• ~旅と日々の出会い~
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思いを込めた糸に織り成すライフスタイルの提案 

再生された古民家で共に語らん、「帰っておいで」

「衣食住美に係わる商品の企画開発、そしてライフスタイルの提案から販売。古民家を再生し旅行者への宿泊提供、またイベントや地域の人々とのコミュニケーションの場として出会いを創造するなど、多岐にわたる『株式会社石見銀山生活文化研究所』。

今回、代表取締役所長である松場登美氏から石見銀山生活文化研究所と石見銀山大森町との関りをおききしました。

松場登美氏 略歴
株式会社石見銀山生活文化研究所 取締役所長
1949年、三重県生まれ。1981年、夫の故郷大田市大森町に帰郷、布小物の製造・販売を始める。1989年、雑貨ブランド「ブラハウス」を設立。古民家を再生して店舗とする。1994年、「群言堂」ブランドを立ち上げる。1998年、株式会社石見銀山生活文化研究所を設立。2020年度、総務省「ふるさとづくり大賞」最優秀賞受賞。

はじめに (「只」の意味)

パソコンの横にA5サイズのフルカラーの写真書籍、藤井咲子著『おじいちゃんの封筒・紙の仕事』(版元ラトルズ)があります。ここ数日、時間を見つけては無作為にページをめくり、手作りの封筒を見詰めています。

大工だったおじいちゃんが引退後、身近にあった不要なもので作った『封筒』(80歳ぐらいから95歳まで)を、お孫さんにあたる藤井咲子がまとめ、それを作品集にした写真書籍です。そんな「只(ただ)」の封筒を眺め、見たこともない「おじいちゃん」の仕事をする姿を想像しています。

不思議に思われるでしょう。しかし、どうしてもここからお話ししなくてはいけないのです。

石見銀山生活文化研究所、代表取締役所長の松場登美氏への取材は、石見銀山の大森町を訪ね、大森の光や風、松場登美さんの息遣いを感じながらお聞きしたのではなく、昨今のコロナウイルスの事情のためZoom(インターネット会議)でお会いしたからです。

「登美さん」(松場登美氏から登美さんと呼んでくださいとのことでした)から貴重な考えや素晴らしい活動をお聞きすることができました。でもネットのせいでしょぅか、登美さんをもっと知りたく、最後に「心に残る書籍と映画」をお尋ねしました。

迷わずあげられた書籍が『おじいちゃんの封筒・紙の仕事』でした。登美さんもお話しされましたが、古道具屋店主の坂田和實氏が「前書き」に書かれた、この紙の仕事を見て「只という言葉に辿り着いた。只とは、そのままで良い、そのままで救われるという世界。・・・頭でものをとらえようとする人間には難しい世界、只を意識すれば只ではなくなる世界でもある」。その表現にこだわり続けました。

『只』とは、石見銀山生活文化研究所の登美さんの「出会い、創造、暮らし」そのものでもあるような気がしたのです。事を興す初めこそある「なぜ、誰のために、何を」は、続けていく中で、ことさら誰のためにとか、何のためになどと声高に言わなくて、その「ただ続ける」行為や営為によって十分思いが伝わり、共感され、人も変わると確信したからです。

そんな登美さんを、そして石見銀山生活文化研究所の皆様の活動や出会いを、さらには大森町の人々や文化を出来る限りお伝えします。

書籍『おじいちゃんの封筒』

1 石見銀山大森町との出会い

石見銀山生活文化研究所は、JR山陰本線「大田」駅からバスで20分の大森町にあります。出雲空港からレンタカーなら90分ほどのところです。なお、町中は車での通行は禁止されています。石見銀山の町を散策される方は、徒歩か、レンタル自転車をご利用ください。

