• ~旅と日々の出会い~
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地域創生と市場創造を目指す「たなべたたらの里」(雲南市吉田町) 

産業としてのたたら製鉄から文化・哲学としてのたたら製鉄へ

今回、「田部グループ」のひとつ「株式会社たなべたたらの里」をお訪ねしました。株式会社たなべたたらの里取締役副社長の井上量夫氏と株式会社たなべたたらの里の営業部長(秘書室長)の井上裕司氏に、「株式会社たなべたたらの里」の今後の活動や考えについて、あわせて田部家の歴史、吉田町の人や自然との関わりについてお伺いしました。

株式会社たなべたたらの里取締役副社長・井上量夫氏
株式会社たなべたたらの里営業部長(秘書室室長)・井上裕司氏

はじめに

「株式会社たなべたたらの里」様(以下、組織名の敬称は省略)は、中国横断自動車道を使うと松江からも広島からも45分ほどの中国山地のやまあい、人口1500人強の雲南市吉田町にあります。

吉田町は、島根県の『県民の歌』の冒頭「薄紫の山脈(やまなみ)は・・」どおりの、「薄紫」の山並みが幾重にも重なり、谷合にそって田畑が伸びる、まるで水彩画を清水に浮かべた色合いにつつまれた町です。

静寂で、のどかな吉田町は、かつて「たたら製鉄」で栄えた企業町です。松江藩の三大鉄師のひとつ田部家の建物とともに、たたら製鉄の歴史を伝える田部家土蔵群と町並み、鉄の歴史博物館、菅谷たたら山内・生活伝承館、菅谷たたら山内・高殿など、多くの遺跡や施設があります。目に見えるものだけではありません。たたら製鉄を支えた広大な森林の息吹、清流の音、そして人々の生活や営為のなかにも、「たたら製鉄」の歴史と心は引き継がれています。(※田部家と櫻井家、絲原家を三大鉄師という)

今回、「田部グループ」のひとつ「株式会社たなべたたらの里」をお訪ねしました。株式会社たなべたたらの里取締役副社長の井上量夫氏と株式会社たなべたたらの里の営業部長(秘書室長)の井上裕司氏に、「株式会社たなべたたらの里」の今後の活動や考えについて、あわせて田部家の歴史、吉田町の人や自然との関わりについてお伺いしました。

今後の事業展開として紹介して頂いた『たたらの里づくりプロジェクトマップ』は、広範囲で中長期でありつつも、非常に具体的で分かり易く、魅力に満ちたものです。

『たたらの里づくりプロジェクトマップ』には、地域と密着したたたら製鉄の構造と関わり、そして森林を核に続いた田部家独自の経営のスタンスも大きく反映されています。

吉田町の未来に向けての事業とともに、たたら製鉄と山とともに歴史を刻まれた田部家の考え(企業風土)もあわせて紹介します。

中国山地の山並み
島根県吉田町の地図

     

田部グループの理念『人地想』

土蔵群の奥にある田部家の屋敷の一部を改造された株式会社たなべたたらの里の事務所。入った瞬間に感じたのが建物全体から漂う材木独特の息吹、樹木のもつ「気」でした。自然のもつ気配とともに人の営為が刷り込まれた歴史の重厚感でもあります。

田部家・土藏群
思いと姿勢、そして行動

目についたのが鴨居の上に掛けられた扁額、『人地想』です。
株式会社たなべたたらの里取締役副社長の井上量夫氏が穏やかにお話しされました。
「たなべたたら里の里長の考えです。というか、田部グループの経営理念です」
株式会社たなべたたらの里の社長を「里長」と呼び、里長の田部長右衛門氏は「田部本家第二十五代目当主」、田部グループの代表です。

「人を、地域を大切に、活力があり、想像力とチャレンジ精神のある活動をする企業であれということです」と前置きし、その意味を説明されました。
 「人 人、社員、お客様を大切にする企業であること」
 「地 研鑽を積み、地力を向上させ、地域を担う企業であること」
 「想 想いをもって仕事に取り組み、想像力で時代をリードする企業であること」
  (webサイト『田部グループ』)

扁額『人地想』(経営理念)

