• ~旅と日々の出会い~
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組子細工を通して築く創意と関係・舟木木工所 舟木清氏 

 夢と意思をもち自然と社会との関りを常に試行する

はじめに

舟木木工所は、宍道と備後落合を繋ぐJR木次線の「加茂中」駅から車で20分ほどのところにある。

近所には素戔嗚尊(スサノヲ)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、尾から三種の神器のひとつ天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、別名「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」を授かった八岐大蛇伝説の尾留大明神旧社地と、素盞鳴尊・稲田姫命を祀る御代神社がある。また舟木清さんにとって運命的な出会いとなる出雲王朝説を実証する「荒神谷遺跡」(358本の銅剣、1983年)、「加茂岩倉遺跡」(39個の銅鐸、1999年)にも近い。

取材前に渡された舟木清氏についての資料を読み、幅広い活動紹介から事務所のような建物を想像していた。ところが車が停まったところは、生活道路に沿った子どもの頃から見てきた懐かしい木工所だった。

冷静に考えれば当たり前のことである。組子細工のデザイン・制作の前工程には、原木や材木の選別があり、材木を切り、削り、それぞれの素材に加工する過程がある。材料選びからの工程があるからこそ木材のもつ特性を活かした組子細工ができるのだ。さらに舟木木工所では、廃材の中から貴重な材木を探し出し、新たに生命と創意を吹きかけて組子細工の品々をデザイン・制作する。そんな土や埃にまみれた木材も周辺にある。

材木所にある木材の香りは樹木の薫りとは違う。伐採された原木を丸太にした木材置き場や、皮むき・木取り・木割り・板割りをおこなう製材所で感じる材木の香りとも違う。木工所には包み込むような乾いた香りがある。それも木それぞれの個性と特徴のある香りだ。

子どもの頃、木工所で出るカンナくずやおがくずのなかで、川に潜り込むようにして泳ぐのだ。もちろん木工所のオヤジさんの許しを得てのこと。檜(ひのき)のカンナくずに出会うと子ども心に陶酔し、カンナくずを頭や腰に巻きはしゃぎまわった。木工所には自然界の樹木とは異なる木材の香りがあり、自然界と加工された家具との間の木の「結界」である。

材木の香りを確かめつつ舟木清さんと働く皆様にお話を拝聴した。全体の流れは次のようになっている。

  • 舟木木工所の「思い」「考え」
  • 匠の技術を伝えサポート
  • 伝統は地域や生活者とともに
  • 草木の限りない可能性を求め、自然から明日を学ぶ

なお動画にても紹介する(島根国YouTube)。

舟木木工所

はじめに結論を述べておく。舟木清さんの魅力は、「成し得た結果・成果」より「成そうとしているプロセスと思い」にある。実際取材して、これからの目的と夢を語る時の舟木清さんには昔気質の『職人』が憑依する。だからこそ新しい目標との出会いが、舟木清さんの意識変革の瞬間であり、舟木清哲学の神髄でもある。この時の舟木清さんが大変面白い。

舟木清さん

1 舟木木工所の『想い』『考え』

新しいことが面白いといえ、舟木清さんの原点を理解するため「組子細工に込める想い」と「組子細工」について、舟木木工所のwebサイトより紹介する。

1-1 組子細工に込める想い

「商品を通して由緒ある伝統工芸の魅力や奥深さを少しでも多くの人に知ってもらい、素晴らしい職人技術を後世へ受け継いでいく。

人と人、人とモノとのあらゆる縁結びを実現する為に組子細工で時代に寄り添った新たな価値を見出していく。

これが舟木木工所の想いです。」(webサイトより)

モノ(木材・道具・創作品)へのこだわりも当然ある。更に人や社会との出会いと関係を通した創作と提供にもこだわる。そこに組子細工創作への熱い意思と夢がある。この思いは、舟木清さんだけでなく、ここで学び働く皆様からも、そして購入した組子細工の『創作品』からも伝わった。

