」というレースブレスレット型のお守りも頒布しています。多種類で多色の神むすびと、季節限定の神むすびがあります。

私は、島根出身ということで、八岐大蛇退治をした『須佐之男命』の「神むすび」を購入させて頂きました。撮影禁止なので、あわせて時期限定の「神むすび」、『月とウサギ』も購入させて頂きました。感謝、ご利益ということで。

神むすび・須佐之男命
神むすび・月とウサギ
八重垣祭

7月22日(海の日)は、須佐之男命に関わる八重垣祭が行われます。

阿佐ヶ谷商店街・パールセンター

昭和7年、新興住宅地の商店街として約120の店が集まりました。これがパールセンターの原型です。

戦後、地元有志によって道路を整備され、昭和29年に119本のケヤキが植樹されました。それが現在の「けやき並木の中杉通り」です(現在は約270本)。 同じころに、パールセンターの前身となる「阿佐ヶ谷南本通商店会」が発足します。昭和35年、各店が真珠(パール)の首飾りのように結び合い、栄えることを願って『阿佐ヶ谷パールセンター商店街』と名をあらためました。昭和37年、全面アーケード(初代)の商店街が完成します。

カラッと焼いた甘さひかえめの「たい焼き」

・阿佐ヶ谷ジャズストリート

商店街は、商品の売り買いやサービスの提供だけでなく、平成7年からは阿佐ヶ谷ジャズストリートを開催。多くの人びととの交流と文化創造のスペースともなっています。

・阿佐谷七夕まつり

昭和29年に始まった「阿佐谷七夕まつり」は、毎年8月に開催、仙台・平塚七夕まつりと同様に賑わっています。

・参拝後の昼飲み

阿佐ヶ谷界隈の飲み屋さん、昭和からの住民と若者が入り混じった街に相応しい多種多様の趣向ある店が構えています。お好みの店をネット検索やSNSの口コミで探すのもいいでしょうが、お薦めは散策ついでに初めての店に立ち寄る、「ぶらり暖簾くぐり」です。

そんな「ぶらり暖簾くぐり」で見つけたのが、女性二人で営む『酒女うろこ』。

一番のお薦めは「昼飲み」。営業時間は昼の12時から21時まで(ご確認ください)。阿佐ヶ谷神明宮のお参り前後にちょいとひっかける。あるいは新宿に繰り出す前の出陣式に、夕方からの本格飲み会前の下拵えに。それとも仕事帰りや買い物帰りの「角打ちに」。恋人を待つ間の迷走(瞑想)に。おもいおもいの時間を過ごしください。

明るいお二人に、美味しい料理、そして全国各地の銘酒。カウンターに座る常連さんに、団塊の世代と思えるシルバー夫婦。そんなすべてが中央沿線独特のカルチャーを生み出しています。

「酒女うろこ」入り口
お店の方
魚料理と島根の酒「天穏」

多くの歌手が歌い、沢山の作家や漫画家が取り上げた中央沿線。そんな阿佐ヶ谷の街には、貴方のために店を開けているところが必ずあります。是非、阿佐ヶ谷のカルチャーに触れてください。

阿佐ヶ谷神明宮
天照大神、月読命・須佐之男命
東京都杉並区阿佐谷北1-25-5
最寄り駅 JR阿佐ヶ谷駅 北口より徒歩二分

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