「企業理念」や「経営理念」は、会社の基本姿勢やあり方、信念・目標などを表す、国で言うと『憲法』に当たる国造りの根幹を成すものです。なじみのない方にとっては、お題目と評される方もいらっしゃいます。とんでもないことです。これが会社の存在の意味を、社会にあっては一つの個(企業)としてどうあるべきかを世に示す大切な考え(哲学)です。

取材の中でどこまで『人地想』の姿を探し出せるか楽しみに思いました。

田部家と株式会社たなべたたらの里

『人地想』を理念とする田部グループとたなべたたらの里の全体概要を井上量夫氏にお伺いしました。

「田部グループは、株式会社田部を核としまして、株式会社たなべの杜、株式会社TANABEグローバルキッチン、そして株式会社たなべたたらの里で事業を展開しております。株式会社たなべの杜は長年の森林事業で培ったノウハウを活かした住環境分野を担い、株式会社TANABEグローバルキッチンはケンタッキー・フライドチキンやピザハットの販売を中国・関西地方で展開しています」
生活に密着した「食」と「住」の領域で、幅広く事業を展開されています。

「株式会社たなべたたらの里には、新規事業のプロジェクトがあり、新たな産業創出と地域活性化のために幅広い活動をしています」
吉田町には、たたら製鉄とともに栄えた町並みや自然が残されています。
「再び多くの人びとが暮らし、たくさんの人が訪ね来る町にするため、2018年に地域の人々とともにたたらの里づくりプロジェクトを立ち上げました」

「たたら製鉄の産業復興だけが目的ではありません。農業や観光、飲食、宿泊や芸術など、総合的な里づくりです。そして最大の目的は山の再生です」(webサイト『たなべたたらの里』、「里長挨拶」)

主なプロジェクトです。
・田部家のたたら吹きの再現。年二回実施されています。
・たたら製品の企画開発。ゴルフクラブ等。
・出雲大社遷宮の杜。出雲大社屋根の葺き替えに使用される檜皮(ひわだ)の保全と提供。
・地元のたまごを使った里山スイーツづくり。
・山と人を繋ぐ体験イベント。
・自然を感じる森の遊び場。森を活用した様々な体験施設。
・みんなの桜の杜。見る杜として山桜7千本の植林。
・ふるさとの町のリノベーション。新しい賑わいを創る様々な施設づくり。

たたら製鉄復活

人々とともに、地域とともに「新しい」吉田町を未来に残す。
「それが、生徒の少なくなった中学で、里長が約束された働く場をつくることにつながるのですね」とおたずねしまた。
すると、お二人は「それもひとつです」と頷きながら、井上量夫氏は「田部家の歴史」を、株式会社たなべたたらの里の営業部長(秘書室長)の井上裕司氏は『たたらの里づくりプロジェクトマップ』の基本となる考えをお話しされました。

田部家の歴史とたたら製鉄

田部家は、750年前、紀州田辺(現在の和歌山県)より中国山地のこの地に移り住み、江戸時代に全盛を極めた”たたら製鉄”を生業としました。かつては日本の製鉄をけん引したたたら製鉄でした。明治以降、海外から洋鉄技術が導入され、さらに生産性の高い溶鉱炉、鉄鉱石が原料となると、需要への対応とコスト削減の過程で、1923年(大正12年) にたたらの火を落としたのです。

「鉄業界の前途は暗黒にして、到底近き将来に曙光だも認めむべき模様も見えざるにいたり、遺憾ながら大正12年度末をもって現在の工場、菅谷鈩、大吉鈩、杉谷鍛冶屋、芦谷鍛冶屋の四ヵ所は廃業して木炭専業に従事す」(webサイト『田部グループ』)

菅谷たたら山内・高殿

廃業当時は生まれていない井上量夫氏も井上裕司氏も、現在に活かす教訓としてお話しされました。
「大きな出来事でした。田部家にとって大きな転換期でもあります」(井上量夫氏)
「田部家にとって辛かったことは、たたら製鉄の廃業によって、働いていた多くの人々が生きるため、家族を養うために、吉田町を離れなければならなかったことです」(井上裕司氏)「
たたら製鉄で働く人だけではありません。原料採掘や樹木の伐採から炭生産、運搬業などの関連産業があり、多くの人が働いています。働く家族の生活のための店から病院、学校と、沢山の人が関わっていいます」(井上裕司氏)