舟木木工所はモノづくりだけではない。自然との関りや人々と関係のあり方を試行する会社でもある。

一言断っておく。『島根国』としては、「商品」ではなく「創作品」として表記する。「商品」は、買い求められた時から購入者に権利が移行し、どのように使用されても仕方ない。極端な言い方をすれば、創作者の意思や意図から離れる。商品ゆえの定めだ。もし創作者の意思を大切にしたいなら販売しないか、理解する人のみに限定販売するしかない。

『島根国』としては、創作者の意思や思いがありつづけるモノとして、そして売買ではなく人と人の関係の中に位置づけることで、消費社会の「商品」としてではなく、創意と関係に重点を置く「創作品」として表現する。これは購入側であり取材・表現者である私どもの考え方でもある。

1-2 考え

「組子細工とは、飛鳥時代から続く日本伝統の木工技術。小さな木片を釘を使わずに組み付けていく日本の伝統技術の一つです。小さな木片を組み合わせて出来る模様は200種類以上にも及びます。

舟木木工所では、組子細工を通じて由緒ある伝統工芸の魅力・ものづくりの奥深さを少しでも多くの人に伝えていき、素晴らしい職人技術を後世へ受け継ぎ、自然・時代に寄り添ったものづくりをしていき伝統ある組子細工の新たな価値を見出していきます。」(webサイトより)

伝えることの重要さと喜び、学び会得する情熱、それが新しい価値を創り出す。しかしすべてが順風満帆にすすまない。迷いもあれば、挫折もつきもの。そこで諦めるか乗越えて進むか、語り掛けるのは師匠やお客様だけでない。言葉こそ発しないが沢山の木材や、廃材から再生しようと待機する材木も呼びかけるだろう。なによりも伝統を伝え・学ぶことで新たな高見に進める「心」でもある。

・木へのこだわり

「個性豊かなたくさんの材種が生息している日本の森林。

その中でも自然豊かな神話の国 島根県出雲産の銘木や各地のこだわりの木材を厳選し使用。1つとして同じものがない木目や色味、木の持つ特徴や個性を生かし、わずかな廃材も余すことなく活用。」(webサイト)

舟木清さんと共に匠の技を継承しに来た若い職人も創意工夫を繰り返す。新しい視点、異なる視点が新たな価値を創り出していく。舟木清さん自身がまだまだアイディアマンでチャレンジャーである。取材の最中にも思いもよらぬことが飛び出してきた。ここは自然界と同じように常に変化し続けている。

組子細工

2 匠の技術を伝えサポート

舟木清さんは、1961年(昭和36)に舟木木工所を創業。2009年全技連マイスター、2011年現代の名工認定、2013年ものづくりマイスター、2014年黄綬褒章。現在、島根県技能士連合会会長、島根県建具協同組合相談役。

事前の打ち合わせで「組子細工を通した人生観」「古代史や地域社会との関り」「舟木清さんの自然観」を中心にお聞きしたいと資料を渡した。もちろん取材前の雑談でも、このようなことをお願いし、最初の質問を何にするかと流れを考えていた。ところがカメラを向けた瞬間、舟木木工所で創意工夫を凝らす若い人たちの働きや作品が過った。

「なぜ、組子細工の技術を若者に伝えようと決断されたのですか?」

舟木清さんは話したい領域を沢山お持ちだ。事実、取材が終わっても領域の異なる多くのお話をお聞きすることが出来た。そんな舟木清さんに一対一で対面したからこそ感じた、舟木清さんは「何を成したという結果」より「何をしようとしているか」が面白いのではないかと。そのひとつが、若者に組子細工の伝統技術を『伝える』ことの営為だと直感した。

事実、話をきくごとに舟木清さんは、「教える」のではなく、「伝える」ことを大切にしておられることが見えてきた。伝えるからこそ「木」の心や「文化」の意味を大切にできる。大げさに言えば、「舟木清は樹木(自然)の伝道師」だと。

