― 古代出雲族が関東平原で出会った神々 ―
「昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい」
国木田独歩の『武蔵野』の一文です。いつ読んでも飛び跳ねた滑稽な文体に笑ってしまうのです。だからといって嫌いではないのですが。
深大寺の植物公園を散歩したのは昭和の時代、その時、国木田独歩の『武蔵野』はこんな林だと思うと自然と笑っていました。あの気取った顔と服で歩く独歩に武蔵野は似合わないのです。
武蔵野といえば吉田松陰の「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」です。だからでしょうか、武蔵野はいつも静寂で荒涼としたイメージなのです。その荒涼を今はない見沼の広大な沼地に投影しているのです。
『武蔵一の宮氷川神社と見沼の海―古代出雲族が関東平原で出会った神々―』は埼玉県を中心にシリーズとして掲載します。全体の構成はできていませんが、出雲の地からこの地に来た出雲族の思いを、氷川神社をベースにその都度感度を変えて眺めてみます。最後に武蔵野の地に根を下ろした出雲族があぶり出されれば幸いです。
今回は、武蔵の一の宮の「大宮氷川神社」「氷川女體神社」「中山神社」と見沼、そして古代人の生活遺跡として貝塚と遺跡を目次的な意味合いで俯瞰します。
見沼は「沼」とつくように、現在の埼玉県さいたま市(北区・大宮区・見沼区・浦和区・緑区)と川口市に存在した巨大な沼のことです。現在も「見沼田んぼ」と呼ばれ田畑が残っています。総面積は1260ha、首都近郊最大の面積で、東京ドーム269個分です。
※いずれどこかの章で見沼田んぼの散歩コースを紹介します
・古代・中世・近世
縄文時代、古芝川によって浸食された谷に奥東京湾が入り込み、見沼のあたりは海でした。その結果、周辺には多くの貝塚が点在しています。
弥生時代、海岸線が後退し、見沼・入江沼・鳩沼・深作沼など多くの沼がつながる広大な沼沢地となりました。Y字型に分かれた川の流れは幾重にも湾曲し、多くの岬や入江、湿原や潟湖などがある複雑な地形を形成します。
氷川神社はこの沼の水神を祀ったことから始まったとする説もあり(龍神伝説)、沼岸には氷川神社・中氷川神社(現中山神社)・氷川女体神社があります。この三社をまとめて武蔵一の宮と呼ぶ考えもあります。またこの三社は一直線上に並ぶことから計画された意図を感じます。
江戸時代になると江戸の食料を賄うために沢山の新田が開発されます。現在の川口市一帯の灌漑水を確保するために約一キロに及ぶ堤防八丁堤を建設しました。下流の灌漑は成功したのですが、浦和あたりの沼周辺では多くの田畑が水没しました。
干拓と溜井は繰り返され、村の利害関係をあらわにし、一方で水害も頻発しました。しかし米を国の経営の核に置いた徳川幕府にとって、新田開発は重要な課題でした。やがて新田面積1,172 haの見沼田んぼが完成し、肥沃な穀倉地帯となります。一方、江戸に米を運ぶために見沼通船が開通し、商業の領域にも繁栄をもたらしました。
・現在
減反政策の施行の時を同じくして、埼玉県は見沼田んぼの保全に動きだします。1965年(昭和40年)、大宮市・浦和市の見沼地区の農地転用を禁止した「見沼田圃農地転用方針」(「見沼三原則」)を制定し、1969年(昭和44年)、「見沼田圃の取扱いについて」(「見沼三原則補足」)を制定します。1995年(平成7年)、「見沼三原則」・「見沼三原則補足」に代わる土地利用の「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」を策定しました。新都心開発など急速な都市化が進むなかで見沼の緑地帯は保存されたのです。
・貝塚
海のない埼玉県に海があった。その証明のひとつが貝塚の存在です。はじめにで掲載した縄文時代の海岸線に沿って貝塚が残っています。
埼玉県にある貝塚は110か所。その内、今回のテーマである武蔵一の宮の氷川神社のあるさいたま市と周辺市では、さいたま市・41、上尾市・5、伊那市・2、蓮田市・12、白岡市・1、春日部・9、川口・6。海の近くに現さいたま市があったことを物語っています。
貝塚からどのようなものが発掘されたか、さいたま市岩槻区で発掘された国の指定遺跡の真福寺貝塚では、縄文時代後期から晩期の集落遺跡と貝塚が発掘されました。
縄文時代晩期の竪穴建物跡は直径150メートルの馬蹄形に散在する集落で、土偶、勾玉、石斧、石鏃、耳飾り等と共に、貝塚からはヤマトシジミなど貝殻や獣骨類など動物遺体、クリ、クルミなど出土しました。高さ16センチメートルのミミズク形土偶国は重要文化財に指定されています。
・氷川神社遺跡
氷川神社の境内から縄文時代後期・晩期の「氷川神社遺跡」(発掘後の名前)が発見されたのが2012年(平成24年)のことでした。本殿を囲む形で馬蹄形に土を盛り上げた170mほどの遺跡は、縄文時代に中央の窪みのところで人による営み、あるいは何かしらの祭祀が行われていたのです。遺跡を環状盛土遺構(かんじょうもりどいこう)と名付けられました。
神社があって何かを造ったのか、それとも何かをする聖地に神社を建てたのか、推理のしがいのある遺跡です。
環状盛土遺構はここ以外のほかでも見つかりました。