たたら製鉄は製品の製造だけでなく、原料の調達(山を崩し砂鉄を取り出す)、燃やす木材の調達と炭の製造に山の管理、運搬と交渉、販売活動等、直接関連する物理的な産業連鎖があります。それ以外に間接的に関わる産業や活動、たとえば山を崩し、木を切るなどの道具の製造・調達、運ぶ馬車などに従事する人たち、さらには働く人やその家族の生活を賄う商い、医療・教育、娯楽、嗜好品、宿など、多くの産業や商いを巻き込み、山間集落と深く関わっています。企業とは、経営者とは、そのすべてに関わる位置にいます。

吉田町が潤い活性化したのは、たたら製鉄という産業のみならず、それに関わる産業や商いが育ち、多くの人びとが集まったからです。

「廃業とは、製鉄という産業にとどまらず他の産業や商いを失うこととなり、多くの人びとが生きるために吉田町を離れました」(井上裕司氏)

「失うことは、永遠に取り返しのつかないこともあります。再生にも限界があります。できるものもあれば、形を変えてしか再生できないものがあります」(井上量夫氏)

「日本人の生活を支えた『たたら製鉄』は裾野の広い産業でした。鉄の生産だけではなく、山の仕事や農業、牛馬の世話など、かつては吉田の町にも1万人以上の人々が住み、たたらに関わる仕事に従事していました。
しかしながら、大正期にたたら製鉄が途絶えて以降、現在では最盛期の10分の1ほどの人口となっている状況に、私は大きなショックを受けました」(webサイト『たなべたたらの里』、「里長挨拶」)

この歴史的な危機感の共有が、人・地域・自然、そして地域の未来の考え方に活かされています。

鉄の歴史博物館

5年、10年50年先を描く『たたらの里づくりプロジェクトマップ』

「森林破壊や地球温暖化による異常気象など、地球の未来が危ぶまれる今、原点に立ち返り、明るい未来を次世代へ繋げたい。私たちはそんな願いを形にしようとしています」 (webサイト『たなべたたらの里』、「里主挨拶」)

森林浴センターからの山並み
『たたらの里づくりプロジェクトマップ』と基本的な考え

キャプション井上裕司氏が説明のために作成されたA3サイズの『たたらの里づくりプロジェクトマップ』で、たなべたたらの里が描く、これからの町づくりをお話しされました。

具現化した理念、今後のプロジェクトの展開など、現状から近未来を描いた世界は一目で理解できるものでした。残念なことですが発表前の事業も描かれているため、一部を文章にて紹介します。

冒頭で触れた既に進行しているたなべたたらの里のプロジェクトや、吉田町にあるたたら製鉄に関わる施設と遺跡、さらには訪ねてこられた皆様をお迎えするお店や施設は、盛り込み済みです。

吉田町(吉田本町通)を中心に周辺に山林や農地を描き、現状、五年後、十年後に向けての事業が配置され、現在ある施設とともに進行中のプロジェクトの展開、森林や農地、養鶏場木育、そして連動した施設や空間・イベントが概念別に棲み分けされています。
自然や地元と共存したフィールドアスレチやキャンプ場、ハーブ園に養鶏場や養蜂、見る森林に農業体験、飲食店からギャラリーに宿泊施設。驚きは水力・バイオマス発電と多岐にわたっていることです。

自治体発行の『吉田町観光マップ』とwebサイト『たなべたたらの里』を重ね合わせてご覧ください。きっと『たたらの里づくりプロジェクトマップ』で描かれた世界が、皆様方にも見えてくるはずです。
(近々、『島根国』のサイトにて、「たなべたたらの里と吉田町」の動画を発信します)

町並み
鐵泉堂

夢や計画には、それを実現する根拠を必要とします。「ひと・もの・かね・情報」と言われた時代もありました。確かに必要な資源です。しかし、これだけで実現する時代は終わりました。ここに必要なのが推進者、経営者の成し遂げようとする強い「意思」と社会・自然とともにすすむ「考え」です。