「木を削るといろんな面があらわれます。肌触り、硬質、そして香り、節目、年輪、それに何とも言えん感覚。それらが創造させます。どんなものに仕上げてほしいかと・・・。みんな個性があります」(舟木清氏、以下但し書きがない限りすべて舟木清氏の発言)

舟木清さんと木工所

2-1 伝統を、心をつたえる

訓練学校で学ぶと親方の元に弟子入りし、寝食をともにしながら技術や木材の見立てを習得した。やがて独立すると数十人の弟子をかかえ、お客様の要望に応え昼も夜もなく働き続けた、舟木清さん。

「60歳を前に考えました。勤め人ならばそろそろ退職を迎える。ところがこの仕事、技術があり、健康ならばいつまでも続けられる。といっても肉体的な限界もある。また法律も変わるし、生活環境も変化し家屋も変わった」

住居の室内デザインも変化し、あわせて手作業が機械化された。ともなって組子細工の技術そのものが途絶えようとする。伝統工芸が迎える危機であった。

年齢と環境の変化を意識しだした頃、舟木木工所からほど近いところで、「1983年(昭和58年)に荒神谷遺跡から銅剣365本が発掘されました。1999年(平成8年)には、加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発掘されました」

この発見は古代史の歴史を覆す「出雲王朝」の存在を考古学的に立証することになった。地元への影響も多大であるとともに、舟木清さんにとっても伝統技術への問い返し、そして匠としての意識変革の契機となった。

「古代社会との出会いで、組子細工の技術をどうするか問われた気がしました」

他にまだまだやるべきことがある。歴史や自然への新たな関りであり、地域との協業による新たな文化の模索であり、そして歴史と伝統に裏付けられた技術そのものの伝達だった。

「需要がないからやめるのではない。新しい展開を考えればいい。そのためには組子細工の技法を引き継いでくれる若者が必要だ。そして彼らを支援する制度も必要でした」

残すために伝えること。そして伝えられる若者側の一定の保証を目指して、「令和元年、島根県に提案しました。技術の継承として技術者育成の制度をつくってくれと」

現在、島根県では「職人技の後継者確保・育成を目指して、若年未就業者等が、後世に残すべき技能を継承」できる支援制度をもうけている。『島根の職人育成事業』のチラシによると、造園業、大工、建具(組子細工は建具に含まれる)、建築板金、和裁、左官等が対象職種だ。就労体験助成金は基本月12万円。

また、職人の魅力を伝えるためのサイトと動画を公開している。

体験事業の問合せ先と魅力紹介サイトについては下記のとおり。

問合せ先等

〇島根の職人育成事業問合せ先
・島根県技能士会連合会    電話  0852-23-1707
・島根県商工労働部雇用政策課 電話 0852-22-5304
 https://www.pref.shimane.lg.jp/industry/employ/kunren/gino/syokuninn.html

〇職人職種紹介サイト等
・しまね職人チャンネル  https://shimane-syokunin.jp/
・しまねっこCH(再生リスト:しまね職人チャンネル)
 https://www.youtube.com/watch?v=re3hjP5C7oo&list=PLVv8S21p-5olUaNBw00_WBUgo2DAzcWlB

舟木木工所では、これまで7名の体験者(うち体験中2名)を受入れ、体験を終了した2名の若者を雇用している(取材当時・2023年)。

「教えるのではなく、伝えるのですよ。手にすることで新たなものを生みだす。そこに伝統が引き継がれ、発展する」

教えるのではなく「伝える」ことにこだわる。伝わったからこそ伝えることが出来たといえる。伝えられる側にも主体的な当事者意識が求められ、伝えられたことを自分の創意で新たな創作品へと具体化する。組子細工に限らず日本の伝統工芸は、「教える・学ぶ」関係ではなく「伝える・創意する」関係になってモノづくりの「心」も伝えることが出来る。次が「生活できることだ。それが大変だ。自分たちだけでできることではない」と念を押される。

