• ~旅と日々の出会い~
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二十七回 人の世の儚さと憂いとともに 石浦神社(石川県金沢)

― 知性に生きるのではなく、意志に生きる ―

はじめに

北陸新幹線が金沢まで伸びた2015年(2024年敦賀まで延長)、このまま日本海に沿って福井・鳥取・島根・山口まで繋がればと「儚い夢」をみた。

島根帰りは、東海道新幹線・伯備線ではなく北陸新幹線をつかい、金沢に寄っておでんを肴に盃を交わし、翌日か、翌々日、それとも翌々翌日に富山の名物駅弁「ます寿司」を肴に天狗舞か手取川を飲みつつ海岸線を下る。福井で下車して越前カニを肴に仁左衛門(贅沢すぎるが)、純米酒王国の鳥取にも途中下車して日置桜で松葉ガニ。これも贅沢な話だが、線路が伸びれば、紺碧の日本海を眺める車窓の旅をしたい。

さて、その島根(松江)と石川(金沢)、近くて遠い。清少納言の『枕草子』のなかで、「遠くて近きもの」の関係として極楽、舟の道、男女の仲をあげている。松江と金沢は逆な距離感だ。距離的には近いが鉄道を使えばいろんな意味で遠い。
金沢に行こうとすれば、新幹線か山陰本線を使い京都を経由する。京都にも魅力や誘惑が沢山あって、これがややこしくする、「なせぬ三角関係」だ。

イントネーションや仕草は異なるが、金沢も京都も「意地悪」を「いけず」という。しばし遠ざかると聞こえてくる、「いけずなひとや」(幻聴)。もしかすると私の周りだけかもしれないが、そんな「いけず」なふたつの町を好きになったのがいけないことだった。

金沢の酒
夕焼けを羽織る町・金沢

新幹線「かがやき」のなかで、井上雪著『廓のおんな―金沢 名妓一代記』を読んでいたからだろうか、金沢駅に着くと足は自然と「ひがし茶屋街」へと向かった。

初めに断っておこう。旅の目的は、『禅とは何か』『日本的霊性』の著者・鈴木大拙記念館と泉鏡花記念館を訪ね、その後で近江町市場で刺身を食べ、路地裏の居酒屋でおでんを肴に地元の酒を飲むことだった。ところが、鈴木大拙のご指摘の通り「われわれは知性に生きるのではなく、意志に生きる」。その意志が「廓」という、男と女の魅惑な交わりの町へと向かわせたのである。

現在、金沢には三か所の廓の跡がある。ひがし茶屋街、主計町茶屋街、にし茶屋街。そのなかで一番大きな廓跡がひがし茶屋街で、『廓のおんな』の舞台でもある。

「悲しみのパンを口にすることなくしては、あなたは真実の人生を味わうことはできない」。これも鈴木大拙の言葉だ。

廓の体験のないものには、廓がどういうところか言葉でしか知るすべがない。それは廓や女の息吹や生き様を体感するのではなく、所詮、体験した人の思考、それも物書きの編集という意思を通したものでしかない。それをいくら読んでも廓で暮らす女の気持を理解したとは思えない。むしろ現象的なことに引きずられ、稚拙な価値観で想像する。

ところが女性を愛したことはある。沢山ある。そこにはいろんな出会いがあり、別れがあった。そんな愛したことから、愛することの切なさや別れることの悲しみ、叶わぬ恋の虚しさや非情さは理解できる。そこには必ず酒があり、後悔と学びがあった。

ひがし茶屋街と主計町茶屋街の間を流れる浅野川の橋を渡った。夕焼けが目に染みた。なぜしみたのだろうか。
「人間は偉くならなくても一個の正直な人間になって信用できるものになれば、それでけっこうだ」。これも鈴木大拙の言葉だ。