1-1 ヒューマンスケール

三重県に生まれ、多感な青春時代を過ごされた登美さんは、40年ほど前、御主人の御実家である石見銀山大森町に「帰られ」ました。

「私が主人の実家である石見銀山の大森に来たころは、閉山後の廃墟の町でした。ところがなぜか来た瞬間からこの町が好きになりました。自然があり遺跡があり人々の暮らしの営みがありました。そして、なによりもここは、他では失われたヒューマンスケールのある町でした」

大森町の町並み

 

「町が発展していくと大きな道ができ高いビルが建ち、どんどん人のサイズではなくなってしまいます。いろんなものが失われます。でも、ここにはまだヒューマススケールの世界が残っていました。それらが、これからの価値を生むと思います」

ここ大森町には人間サイズ、言葉を替えるなら人間主体の暮らしと環境が自然や文化・風土とともに残っていたのです。それが登美さんにとって最大の喜びであり、すべての始まりでした。

「この大森町は、近代化に取り残されたため自然との調和がそのまま残っていました。私たちはこれを失いたくありません。そして次の世代に残してきたいと思います」

登美さんの、そして石見銀山生活文化研究所の理念の原石でした。

1-2 時代の記憶

そんな登美さんに、過ごしてこられた時代の体験(団塊の世代)が作用したのです。

「昭和24年生まれの私たちは、恵まれた世代でした。戦後の貧しい時代も経験し、そしてすべてがいいのではないのですが、高度成長期という恵まれた時代も生きてきました。だからこそ今、何が大切なのか一番よく知っています。何が大切で、何を残すべきか考えなくてはいけません」

「そんな恵まれた体験は、前の世代のおかげであったと言えます。それを次の世代に残していかなくてはいけません」

団塊世代の青春期は、高度成長期という大量生産大量消費の恩恵と、成長による自然破壊や地域文化の崩壊をまのあたりに見た時代でもありました。だからこそ何が大切なのかを学んだ時代でもあります。

そんな世代の登美さんに、ヒューマンスケールの残る大森町が「残す」ことの意味を伝えたのです。

2 企業理念『復古創新』

「企業は五年計画を立てますが、本当に予想できるのでしょうか。というよりそれは何かを創るだけの考えです。それよりも百年先まで考えて何を残すか、私たちはどう生きるかを考えるべきだと思います」

経済成長と効率化との引き換えに、多くの自然や貴重な文化、そして考え方を失いました。3年や5年先ならば、今の考えの延長で捉えてしまいます。だからこそ、百年という次世代以降のことを意識し、射程に置くことで、「何を残すか」「何を創るか」の視点に立つことができたのです。

企業理念『復古創新』
2-1 何を残すか

「私たちはものづくりをする小さな会社です。これからは、ものづくりだけでなく、福祉や教育など町のことにもより積極的に関かわっていこうと考えています」

「主事業はアパレルです。みなさんの暮らしをデザインしています。日本には、もったいないや粗末にしない考えがあります。これも伝えて行こうと考えています」

今の経済社会の基本は、有形無形に限らず何かを創り、消費することで回っています。

「創ることも大切です。未来に向けて何を創っていくかが大切なように、何を残すかも大切なことです」

2-2 納得できること

かつて日本は匠の技や製造業を核にしたモノづくりの大国でした。しかし、現在はサービス産業への転換と製造原価の削減のもと海外生産に依存する構造となりました。また農業生産物をはじめ食品や生活用品の原料や製造の多くを海外生産に依存しています。

「日本の衣類全体の98パーセントが、海外の原料や労働力に頼っています。私たちは何かを創るときは、日本の生産地に赴きます。そこで生産者や技術者のみなさんと話し合いをして採用を決め、技術も残します。2%のなかに私たちはいます。この考えやスタンスはやめません。私たちはモノを創るだけでなく、原料の調達を含めたすべてに責任を持ち、大切にします。その考えのもとにモノづくりをしています」