舟木清さんと野尻かおりさんと周藤あゆみさん

2-2 道具

組子細工には手道具も大切な存在だ。鉋(かんな)、鑿(のみ)、罫引き(けひき)、しらがき、のこぎり、刃物など専門の物も多数あり、また職人が独自の加工を施して使用するものも多数ある。市販されている道具より、用途や自分にあった道具の鍛冶屋への注文が大半だ。それぞれの道具は一つではなく何種類もある。微妙な手作業の道具ゆえ、手入れも大変である。組子細工が複雑に高度になるにつれ手道具への工夫と特殊性が拡大した。

奥出雲の算盤製作にとってたたら製鉄で生まれた道具が極めて重要な存在であったように、製作の現場と他業種の職人との琴線に触れるような微妙な感覚を共有するコミュニケーションが必須だ。

静岡の伊東温泉に、廃業した旅館を市が買い取り観光文化施設にした「東洋館」がある。ここの障子や欄間、衝立に組込まれた細工には驚かされる。複数の職人が争うように作成した組子細工は芸術的な仕上がりだ。見学の折、匠の技や樹木とともに、職人の手と感性にあった道具が大切だとお聞きした。

東洋館の障子
東洋館の障子

製材所からの材木と道具の製作。相手との信頼関係が出来上がっているからこそ組子細工に活かされる。

舟木清さんは「人や自然との関係は大切だ。その関係を築くことは腕を磨くよりも難しいことかもしれん」と小声で話された。

2-3 生活できる環境へ

「伝統工芸を伝えても生活できなければどうしようない。じゃあどうやって生活できるようにするか。技術とともに知恵がいります」

思いや技術だけでは生活は成り立たない。安ければ売れる大量生産の時代は遠い昔に終焉し、良いものなら売れるという一方的な考えでは成り立たない。生活者が必要とし、イメージする形は何か、創造者は追求し形にしなくてはならない。

ここで働く若い世代ならではの感性と観察(マーケテイング)による創意工夫(イノベーション)が発揮される。創ることだけでなく渡し方にもこだわる。なによりもコミュニケーションを大切にする。それも師匠から伝えられた志だ。

「組子細工は手間がかかる。低価格で売ることも、また大量に売ることもできない。すると他にはない、デザイン的にも、技術的にも良いものを創らなくてはならない。それをどうやって理解してもらうか」

そこで舟木木工所で日々創作活動に励む二人の方にお話をお聞きした。

二人に共通していることは、一つに木に触れ、木工が好きだということだ。二つに、この気持ちを大切に伝統工芸との出会いを求めてインターネットで検索し、島根県の助成制度を知り、舟木木工所の組子細工と出会った。三つ目が、この技術を活かした道にすすむ。

【野尻かおりさん】

四年目。現在、舟木木工所にて組子細工によるイヤリングとインテリアとしての置き飾りをデザイン・制作し販売まで幅広い活動を担っている。

「木に触れることが楽しくて、木を使って創ることが好きです」と話された。作業台の上には沢山の制作途中のイヤリングや置き飾りが整然と置かれている。

「身近に日本の伝統の組子細工を感じてもらいたい」と笑顔で話された。「組子細工の体験や購入目的で来られた方から、どんなものが好きなのか、身につけたいのか話の中で聞きます」。「つい、木の色や木目など細かなこともたずねてしまいます」

そんな向学心は「街に出でも、何が流行っているか、どんな色が好まれているか、ついつい観察しています」。

物造りの材木や木目や形だけでなく、お客様が、生活者の人たちが、何に関心を寄せ、これから何を求めようとしているか。人びとに求められる組子細工の提供を日々調査・検討されている。

舟木清さんの話された「生活できるようにする」。若き組子細工の創作者は、伝統文化を引き継ぐだけでなく、人々のウオンツをつくる制作に向けて日々観察と試行を続けている。

