• ~旅と日々の出会い~

旧大社線『大社駅』建設100周年

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― 出雲大社の玄関として神門通りや町づくりの要所として栄えた駅 ―

1912年開設、国鉄『大社駅(たいしゃえき)』。出雲市駅から簸川郡大社町(現出雲市)を繋ぐ日本国有鉄道(現JR西日本)大社線(廃線)の終着駅でした。1990年(平成2年)4月1日の廃止後も観光名所として保存。国の重要文化財に指定され、2024年100年を迎えました。これを記念して展示会など計画されています。


旧大社線『大社駅』建設100周年

出雲大社の玄関として神門通りや町づくりの要所として栄えた駅

出雲大社への玄関「出雲大社」駅

車社会の今、出雲大社の参拝や日御碕灯台への散策は車での利用が大半で、正月や行楽シーズンに神在月のおり、道は大渋滞です。旅する方はお得なチケットを利用して出雲空港や出雲市駅からバス、松江からは一畑電鉄で旅の工程も楽しんでいます。

かつて、国鉄『大社駅』は出雲大社詣での参拝客で大変な混雑ぶりでした。集団就職で上京した人々が年末年始に利用する1950、60年代の国鉄『上野駅』18番ホームのようです。そんな面影がダイヤにも表れています。

出雲大社

・大社駅の歴史

1912年(明治45年)、出雲市から大社町を結ぶ大社線が開通。終点が「大社駅」
1924年(大正13年)、改築。今回の建設百年の駅舎は2代目の建物
1935年(昭和10年)3月15日、大阪駅 -大社駅間で急行列車の運転開始。出雲大社の存在と影響力が想像できます
1951年 – 1961年、東京直通の急行列車「出雲」が運行
1980年代まで急行列車や団体臨時列車が乗り入れ
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化によりJR西日本
1990年(平成2年)4月1日、大社線廃止に伴い廃駅。JR西日本から旧大社町に無償貸与
2004年(平成16年)、重要文化財
2009年(平成21年)、近代化産業遺産
2021年(令和3年)、2025年まで「重要文化財旧大社駅保存修理(仮設・解体)工事」。現在見学はできません

出雲大社の通り

大社駅

・構内

黒い屋根瓦に漆喰の白壁の和風の木造平屋建て(441㎡)で、左右対称の社殿風な造りから出雲大社を思い浮かべさせます。1982年に「日本の建築200選」に選ばれ、国の重要文化財、近代化産業遺産です。

天井や壁に付けられた和風のシャンデリアなど和洋折衷の大正ロマンを感じる内装です。
入ったところが「三等待合室」。出札室を正面に右手奥が一・二等車の待合室、左手の部屋は事務室や貴賓室です。建物からも十分、当時の繁栄ぶりを窺い知ることが出来ます。

・ホーム

長いホームからは、最盛期には年間300本近い臨時列車とともに、連結された沢山の車両が想像できます。多くの改札口から全国からのお客様や参拝客があふれ出たことでしょう。「デゴイチ」やD51774号機も保存されています。

・旧大社駅VR・出雲市文化財課からのお知らせ
保存修理前に撮影した高画質画像が3Dビュー・VR映像でご覧いただけます。
下記にアクセスしてからご覧ください。
https://www.izumo-kankou.gr.jp/4609

私にとっての大社駅 出会いと別れ

・廃線の危機

大社線が廃線されたように、島根県では平成30年3月31日、芸備線三次駅と山陰本線江津駅を結ぶ「三江線」が旅客営業を終了しました。現在、山陰本線宍道駅と備後落合駅を結ぶ「木次線」の廃線が噂され、地元の人々のみならず県外に暮らす人々、本サイトでも取り上げた「君にとどけ!木次線の息遣いとトロッコ列車の歓喜を」※(江上英樹氏)はじめ多くの人々が存続の声をあげ、貴重さと存在意義を提唱しています。この場を借りて、あなたにできることとして木次線に関心を寄せ、歴史と存在の意義に気づき、そして訪ねてください。どうかよろしくお願いします。

※「君にとどけ!木次線の息遣いとトロッコ列車の歓喜を」

大社造りの駅舎 出雲横田駅

・僕たちにとっての大社駅

大社線、最後に乗ったのが1970年代のことです。
高校卒業を前に自然発生的に集まった「大社に行くか」。行きは北松江駅(現在の松江しんじ湖温泉駅)から一畑電鉄に乗り、帰りは大社線から出雲市駅で山陰本線に乗り換えて松江に帰る。丁度、宍道湖一周の旅でした。

高校もバラバラで、男子もいれば女子もいる、硬派もいれば軟派もいる、島根を離れる友や地元に残る友。どうしてこんな幕の内弁当のような、あるいはバイキングでトレーに盛った食のようなめちゃくちゃな一行になったか誰も説明できないでしょう。十代の惜別の情というものでしょうか。

出雲大社に参拝するものも、日御碕灯台まで走るものも、食堂や浜で談笑するものもバラバラでしたが、最後に稲佐の浜に集まりました。夢を叫び、告白し、号泣し、ギターを弾き歌い、フォークダンスに興じ、激論を交わし、また酒を交わし、タバコを吹かすものもいました。大人への背伸びでなく、餓鬼故の、餓鬼だけが認める餓鬼の反抗だったでしょう。

稲佐の浜から歩き出した私たちにとって大社駅の灯は、高校生活は終わったなと共有した一瞬の『青春の篝火』でした。「友よ、別れだな!」、誰かが叫びました。

『百年』。山陰中央新報を読み、友から知らされ、あらためて大社駅を思い浮かべると、大社町に相応しい建物だとしみじみ思います。大社町だからあの風格と毅然さが映えるのだと。

構内で、僕たちの学生服の襟章を見た地元の高校生に絡まれて、どこかの教員に氏名を求められても、最後は肩を組んで笑った大社駅には、すべてを飲み込む寛大さと許容さがあったような気がします。

観光名所や重要文化財だとしても、「大社駅」は別れと出会いの交差点、青春の駅舎であることには変わりないのです。それは地元の人たちにとって通勤通学、あるいは所用につかった駅舎であるように、生活の鉄道なのです。

大社駅がオープンしたら、友と再び訪ねたい。大社駅は私にとって青春の別れのステージとして完結しています。

稲佐の浜

駅舎情報

復元中の駅舎については、『山陰中央新報』の記事をご覧ください。

2024/1/31付け
「昭和初期」の姿へ復元 100年間の改変箇所確認 文化財修理と旧大社駅本屋〈八木誠一〉』(有料)

展示会情報

冬季企画展「大社駅の100年」
日時・2023年11月18日~2024年2月19日
場所・出雲弥生の森博物館 
TEL:0853-25-1841

【パンフレットより転用】

重要文化財「旧大社駅本屋」は、令和6年2月で建設から100年を迎えます。これを記念して、大社駅開通から今日に至るまでの歴史を振り返る企画展を開催します。

本企画展では、大社線開通により、神門通りを中心に大きく変貌を遂げた町の様子や二代目大社駅の建設、大社駅の盛隆から廃線、そして重要文化財指定から保存修理事業へと続く明治から令和までの歴史を振り返ります。
展示の中では、棟札や屋根瓦、貴賓室の調度類など、大社駅にまつわる貴重な文化財のほか、令和5年1月の工事中に発見された初代駅舎跡の調査でわかったことや新たに発見した写真資料など、現在実施中の保存修理事業の成果もあわせてご紹介します。

大社町通り
■ お問い合せ

現在復元中ですので、出雲市観光課にお問い合わせください。