その意思と考えを、井上裕司氏は、①たたら製鉄からの必然性と、②田部家の独自な時間軸で説明されました。

たたら製鉄の必然性と田部家の独自な時間

・たたら製鉄からの必然性

井上裕司氏は『たたらの里づくりプロジェクトマップ』の根拠として、たたら製鉄が創り出した歴史的必然性をあげられます。
「たたら製鉄には歴史的に広い裾野があります。ピラミッドを描いてください。たとえば頂点にたたら製鉄の製造を置くとすれば、その下に原料を集める砂鉄の採掘やエネルギーの炭の製造。運搬する荷馬車に車。これに従事する人が町に住めば生活を維持するための商いが生まれ、間接的に関わる人が広がります。それがたたら製鉄という産業の特徴です」

独特な歴史と構造をもつたたら製鉄を、新しい町づくりの核としたらどうなるか。
「産業としてたたら製鉄を復活するのでなく、たたら製鉄を町づくりの中心、概念と置いた時、関係する事柄や概念が無数にあるのです。それらが関係し、交わり、いろんなことを創り出しているのです。そのひとつを完成しても、それで完結しない」
たなべたたらの里が描く町づくのが、たたら製鉄の歴史や意味にこだわれば、たたら製鉄の特殊性ゆえにたたら製鉄の復活で終わることはなく、たたら製鉄に関わる山から、大地から、関連する産業や商いへと広がるのです。

拡大しつづける町づくりがなぜできるのか。井上量夫氏も、井上裕司氏も言い切られました。
「トップに、強い意思があるからです」
ここは自分が育った町、原点があるのです。

井上裕司氏はマップをなぞるように続けられます。
「これらすべてを自分たちの資本で行う必要はないのです。考えに共感し、共に汗を流す、チャレンジする住民の方や外部の皆様がいらっしゃるのです。私たちは、あり方を示したのです。いわば、のろしです。しかし責任はあります」

たたら製鉄

・田部家の独自な時間軸

『たたらの里づくりプロジェクトマップ』で描いたことがなぜ出来るか。そこには「トップの強い意思がある」と話さされ、その根拠を説明されます。

「トップが在任中に何をするか。普通の企業ならば、5、10年が在任期間でしょう。しかし、田部家では、自分の代に播いた種は次の代か、その次の代に刈ればいい。そんな時間軸で考えるのです。だから目先のことだけでなく未来も考え、実行できるのです。そこにトップの強い意思が後押しするのです。私たち社員も非常にやりやすいのです」 

注意しなければならないことは、この二つの要素があるから今の事業が実現しているのではありません。
「田部家では、代々当主が自分の代で何をするか決めます。今の当主がたなべたたらの里による町づくりなら、先代はメディアと飲食業、先々代は現在の基盤構築と政治でした」(井上裕司氏)
「何かを成すという強い志と意思と理念のもとに」(井上裕司氏)、二つの資質が作用するのです。

その強い意思と志の元に、社員が、仲間が集まり、そして地元の人たちや外部の賛同者が集まるのです。
「中心であるこの町の人たちからの信頼、そして吉田町に来た外部の人たちの自然との体験の喜び、それらを創り出すことが大切です。もちろん私たちだけではできません」
事業紹介の折に井上量夫氏がお話しされた、住民の皆様の主体的な関り、みんなの創意工夫が今の形へと導いているのです。

森林で遊ぶ子どもたち
エネルギー・食料自給率100%を目指す地元完結

『たたらの里づくりプロジェクトマップ』の左下段に大きく書き込まれた『自給率 エネルギー100% 食料100%』の文が気になっていました。そんな私を見て井上量夫氏は、「そうですよ。地元で完結する。エネルギーも食料も地元自給率を100%にします」

「まず、ここで成し遂げる。それによって価値を高めることができます」(井上裕司氏)

生活の基本であるエネルギーと食料の完全自給。ちなみに、日本のエネルギーの自給率は11.8%(2019年度)、食料自給率(カロリーベース)は38%です。島根県のネルギーの自給率は(xx%)、食料自給率は66%です。