野尻かおりさん・創作品

【周藤あゆみさん】

取材の時は研修一年半目。次のステップを模索しながらの創作活動中だ。

ここの魅力は、「いろんな研修生と組子細工や木について話が出来て、いろんなことに挑戦できる環境があることです」。将来の夢は「もの創りの道に進みたい」

「昔から好きでした」。「目標は、木工を身近ないろんなところに活かす」。そんな気持が具体化されるのが、窓に付けられた自作の「かんなくず」で作ったカーテンだ。ユニークな発想である。陽の光を遮るだけでなく穏やかな光線へと変える。考え方の原形を見せられた。

イノベーションとは市場調査に基づく試行錯誤や大枚を払った研究開発だけが生むのではなく、一瞬の閃きにもヒントがある。そのチャンスを形にするのが創造力とデザイン力だ。

糸鋸でくり抜いた干支の動物と組子細工の組み合わせ、燈籠に組込まれた組子細工。

「木工が好きだという気持と、何かと組み合わせて新しいものを創りあげることが目標です」と話す。新たな創造への挑戦。それを応援する態勢がある舟木木工所の中で、木工細工『創』の伝統を新たなものへとするために日々切磋琢磨している。

周藤あゆみさん 創作品

3 伝統は地域や生活者とともに

舟木木工所のお二人は、木や木工が好きで組子細工の道を選択された。その技はきっと次の世代へと伝えられていくだろう。すでに一般の方を対象に簡単な組子細工のワークショップも開いている(事前に確認してください)。

3-1 体験教室

島根県技能士会連合会や建具協同技能士会は各地区の組織や県と連携し、小中学生を対象にものづくりの喜びを体験する教室やイベントも開いている。舟木清さんも会長として、組子細工の伝統職人として先頭で頑張っている。

「子供たちと一緒にいると元気をもらいます。それに木について伝えたいと心から思います」

ものづくりを担う人材育成を目的に県から委託を受けた「中学生ものづくり体験教室」を連合会は開いている。すでに23年も続いている。令和五年度は、建具・造園・畳・左官など9職種で延べ22回、522名の中学生の参加があった。

県の約80%が森林の島根県。子供たちにとって、そこに山があるのに、なぜか遠くなった山。急激な人口減によって年長組が山での遊び方を年少組に教えなくなったことや、ゲームなどの生活様式の変化によるだろう。山は危険なところ、ところが店では手厚いサービスで商品を手にできる。

モノに対する考えが変わってしまった。欲しければ買えばいい、インターネットで検索して購入、壊れたら捨てて買い替える。消費文化にすっかり包まれ、モノづくりよりサービスの質が重視さる今日。これを否定するのではない。文明の進歩は生活を便利にし、安全にした。一方、限りある資源を大切にと自然との共存と生き方を討論し学んでいる。大切なことである。そのひとつが職人の技術や自然の素材に触れることだ。

舟木清さんたちの活動は、伝統技術の伝達とともに自然との関り、そして自然からもたらされた素材を大切に創意工夫で創りあげる喜びを、体験を通して伝えている。

組子細工による装飾品

3-2 模擬銅鐸

舟木木工所から直線で3キロのところに加茂岩倉遺跡がある。1996年(平成8年)10月14日、一か所の出土からは全国最大の39個の銅鐸(国宝)が発見された。当時、地元では『学問と教育の町』をテーマに町おこしを行っていた。古代史をひっくり返す発見に町は更なる取り組みに着手した。

舟木清さんは、当時を振り返る。「そりゃあ、大変でした。やって来る学者先生や文化人にメディア関係者、いろんな方への対応もあります。それに私たちも古代史の勉強もしました。そして町としてなにをするか、皆さんとあつまって知恵も絞りました」