ひがし茶屋街
金沢一古い神社

本多町に生まれた鈴木大拙の近くにあるのが、金沢最古の神社・石浦神社だ。兼六園の入り口や金沢21世紀美術館に接し、金沢の繁華街や廓町跡とは異なる趣がある。

創建は2200年前、下石浦村(現・長町)に社祠を建てたのが由来で、金沢最古の神社として伝えられている。古くは石浦郷七ヶ村の産土神として信仰を集めた。主神は大物主命(大国主命)で、大山咋大神(山王)、菊理媛大神、天照皇大神なども祀られている。

大物主命といえば出雲大社に祀られる主神で、素戔嗚尊の六代子孫の神様でありつつ素戔嗚尊の娘神・スセリビメノミコトを娶り、国を統一した神様だ。なかなかのややこしき関係である。このあたりは、当サイト『島根国』の『出雲神話と神々』をご一読願いたい。

石浦神社は大変古い神社であるが、近年、縁結びや恋愛成就にご利益のあるパワースポットとして女性やカップルに人気もある神社だ。

・通称「101鳥居」

手や口を清める手水舎の手水鉢には花が浮かべられていて花手水(はなちょうず)だ。正面に本殿、左手に101基の鳥居が並ぶ、通称「101鳥居」ある。
令和への改元を記念して2019年に建立された通称「101鳥居」。石川県産のケヤキを使用した高さ約2.5mの朱塗りの鳥居が50mにわたって並んでいる。途中から二手に分かれ、上空から見ると「人」の字の形をしていることから、ご縁を願う象徴にもなり、また「101」という数字は、世界的に「繁栄」を象徴するとされている。

・ゆるキャラ「きまちゃん」

神様のお使いである犬とウサギをモチーフに、烏帽子をかぶったキャラクター「きまちゃん」。「なにごとも丸くきまる」が名前の由来らしい。
境内のあちこちにパネルが設置され、お守りや絵馬、またタオルなども販売されている。

石浦神社
立ち尽くして考えた

金沢城に兼六園など権力と文化の象徴を司る場所に隣接した石浦神社。灼熱の陽光に照らされながら考えた、廓が誕生した江戸時代から明治・大正、そして売春禁止法が成立するまで、廓で働く女性たちが参拝したのだろうかと。

・廓のおんな

金沢の町に廓のある「茶屋町」ができたのは、1820年(文政3年)とされている。とはいえ人の世の金銭の関わるまぐわりは古くからあって、浅野川にちかいところに遊女の存在の記録があり、禁止令もあった。それが1615年、徳川体制が誕生してわずかな、武家諸法度のころである。しかし、暴力での支配と貧富による抑圧がこの世に生まれた頃より性の売買あった。悪いとか、良いとかの善悪の価値観や道徳は置き、これが生きるという関係のひとつだった。
金沢の遊郭の歴史については、松村友視の『金沢の不思議』(中央公論新社)に収められている「第十二章 金沢茶屋町栄枯盛衰ものがたり」をお薦めする。

さて、廓で働く多くの女性たちは、自由勝手に出歩くことも許されなかった。たまの外出も風呂屋に行くぐらいで、それも監視付きだ。出歩くことを許可されたのは、廓から見受けされ囲われの女性だろう(『廓のおんな』)。しかし森鴎外の『雁』を読む限り、老婆の見張りの中で旦那衆を待つ身であり、外出もままならぬことだっただろう。それに明治の頃、庶民に「散歩」という風習や習慣はなかったようだ。
『男はつらいよ』の初期の作品をでも、とら屋のみなさんに散歩という概念は見受けられない。外出は労働のためか、たまの余暇で名所旧跡に出かけるぐらいで、ほとんどは「家」に縛られている。

・籠の鳥

廓で働く女たちは、石浦神社には来たことはないだろ。そんなことを思いつつ鈴木大拙記念館』まで歩く。なにか無性に悲しくなる。その虚しさが投影されたのか休館だった。
鈴木大拙、1870年から1966年、まさに明治維新から激動の昭和を生きた仏教学者。若くして東京に出ているので(二十歳の頃)、廓に行くこともなかっただろう。あるいはあったのか・・・。
「成長はまたつねに苦痛をともなう」、これも鈴木大拙の言葉だ。