一般的な事業計画やたたらの里づくりプロジェクトマップは、とかく「どうやって」という手段に走る傾向があります。重要なのは描かれた計画は、誰のために、なぜするのか、そして何を創り出すのか、本質と目的を具体的な姿に落とし込む数字です(もちろん数字以外にも定性化したものもある)。
その意味で、吉田町で自己完結する数字『自給率100%』は、理念を理念として終えるのでなく、『たたらの里づくりプロジェクトマップ』のなかにどうあるべきかという具体的な数字に落とし込むことで、実行するたなべたたらの里の強い「意思」と「決意」を示します。

『たたらの里づくりプロジェクトマップ』は空言ではない。その証が自給率100%。言葉にすると「みんなで生きていける」でしょうか。

経営理念『人地想』を活動の中に具体的に落とし込んだミッションであり戦略です。ここにも、廃業の苦悩の歴史を正面から捉え返した意思さえ感じます。

新しい町づくりは、この地で人々が「どんなことがあっても生きていける」(井上量夫氏)。理念の具体的な姿勢だと思いました。

『たたらの里づくりプロジェクトマップ』を見る私に、井上量夫氏は、「本当にできるの、と疑う人がいらっしゃいます」と添えられ、「でも、これは私たちだけでなく、吉田町の皆さんと、そして賛同者の皆様と作り上げるのです」

言葉だけが先行する『互いが助け合う町』とか『幸せの町』などとバラ色をうたう抽象的なスローガンではなく、明確で具体的な言葉「みんなが生きていける」を連想できる「自給率100%」。力強く、そして後戻りしない姿です。

「すべてが自給できる、すべてをここで作る、それが訪ね来られる方たちへの最大のおもてなしです」(井上量夫氏)
理念の具現化を示す。基本的なことを教えられました。

山からの発想

人類と自然は因果な関係です。人類は道具を手にしたときから、自然を大切に思いつつも、生きるために自然を人類に都合のよいように変え、破壊してきました(それが人類の成長と経済成長を実現し、大きな課題を生みました)。一方で山を守るため、樹木の枝打ちや間引きをし、また植林をし、そのための道をつくり維持してきました。

人類は自然から経済効果や効率だけでなく、自然との共存を大切にした「哲学」「理念」も教えられました。

たなべたたらの里はここにこだわります。それが「価値」であり、「存在意義」です。

自然との共存 価値

少し長い引用になりますが、プロジェクトについての里長の田部長右衛門氏の考えをwebサイト『たなべたたらの里』から引用します。

「山から湧き出す水は川へ、湖へ、そして海に流れ込み、恵みを分け与えながら広い世界へと続いていく。環境・社会・経済あらゆる循環が山からはじまり、大地へ還る。里山が豊かであればそこに繋がる人々の生活も豊かになっていきます。
本プロジェクトは、山を起点に自然を守り、育て、豊かにしていくこと。大地から頂く恵み、享受したものを人々の暮らしに届けていくこと。先人達が築いた、自然と共存して生まれた文化を継承していくこと。
それらを通して里山を豊かにすることで、人の暮らしも豊かにするこころみです。
ここは、古来よりたたら製鉄で栄えた『たたらの里』」

山から見るからこそ、この地だけでは終わらない視野が生まれます。『たたらの里は、自立しつつも、そこで終わるのでなく、山のつながり、川の流れのように行政区を越えて広がり、繋がりつづけます。

山という視点に立つとき、プロジェクトから生み出される商品やサービスの質も変化します。卵の商品化はその生産プロセスや関わる人々の思いも大切な価値になり、木材加工をベースとした住居や空間デザインの支援も、山と共存するからこそ利便性だけでなくの共存の意味も大切になります。

「田部家にとって何が一番大切か、それは『想い』です。なぜそこまでできるのか、そこにはコミュニケーションがあります。コンセプトは変えず、商品に含んでいます。それを理解してほしいいです」(井上量夫氏)

見るだけでなく、プロセス(過程)に参加 存在意義

「たなべたたらの里が目指すものは、『観光産業』ではありません。もちろん、多くの人に訪ね来てほしいとは思いますが、大切なのは営みです」(井上裕司氏)