「県から発掘された銅鐸の図面を借りまして、現物と同じ原寸大の銅鐸です」

舟木清さんは銅鐸のモックを出された。発見時と同じように大きな銅鐸に小さな銅鐸がすっぽりはいる。

器用な舟木清さんというより、行動力のある舟木清さんである。視察にこられた方へのお土産や、この地区でのお祭りに活用されている。実際、ロウソクがつけられる構造で提灯としての役目をはたしている。「駅前からの行列に、ロウソクに火をともして使います」。舟木清さんの地域との関りは、火をベースとしたお祭りも及ぶ。

銅鐸のモック
国宝の銅鐸(古代出雲歴史博物館)

3-3 地域と共に

弟子の頃の話をすこしだけされた、「技術は先輩を見て盗め」の時代のことである。いまそんな指導方法をとるなら若者は近づかない。時代時代の指導がある。もちろん身体や五感で伝える匠の技がある。その技をどう伝え、そして身につけるか。コミュニケーションと本人の当事者意識と自覚しかない。

一方で伝えることの大切さから生まれたのが、小中学生への体験と地域の人々や異業種との連携だ。そこには「技」の伝達ではなく、身近な技術や素材に触れる「ものづくり」の体験だ。つくる体験を通して伝統の重みや自然の大切さに気づき、関心を寄せる。

技能士会連合会の活動は重要だ。子供たちは自然や技術から「もの創り」だけでなく「創造力」や創りあげるデザイン力」も学ぶ。

4 草木の限りない可能性を求め、自然から明日を学ぶ

一通りお話を聞き見学したところで、「ところで、木とはなんですか」と組子細工にとって重要な樹木について問うた。

「木の皮を剥くと、みんな違う。木が違うとか、育った地域が違うというだけでない。同じ木でも、色も、肌触りも、硬さも、匂いも、みんな違います」

それが木の個性であると言う。

「何にしてほしいか考えます。何を作るか考えます。それが楽しいときですね」

「木からの声って、聞こえてきますか」と何気なく返した。そんな抽象的な問いが、舟木清さんの『自然』に関わる思いを刺激したようだ。

「ちょっと待ってくださいよ」と家に奥に消え、包をもって現れた。それが出雲大社から依頼された『笏(しゃく)』であり、「ちっと来なさい」と裏庭に誘われ見たのが紫草の「芽」だった。

舟木清さんにはいろいろなポケットがある。そのポケットのなかには、いろんな人やいろんな自然との出会いがあり、話が乗って来ると新しいポケットを開き、まったく異なる話へと飛んでいく。舟木さんに何かを質問するというより、「それなんですか」と尋ね、気持よく話してもらう方が面白い話が聞ける。それが楽しい。そしてそれが舟木清さんの魅力かもしれない。

舟木清さんの自然との関り、モノ創りの哲学として、ここではと『笏』と『紫草』についてふれておく。なお、紫草の詳細は別途報告する。

4-1 魂のない笏(しゃく)

「そりゃ、私がつくりましたが、魂は入っちょませんが」と手にすることを許された出雲大社で毎朝使用される「笏」と同じ笏。かつて手にした笏とはまったく異なる。手に伝わる重さや肌触り、なによりも笏の全体から伝わる重量感とバランスが全然違う。

これだから自然と匠との創作品は面白い。見た目のデザイン的な価値でない。五感に伝わる存在感だ。それが職人の、技術者の、匠の創りあげる意思というものだろう。舟木清さんが面白いのは、そこで芸術家的な雰囲気をつくるのでなく、職人のままでいることだ。

「(出雲)大社さんが魂をいれられますけん」と儀式で使うものと創ったものとの間に明確な線引きをされる舟木清さん。職人としての立ち位置と役割を明確にされている。その使命を完全に終わり納めれば、その先は先方の意思と仕事。この割り切り方と手放し方が匠の姿だ。それまでは相手が納得するまで作り直す。そこには職人の魂と生き様が収斂される。