利益を追求すれば粗悪品の製造だけでなく、自然破壊や人件費削減のための無茶な製造環境となる。石見銀山生活文化研究所様は、生活者のみなさまに確かなものをお届けするために、企画から製造すべてに関わり、安心と信頼のある商品開発に努めているのです。

「ライフスタイルのデザイン」とは、生活者にあった商品の製造や関りだけではないのです。生産者や職人の人たちの思いや考え方を込めた商品を製造するからこそ、お客様への「ライフスタイルのデザイン」提供と言い切れるのです。

「製品の価値」とか「製品の物語性」とは、その製品の表装や質だけでなく、製造者の考え、そして考えに共感した生活者の相互の思いによって形成されるのです。

群言堂店内

登美さんが繰り返された企業理念「復古創新」。

「古いものに固執するのではなく、いにしえの良きものをよみがえらせ、そのうえに新しい時代の良きものをつくっていく」。

「効率主義」を排し、「ヒューマンスケール」や「何を残すか」、そんなすべての考えや生き方が凝縮された考えが、この企業理念「復古創新」です。

それを実現ならしめるのが、外部の生産者や技術者との話し合う関係や、ライフスタイルの提案を通して築く生活者との関係、それを実行する社員の皆様の『行動規範』だと確信しました。

3 石見銀山と石見銀山生活文化研究所

3-1 糸の一生

登美さんや石見銀山生活文化研究所と石見銀山大森町との出会いが、必然なのか偶然なのか、そんな運命議論ではないものを感じます。近代化の波に乗り遅れ結果として残った遺跡、町が廃れることで残された景観に町並みと、それを登美さんが一瞬で好きになった思い。

『おじいちゃんの封筒』での言葉、「只」出会った、それだけのことだった。しかし、そこにはヒューマンスケール大森町と「良さ」の本質にこだわる登美さんたちの熱い思いがあったのです。

その思いが登美さんのお話された「糸の一生」です。「糸から最後の雑巾まで、色んな職種や立場の人が関わって生まれ、再生されて新しいものになり、また使われます」

モノを再生して大切にするとは、係わった人々や行為のすべてを尊厳すると同義語なのです。ヒューマンスケールとは大きさ形だけではなく、つくり、使い、再利用する、その全体のプロセスへの責任と質も含まれていることも教えられました。

3-2 人を迎い入れる土壌

「石見銀山には、外部の人がたくさん来て働いていました。もともと外部の人を受け入れる土壌や文化がありました。そこにいろんな歴史が積み重ねられてきたのです」

石見銀山生活文化研究所も「社員の三分の二が県外からのひとです」。石見銀山生活文化研究所に魅力を感じI/Uターンで「帰ってきた」社員の皆様も、会社で働くだけでなく地域密着の活動や生活することでより大森町にとけ込んでいます。それが大森町での石見銀山生活文化研究所の在り方です。

「社員の地域との関りとして、大森町での生活を伝えるフリーペーパーの編集者や、景観保存の一環でヤギを飼い農業に従事する社員もいます」

「ユニークな人も住みついています。彫刻家の夫妻、ドイツパンのマイスターがつくるパン屋さんなど。それにミニコンサートやイベントも開かれます。また毎年、合宿で沢山の学生さんもいらっしゃいます」

大森町にはこの町や人や自然が好きになり、いろんな人が訪ね来る魅力ある町です。その結果でしょうか。

「町の人口増にも貢献しています。10年程前は保育園の園児の数は2、3名でした。それがいまは25 (2021年7月時点) 名もいるのですよ」。400人ほどの人口に、これほどの子供が育っているのです。

4 集い語らう空間と時間

さて、今回の取材の大きな目的の一つである「古民家の再生と活用」ついてお聞きしました。

4-1 群言堂の『群言』とは

全国に33店舗のお店をもつ石見銀山生活文化研究所のブランド名の「群言堂」。「群言」とは中国の言葉です。

「群言とは、みんなで集まってみんなでワイワイ話すことです。反対に一人が決めて指示をだすのが一言です。私たちは、この地に根をはり、みんなでワイワイ話しながら物事をきめていきます」