「同じ時代の、同じように中央が窪地で周囲を小高く盛る馬場小室山遺跡(さいたま市緑区)、真福寺貝塚(岩槻区)、前窪遺跡(浦和区)では、その窪み部分で祭祀などが行われていた可能性があるため、同様の地形を持つ氷川神社でも、その窪み部分で何らかの祭祀が行われていたと考えられる」(野尻靖著『大宮氷川神社と氷川女體神社』さきたま出版会)
縄文時代に人が営みを築き、何らかの祭禮を行っていたことが遺跡から推測できます。それが氷川神社であり、移住してきた出雲族であると断定した固有名詞とは別に、漠として人がいて、シャーマニズム的な場を造り、祈りの習慣があったのです。さらに調べたいところです。
・大宮氷川神社
大宮の氷川神社については、当サイト『島根国』(2024/11/4)にて紹介しています。そちらをご覧ください。
・氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ)
氷川女體神社は、見沼の面影を深く残すさいたま市緑区にあります。
主祭神は、島根県の斐伊川の上流・鳥上山の麓で(現在の奥出雲町)、八岐大蛇伝(やまたのおろち)に食べられそうになったところを須佐之男命に助けられ、結婚した櫛稲田姫です 。
大宮(大宮区)の氷川神社の主祭神が須佐之男命であることから「男體社」とし、妻神であることから「女體社」とし、大宮の氷川神社と氷川女體神社と中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして「武蔵国一宮」と呼ぶ説があります。
この一帯には龍神神話が数多く見沼との深いつながりを残しています。
・中山神社
中山神社は、埼玉県さいたま市見沼区中川にある神社で、中氷川神社とも呼ばれています。
祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと・大国主命の別名)、須佐之男命、櫛稲田姫命です。
社伝によると、崇神天皇2年(紀元前96年)創建と伝えられています。氷川女體神社とは同時期の創建で、名前の由来は氷川神社と氷川女體神社の中間に位置することからと伝えられています。なお、三社は直線の位置に建っています。
境内の摂末社にアラハバキの神を祀る荒脛神社(あらはばき)があります。氷川神社にある門客人神社の関りは次回以降に紹介します。
・神代からの対決『翔んで埼玉』と香取神社
映画『翔んで埼玉』、東京の理不尽な支配から解放求め立ち上がった埼玉を、自らの権利拡大のために東京と密約し制圧に向かう千葉と周辺県。荒川を挟んで対決したのですが、やがて手を取り帝都東京・新宿へと向かうエンターテインメント映画です。埼玉ではロングラン上映で二度も三度もご覧になった方も沢山いたようです。千葉県などではどうでしょうか。
さて映画の流れから「元荒川」領域を挟んで東西に控える神社が埼玉ならば氷川神社、千葉や茨城だと香取神社です。埼玉のほか東京・神奈川など226社の氷川神社、一方、現在の自治区では埼玉に119社、茨城に214社、千葉71社、東京に15社ある香取神社。元荒川を境界線で明確に別れ、西側が氷川神社群で東側が香取神社群です。ただの対比ならば村の風習でよくある話です。が、ここは祀られている神様が『日本書紀』の神話に遡る深い因縁があります。
氷川神社に祀られている神様が須佐之男命(三貴神)で、香取神社に祀られている神様は天照大御神(三貴神、スサノヲの姉)の家臣の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。出雲神話好きで、『日本書紀』を読んだ方ならば、『飛んで埼玉』の荒川の対立もちょっと深みを帯びてくるのではないでしょうか。
・国譲りの尖兵・経津主大神
経津主大神は『古事記』には登場しない『日本書紀』にでる神です。
須佐之男命と櫛稲田姫の六代子孫の大国主命から葦原の中津国(出雲の大国)を奪おうと野望をいだいた天照大御神。その使者として選抜したのが経津主神です。すると武甕槌神(タケミカヅチ)が抗議し、経津主神とともに大国主命から葦原の中津国を力で譲り受けたのです。まさに出雲族には宿敵になります。
さて、話はこれで終わりません。
元荒川を境とした氷川神社群と香取神社群に割って入る神社群があります。久伊豆神社(ひさいず)と鷲宮神社です。
・謎を多岐にする久伊豆神社と鷲宮神社
久伊豆神社の主祭神がこともあろうか、国譲りを承諾した神様、大国主命と子神の言代主命(ことしろぬしのみこと)です。須佐之男命の六代子孫で葦原の中津国を天照大御神に渡した大国主命と子神の言代主命を祀る神社が、両勢力の線引きになっているのが、なにかしらの政治的な意図を感じさせます。
一方鷲宮神社はパワーバランスの均等を保つために、天照大御神側の天穂日命(アメノホヒノミコト)と武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)、そして大己貴命(オホナムヂノミコト)を祀っています。
この神社勢力分布のお話はどこかであらためてさせて頂きますが、出雲族が神と崇め祀った氷川神社の存在は、複雑化していくのです。神話の地政学と予告しておきます。暫しお待ちください。まず次回は、氷川女體神社と中山神社についてお話します。(脱線しそう)
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