4-2 栽培が難しい紫草

舟木清さんは結果より過程を楽しむ人と既に述べたが、今回の取材の最後は現在、力を入れている「紫草」の栽培の話になった。見学も含め全体の三分の一の時間を費やしたのではなかろうか。そこに舟木清さんの自然との関り方とこだわりの姿勢が見えてくる。むしろ現在行っている紫草の栽培の話の中に、質問したかった樹木(草木)を通しての「山・川・海」の循環形態と「土・気候・昆虫」の相互作用を話して頂いた。そこに出雲國風土記や萬葉集など歴史文化が加わった。

・『出雲國風土記』

紫草の歴史は古くて貴重なものだった。『出雲國風土記』の「仁多の郡」と「飯石の郡」に生息が記されている。ともに中国山地の山間部だ。『延喜式』には、出雲國より百斤の紫草の根が宮中に収めたとある(染色用)。

・『源氏物語』

2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』は、『源氏物語』を書き上げた紫式部(吉高由里子)の話だ。 『源氏物語』の「若紫」の帖は、光源氏がのちに妻とする少女時代の「紫の上」との出会いから始まる。「手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草」(この手に摘んで、紫草(藤壺)の根にゆかりのある野辺の若草(紫の上)を私のものにしたい)。

光源氏は紫の上を自邸に迎え入れて教養や手習いなどを教える。「ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露分けわぶる草のゆかりを」(まだ幼いから一緒に寝はしないが、愛しくてたまらない。武蔵野の露を分けても会えない紫草(藤壺)のゆかりのひとだから)。 紫の上は藤壺の姪にあたり根が一緒。「ね」は「根」と「寝」にかけている。

光源氏の実母は「桐壺」。桐の花は紫色。義母の「藤壺」。藤の花も紫色。藤壺の姪「紫の上」。紫の貴重さと奇縁にあらためて紫式部の謎めいた意思を感じる。

舟木清さんが紫草の種と根と一緒に取り出されたのが紫草に関わる『萬葉集』の歌のパネルだ。額田王が宴会の席で詠んだ歌を受けて大海人皇子の「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」もある。これも次回詳しく触れたい。

紫草と舟木清さんとの出会いは加茂岩倉遺跡である。

「加茂岩倉遺跡の近くにあった紫草の種を貰いました。いろんな方も挑戦されましたが、栽培は非常に難しかった」

秋に完熟した種子を採取し、一月から三月までに幡種すると三月末発芽する。それから畑にうえる。管理が大変である。土だけでなく、水や雨に風、天候や昆虫にも左右される。害虫や鳥の被害もある。

それでも、舟木木工所の近くの畑で栽培することが出来た。現在は京の染め師であり織師である方に送っているという。

笊に入れた種を見、次に収穫された紫草の根の説明を受けると、木工所の裏庭で発芽した芽を選別される奥さんの作業を見学させて頂いた。奥さんにたずねると、「手間のかかる作業ですが可愛いものです」。なにが可愛いのか聞きそびれたが、黙々と選別される。

手間暇をかける作業は、組子細工の作りに関わる技術と素材の関係と同じだという。「技術だけでは駄目だ。木との対話がある」。奥さんの言われた「可愛い」とは紫草の芽との会話だろう。

創るだけではない。育てる。手間暇を惜しまず会話をする。それがモノづくりの心だ。

「紫草は畑だけで終わるのではありません。自然があって、山があって、川があって、土がある。虫も悪いだけでない。それがみんな繋がっている。そこを大切にしないと駄目だ」

循環。あらためて自然の摂理を俯瞰してから部分を見ることを再認識した。モノの見方は部分からではなく全体を見渡す意識があればこそ成り立つのだ。

さて、このつづきは「舟木清さんと紫草」であらためて紹介する。

紫草の根
作業

4 おわりにあたって 出会いと繋がり

手元に、舟木木工所にて購入した『黒柿の孔雀杢(くじゃくもく)』で創作された名刺入れがある。

黒柿がでる確率は一万本に一本といわれ、その黒柿に孔雀杢がはいるのは二万本に一本とも三万本に一本ともいわれている。その黒柿もこの頃みかけなくなり、製作に使用された黒柿の板も、中国山地にある奥出雲の廃材の中から見つけだされた材木だ。