その場が、広島から移築した築260年の茅葺きの家の「鄙舎(ひなや)」であり、竈で食をつくり、一日二組限定の「暮らす宿 他郷阿部家」です

本社の田んぼ前で
4-2 会社のシンボル「鄙舎(ひなや)」

「石見銀山群言堂」の本店は、「300坪ある築年数約170年の旧商家の古民家を再生して活用しています。これが最初の古民家再生でした」。ここではオリジナルブランドの服や雑貨の展示販売と、地元食材を活用したカフェを開いています。

「隣接するのが、会社のシンボルにもなっています、広島から移築した築260年の茅葺きの家『鄙舎(ひなや)』です。社員たちの交流の場だけでなく、年末には町内の人とお餅をつき、夏は大学生の合宿、そしていろんなフォーラムやコンサートなど外部の人との交流の場としても使用しています」

「会社はソーシャルビジネス」だと話される登美さん。「企業は自社の利益のためだけでなく、社会に還元してこそ企業の存在の意味があり、それが企業の使命です」

良い古きものに手間暇とお金をかけ再生し残す。

「人の出会いを大切にして」こられた登美さんと石見銀山生活文化研究所の活動や姿は、いろんな人に伝わります。

「これまでに、合宿や研修で訪ねるたくさんの若者を受け入れてきました。学生さんは、ここでのことを語ってくれます。それが全国に広がっていくのです」

ユネスコで初のESD(持続可能な発展の為の教育)を考える会もここで開かれました。

登美さんは最澄の言葉「依身より依所」をお話された。修行をするには自分自身が正しくあろうとする気持ちも大切だが、修行をする環境はもっと大切だという意味です。

外部の人を受け入れてきた大森町の風土、長い年と人の思いと営為によって生まれ再生された古民家には、利益や効率ではなく「共に生きる」気と、暮らしへの感謝の念が育成されているのでしょう。

鄙舎(ひなや)
4-3 暮らす宿、他郷阿部家

「こんな場が欲しいなと思い、つくったのが『他郷阿部家』です」

もともとは石見銀山の地役人の家族が暮らしていた屋敷でした。床も抜け朽ち果てた建物を改修して10年間暮し、宿泊施設として再生したのです。

「旅館に泊まっても夫婦で向かい合って食事をする。この料理はどんな人が作られたのかしら、お礼も言いたい。でも、そんなこともできない。そんな思いがありました」

「台所で作られた方と空間を共にしながら食べる。美味しいとか、幸せだとか、その感情を直接伝えたい。もちろん料理だけではありません。竈の煙や火のはじける音、さらには炎や炊きあがる香り、それらすべてがおもてなしです」

家族のような接客、家に帰ったような雰囲気を味わい、そしてお礼を伝える、そんな場を計画されました。

「他郷阿部家」は、中国の故事「他郷偶故知」から付けられた名前です。「人生には幾つかの喜びある。そのひとつに、異郷の地でまるで故郷に帰ったように迎い入れられたときだ」

竈と自然のままの草木が迎えてくれる他郷阿部家です。しかし、その食卓には登美さんもいて、一緒に食事をして語り合います。

「一日二組。10年間で1万人の方が宿泊されました。一緒に食事をしながら、お酒も飲みます。お客様同士がお友達にもなられます。今は若い人に料理を作ってもらっていますが、以前は私が作っていました」