「訪ねて来られた皆様に私たちの想いを分かってもらう。その想いをどうやって伝えるか」(井上量夫氏)

皆様に分かってもらえる象徴に何がいいのか、苦慮されます。
活動を理解して頂くために分かり易い象徴的なことはなにか。住民にとっても、とくに外部の人には、理念や数字だけで理解するには限界があります。吉田町やたなべたたらの里の価値や意味を伝えようとすると、どうしても見てわかる形、存在するものが必要になるとお二人は話されます。

「たたら製鉄の産業ならば、たたら製鉄という象徴があり、山がある。非常に伝えやすい。ところが、これからは概念の中心にたたら製鉄を置くと、具体的な象徴にはなりにくいのです」(井上裕司氏)

「これまでは遺跡などモノでした。それも大切なことですが、どちらかというと過去への償還です。だからモノではなく、プロセス、過程を見て、体験してほしい。むしろ完成された物でなく、着々とすすむ事に注目してほしい。それが新しい象徴になるのではと思います」(井上裕司氏)

プロセス(過程)を見、共感してもらう。言うのはたやすいことですが、実行してもらうには大変なことです。たなべたたらの里の「想い」や「意思」だけで、訪問者の心を動かすことは並大抵のことではありません。

「訪問者にも、吉田町の人々にも、モノやコトを通してきっかけをつかんでもらいます。それがプロジェクトです。何かを見てほしいのではなく、この活動に触れる、参加する。そして、一緒に体験し感動する」(井上裕司氏)

プロセスに関わることで、何を目指しているかを体感する。その体感が、自分にとってどんな意味があるか、それが社会にとってもどんなに大切かを気づいてもらう。やがて、自分氏自身がプロセスとなる。
その象徴的な、プロセスを体感できる活動を紹介して頂きました。

幾つかのこだわり

井上裕司氏がお話された「出来上がった何かを見に来てほしいというのではなく、プロセスを見、共に体験してほしい」、そんな活動です。

・山の価値が変わる、桜木が山を覆う日まで

たたら製鉄の全盛期は、製鉄に必要な木炭を得るために山を伐採し、残った土地にまた苗木を植える、使うための山でした。

「皆さんにもお話しするのですが」と井上裕司氏は笑みを浮かべ、「全伐した場所に何を植えようかという話になったときに、今までのようにヒノキや杉を植えても面白くないとなりました。そこで見て楽しむ山、桜を植えちゃえとなったのです」。

2018年、全伐した山に7千本の山桜の苗木を植えたのです。スケールがデカすぎます。そして、「あと15年20年しないと桜は咲きません。みんなで一緒に待ちましょう」。おもわず笑いました。今だけでなく未来のために計画する、この時間軸がたなべたたらの里のエネルギーなのでしょう。

「使う山から、見て楽しむ山、入って楽しむ山、食べて楽しむ山、体験する山など、新たな活用を考えています。それは山の考え方が変わる、山の価値も変化するということです」(井上裕司氏)。
意識の変化こそがプロセスへの参加のひとつです。

「みなさんが当事者になるのです」(井上量夫氏)。
プロセスを見る、活動に参加する、共に考える、目先の時の流れでない悠久の時の喜びを感じるのです。

桜の植林

・文化としてのたたら製鉄

「たたら製鉄の復活は、文化や技術の復元だけでなく、自然の恵み、人間の英知の確認の場でもあります」(井上裕司氏)。
たたら製鉄は、砂鉄の採掘・収集、炉を築く粘土から構築、燃やし続ける炭とその木、そして生み出す匠たちの技術と勘、それが上手く融合したときに良質のケラ・玉鋼が生まれます。
「復元することで、みなさまに自然との協業を肌で感じもらう」(井上裕司氏)

たたらのイベント

・たまご、商品はコミュニケーション

たなべ森の鶏舎のwebサイトにこんな記述があります。

「一つひとつの『命』と向き合っていることに気付かされます。だから私たちは一羽一羽に語りかけたり、一緒に遊んだり、人に接するようにお世話しています。家族のように愛情を注いだ鶏さん達が、貴重な卵を産んでくれた時こそが、私たちの達成感と幸せの瞬間です」