石浦神社まで戻ると兼六園入り口近くにある茶屋、抹茶の店に入った。折からの猛暑で順番を待つことはなかった。結構なお点前と和菓子を頂き、しばし再建された茶室を、無作法ではあるが足を延ばして眺めさせていただいた。庭を鴨が歩いている。

井上雪著『廓のおんな―金沢 名妓一代記』をここで読み終えた。貧困ゆえの身売りであり、その先は私ごときに語るすべはない。

室生犀星「ふるさとは遠きにありて思うもの」(小景異情)、泉鏡花「帰したくなく成つた、もう帰すまいと私は思ふ」(天守物語)。金沢は哀しい言葉が似合う町だ。そして悲しみという風が川に沿って流れている。そんな悲しさに生き抜いた人影もある。兼六園の松の「雪吊り」が蓑を被る(たぬきらん・すげぼうし)雪ん子にみえるのも、耐え抜いたひとの世の姿を重ね合わせるからだろう。

それでも嫌いになれない町だ。もしかしたら私のよう人間が嫌われるかもしれない。そんな愚痴っぽい気持ちで路地裏の通りの暖簾をくぐった。

抹茶
金沢おでん

暖簾をくぐれば漂ってくるのがおでんの匂いだ。

おでんのはじまりは、大正後期から昭和にかけて、地元でとれた食材を大野の薄口醤油で煮込んだことからだ。金沢おでんとして有名になったのは、2009年、NHKのとある番組で人口一人当たりの店の数が日本一と紹介されてからだという。

金沢おでんの条件は、①地元金沢の食材を使用する、②一年中食べられる、この二つを満たすことだ。
特徴的な具が、赤巻き(赤と白の渦巻きのかまぼこ)、車麩(ドーナツのように真ん中に穴が空いた麩)、ふかし、源助大根、バイ貝など。これを地元の酒で頂く。

おでんはカウンターに座り、くつくつと煮え立つだし汁の中の具を眺めながら頂くのが最高だ。ちろりで燗にした日本酒を分厚いガラスコップについでもらう。もちろん小皿にのったコップに。

「おっとと、酒が呼んでるぜ」と小皿まであふれたコップ酒に口を寄せ、表面張力の部分をまずすする。「貧乏くせいな」と自虐的にひと言つぶやき、満タンのコップを親指と中指でつまんで持ち上げ、三分の一ほど飲みほす。「五臓六腑に染み入るぜ」とまた呟く。顔をあげると菜箸をもったおやじか女将と目が合う。「とりあえず、大根に、こんにゃく」と注文し、「ここらでは里芋もあるかな」(私の好きな具)と小声でたずねる。そんなところからおでん屋の夜ははじまる。

ところが金沢は少しちがった。観光客然とした馴れ馴れしさに、「金沢の名物を入れましょうか」と突っ込まれてしまった。ここは辞退して、おでんの鍋を指さして注文した。これが好きだ。これがおでん屋でのアイスブレークと心得ている。

おでん
おしまい

金沢の町は空襲がなく、古い町並みや精神が残っている。それは風景とか形容という見た目だけでなく、ここに暮らす人々の醸す雰囲気にも感じる。

まずお店の人が観光客に対し一様に親切である。その親切心は「サービス」という心掛けやビジネスマナーではない。もちろん人にもよるし、その時の条件にもよるだろうが、ひととの関り方や間の取り方に親切心が表れる。

そんな風土のひとつだろうか、石浦神社の境内に「ハート」の印を発見した。下記に写真を添えるので、ハートの印を見つけてほしい。
大国主命を祀る石浦神社、金沢観光の折には是非出掛けてほしいところである。

■石浦神社
 金沢市本多町3丁目1番30号

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