登美さんは楽しそうにお話を続けられた。

「うちのメインディッシュは、竈で炊いたごはんでつくったおむすびですよ。皆さん、『幸せだ』とおっしゃいます。美味しいものは人を幸せにするのですよ」

「若いスタッフはお客様を見送る時、『いってらっしやい』と挨拶をしています」

他郷阿部家の世界は、群言堂の提供する商品への責任と同じ考えです。職人や企業との関係、自然環境と共に生きてきた営為という物語が織りなされた衣類。この宿には、お客様ともてなす側が一緒にいて、薪の音から料理の温かみを伝え、煮え立つ湯気と薫りから料理する人の姿を見、土間を歩く音から料理を作る過程を感じてもらう。そして食事とともに語らう暮らしという物語があります。

登美さんはそれを「非日常ではなく上質の日常。ものの本質を提供します」とお話されました。

阿部家食事の様子

5 帰っておいで

登美さんに、今後の活動、島根を訪ねる人への思いをお聞きした。

「皆さんが、帰る場所を私はつくりたいのです。この地の出身でなくても、島根の出身でなくても関係ありません。ここに帰っておいで、とお声掛けをしたい。ここには環境が変化しても変わらないものがあります」

「ここにある空気も、食べるものも、風景も残していきたい。環境の変化で変わるものもあります。でも変わらぬものは守っていきたいと思います」

百年先まで残したいモノ。それは物なのか心なのか。きっと両方あるのでしょう。それをみんなで織り成していく。

「糸の一本」。その一本があなたなのか、あなたの行為なのか、それともみんなで成し得た行為なのか。どちらにしても、登美さんは、みんなで織り成していこうとされています。

石見銀山への旅行でも、古民家見学でも、群言堂ブランドの買い物でも、あるいは石見銀山生活文化研究所への就職希望でも、出掛ける理由や契機は何でもいいです。みなさん一度「帰って」みませんか。「ただいま」と大声を出して。

松場大吉・登美ご夫妻

6 まとめ

あらためて『おじいちゃんの封筒』の「前書き」を読んでいます。「全てから自由であることが美しいものを作りだす必須の条件だと思い込んできたが、型(おじいちゃんの封筒では用途に置き換えることができる)という定型の不自由さが、生れてくるものを美しくするという不思議さも頭のなかに入れておく必要がある」。

古民家の再生。それは「建物」としての型ではく、「人が暮らし、人が訪ねてくる」場・空間(用途)として考えました。人が暮らし、人が寄り、語らい、飲食し、去るという、多くの営為の積み重ねがここにはあります。

それだけではありません。古民家もかつては新築の家でした。家を建てるために設計師が、棟梁が、大工が、左官屋が、屋根を葺く人がいました。もっと本源的なことでは柱となる木を伐り、柱として仕上げる人もいます。茅を刈る人、乾かす人もいます。土を掘り、練る人もいます。家には暮らす人の前に、多くの人が間接的に直接的にも関わっています。そんなすべてを通す歴史と思いが織りなされ、積み重ねられています。

人だけではありません。草木も同じです。蝶やバッタや蚊などの昆虫、犬や猫や牛という動物も関わったことでしょう。花鳥風月、あらゆる自然の生き物や現象も関わって、それが「家」という総体の世界を成しています。

再生された古民家とは、人が集う家「型」ではなく、人と自然のたゆまない営為そのものではないのでしょうか。再生された古民家が美しく輝くのは、登美さんや石見銀山生活文化研究所の皆様や協力者の皆様、そしてこの家を築いた匠や自然の営みが、美しさを感じさせているのではないのでしょうか。

「帰っておいで」とお話された登美さん。是非、お訪ねしたいものです。

最後に、こんなにバイタリティーと情熱をおもちの登美さんをもっと知っていただく意味で、お好きな映画の一作品を紹介しましょう。岩下志麻出演『婉(えん)という女』です。

 株式会社石見銀山生活文化研究所 

ホームページ
https://www.gungendo.co.jp/
住所
島根県大田市大森町ハ183
 電話
 0854-89-0131(代表)
 アクセス
JR西日本 山陰本線 大田市駅下車、大田市からバスで約25分、タクシーで約20分

インタビュー

インタビューの模様を動画でご覧ください。

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