こだわりぬいた卵。井上裕司氏は「皆様に満足して頂けるためには、鶏にも卵にも大変な手間暇や思いがかがっています。これを理解して頂きたいと思います。満足して頂ける卵だから、私たちは自信も責任ももてるのです」

井上量夫氏は、「皆様とのコミュニケーションです。そこに商品の価値が生まれます」とお話しされました。

550年の歴史をもつ平飼い有精卵『彩り天佑卵』を、地元の米で頂くのも至福の満足を味わうことが出来ます。またスイーツに加工品され、ショップで販売さる商品を、卵を届ける多くの人たちの思いとともに頂くのも楽しいことです。

独自な価値の提供

「価値」とは非常に厄介な言葉です。「価値」と「価格」は異なることを理解しても、供給・需要の立場に立つと「価格」が「価値」を凌駕することがあります。しかし「価値基準」が、健康か、美味しさか、家計の負荷などになると、「意味」という「価値」が重要になります。何にとって「価値」なのかと。

たなべたたらの里の『山からの発想』『たたら製鉄の風土』『たたらの里づくりプロジェクトマップ』『自給率』、そして自然との共存を通した活動(プロジェクト)や商品開発のお話をお聞きしました。この話のすべてが、たなべたたらの里が提供される「価値」に含まれています。そして、「価値」を育てるためにも、たなべたたらの里は「変化」し続けるのです。

「価値」「変化」を体感して共に高めるために、井上裕司氏は「形だけではなく、プロセスを見、あるいは参加して体感してほしい」とお話しされます。

井上量夫氏は、「みんなの思いが一番大切です。その思いが通じ合うまでとことん付き合う。それはコミュニケーションといえます。それが商品となる。そこにたなべたたらの里の価値が生まれます」とお話しされました。

「価値」は、互いの思いと共感しあう活動の中に生まれ育まれます。もちろん時代や環境によって変化します。変化するからこそ、互いに「想う」、そして活動のプロセスに参加することが大切だと思います。

井上裕司氏は、「商品はマーケットに合わせるのではなく、理解して頂ける層を掘り起こしてアプローチする」とお話しされ、「食べて美味しい、そこから得られる心の喜びが嬉しい」とお話しされました。それが商品づくりの考えや背景、そしてプロセスを伝えることの最終形だと思います。

「本物とかいいますよね。それは、ここに暮らす人たちや買ってくださる人たちが、喜びをもって認めてくれれば、それが本当の本物だとおもいます」(井上量夫氏)

たなべたたらの里では、新しい挑戦が絶えることなく着々と進んでいます。お訪ねした折も、地元メディアで酒造りのことが報じられていました。これまで聞いたお話から想像するに、こだわりぬいた新酒は何年も先でしょう。そしてたたら製鉄の文化や山の思想を反映した新酒には、「想い」がいっぱい醸造されていることでしょう。楽しみにしています。

山桜を植えた山

4 まとめ 変化と創造

「ここに来れば必ず成功するという保証はありません。しかし、私どもの活動に興味をもたれ、問合せも着実に増えてきました。また働きたいとのお話もあります」(井上裕司氏)

吉田町に暮らす人が真ん中にいて、山から川や里を経て流れる川があり、やがて湖や海にそそぐ。生活と自然の循環のなかに、人々が互いの創意工夫で築く社会と関係。
たなべたたらの里の社会的なミッションが、たたら製鉄をベースとした「地域創生」ならば、企業としてのあり方としては、吉田町の資本をベースにした「新たな市場を創り出す」(市場は全国・全世界、ネットの世界)ことです。

たなべたたらの里に共感する企業や個人、そして商品や価値をもとめて企業や人もやってきます。時には意に反する会社もあるでしょう。勘違いする人もいるでしょう。集団が拡大すれば、異なる流れが派生するのも必須のことです。

取材のなかで井上裕司氏はお話しされました。「自分のところだけが儲かるのではなく、町全体が成長する活動が大切です」

自分だけが儲かることを考えるのではなく、全体を、他利を意識する。大変貴重な考えだと思います。
ビジネスの基本は、自分だけの顧客を創ることではありません。ビジネスの基本は、新しい市場を創造することです。互いに創造し続けることが唯一、企業が存在し続ける基本です。国が、町が潤うとはこのことです。