名刺入れは購入した日から使っている。滑らかな肌触りに、開け閉めするときの組子細工だから実現できたフィット感と微かな木の触れ合う音がする。

ビジネスマンに限らず出会いは、長いお付き合となるファーストアクション。そこでの名刺交換は大切な挨拶だ。相手に不快感を与えることもなく行いたい。でも、控えめであっても自己主張も忘れてはならない。

名刺交換の折、名刺入れに関心をもたれ方がいる。手に取り、珍しい模様だね、職人さんの仕事だね、あきない作りだと。木材の貴重性から製作から購入までの経緯を尋ねられた。名刺入れのお陰で最高のアイスブレークとなり、あわせて島根自慢のツールともなる。今では出会いの折の大切なビジネス・パートナー(道具ではない)となった。

名刺入れ
名刺入れ

笏のところでお話した、「魂」を吹き込むのは持ち主。あらためて考える。職人の、匠の「思い」と「魂」が込められた創作品を受け継いだ(購入)時から、購入者による入魂が始まる。

名刺入れを介した長い付き合いの始まり。もちろんご縁もなく、名刺交換で終わることもある。それも人の世の常だ。それでもこの名刺入れをもつことで、名刺入れを、私を思い出してまたお声がけされることを待つ余裕が生まれた。

舟木清さんと働く人たちの出会いは組子細工や紫草を通して、「心」をどう磨くかということをあらためて感じた。

企業理念、マーケテイングにイノベーション。ビジネスには大切なことだ。ただはき違えてはならないことは、現象に惑わされてはならないことだ。舟木清さんが伝えたかったのは「心」を吹き込むのは自分ではなくて購入者や使用者であることを。そのために「心」をこめて創作するのだと。

教育ではない。伝えること。それは形だけではない「誰のために」「なぜつくるのか」を意識することである。「何をつくるか」や「どうやって作る」かの前に、創作者の匠の「心」を磨く。

ビジネスでも同じだ。「何を売るか」「どうやって売るか」の前に、お客様は「なにに悩んでいるか」のお客様の心を知ることにある。心に気づき、そこからのヒアリングや提案に向かう。

Appleの創業者の一人スティーブ・ジョブズにこんな言葉がある。

「人は形にして見せてくれるまで、自分が何を欲しいか分からないものだ」

お客様の心を理解して形にしてこそ、お客様との関係が始まる。当然ものづくりにおいて無駄なこともあるだろう。しかし、すべてはお客様の、相手の心(悩み)を探り、仮説を立て、作って提案することから始まる。

忘れてはならないことは自分の位置だ。匠の技があるから創作品が出来るのではない。木を切る人や道具を作る人、さらには売る人と多くの業種が関わるからこそ創作品は人の目に触れる。そのためには宣伝だけでなく、イベントや教室などの伝える啓蒙活動が大切だ。

原点を忘れない。

「初心忘るべからず」(世阿弥)。舟木清さんの後姿をみるたびに、「初心に戻れ」ではなく「いつも初心」の生き様を感じる。板に触るのも、土を練るのも、種に笑いかけるのも、常に初心の初々しさと純粋さが覗いている。それは組子細工の技術を習得し働く皆様の姿勢や接客からも伝わってくる。

最後にきわめて個人的なことではあるが、結婚する娘にここで創作されたイヤリングをプレゼントした。いつか奥出雲生まれの父の「思い」に気づいてくれればと楽しみにしている。

組子細工によるイヤリング
■ 舟木木工所

島根県雲南市加茂町三代525
電話:0854-49-7301
https://funakiwoodworks.jp/

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