その原点が、「変化」です。なぜなら「変化」しないものは自然にも社会も存在しないからです。

井上量夫氏がお話された「山の変化であり」、井上裕司氏がお話された「プロセスを見てほしい」の言葉に示されます。

自然も動物も成長し、時に枯れ、変化し続けます。それが自然的変化ならば、人は学び、創造し、社会を変えてきました。それを人的変化と名付けましょう。変わらないという人がいたとしましょう。その考えもいいでしょう。しかし、自然も社会も変化し続けるのです。そうするならば「変化せずに停止」は、相対的には「後退」という変化を意味しているのです。

自然も社会も変化し、「変化」しないものはないと書きました。しかし、もし「変化」しないものがあるとしたならば、ひとは「想い、変化することを決してやめない」という意思(想い)でしょう。

今回、田部家の教訓とたたら製鉄のもつ日本独自な文化、そして村落のあり方を継承しつつ、ビジネスという企業の役割を追及されている活動をお聞きしました。大変、刺激になりました。

この町の再生は、この町の良さを生かした新しい「市場」(マーケット)づくり。そのためにも、ここに暮らす人々だけではなく、この趣旨に賛同、共感される人々とも手を結ぶ。

取材の冒頭、井上裕司氏が「観光事業ではない」と釘を刺されました。その意味は、この地で作ったものの売買だけが目的ではなく、新しい市場をみんなで創りだしていく。そのためには目先の金儲けだけでなく、ともにアイディアを出し合い、チャレンジする。

取材を通し一環としてあった「プロセス」(過程)を見てほしい、プロセスが大切。何かの完成品を待つのではない。ともに創り出していこう。それは製品や作品だけでなく、思い出もでもあり、考えでもあり、生き様でもあります。

自給率「100%」の安心できる環境を、たなべたたらの里は立てられました。しかし、それはゴールではなく中間のゴール。ゴールは永遠に続く。なぜならば社会は変化し続けるのだから。だからこそ、人が、社会が、自然が、ともに生きていける町を考え、つくる。

お二人からお話をお聞きしたあと、みなさんと古民家を改造した蕎麦屋でそばを啜りながら思いました。穏やかな時間の流れのなかにあると感じる吉田町、しかし地域の創生と新規市場の創出のお話を聞くと東京の時間とまったく変わることなく進んでいる。むしろお二人からここだけの話とお聞きしたことを思えば、怒涛のごとく時が、たなべたたらの里では進んでいます。

蕎麦屋の入り口

たたら製鉄という産業には触れませんでした。日本独特のたたら製鉄という産業が形成した文化と風土、その精神の支柱の内容になりました。

訪れた人は。商品というモノ、遺跡という文化に触れるだけでなく、それを生み出した多くの人びとの営為や試行錯誤と苦悩に触れていただきたい。

山の頂の「吉田グリーンシャワーの森」で最後の撮影を終え、汗を流す私たちに、ねぎらいの言葉とともに、麦茶とともに子メロンの漬物を出した婦人。乾ききった口に冷えた麦茶と子メロンの浅漬けの塩辛さが、心地好いほどに染み渡っていきます。
取材の折、井上量夫氏がお話しされた、「たなべたたらの里の中心は里民(さとのたみ)。ここに暮らす人も里民なら、ここに来た人も里民。そして吉田町に関心をもつひとも里民です」の伝えたい意味が、何のわだかまりもなくよみがえり、染み入っていきました。

すべての人が訪れたところを自分の里と思い、「里民」となる。それが地域創生や市場創造の一助となる。見送りのために玄関まで出た婦人が、「今度来たらこの山にも登ったがええです。良い景色ですよ」と笑った顔に、すなおに頷いた私たちでした。

子メロンの漬物
略歴
井上 量夫
1955年、地元生まれ、大学卒業後、都内に就職。
1989年、株式会社田部の前身、田部林産有限会社入社、木材関連事業を担当。
2021年、株式会社たなべたたらの里、取締役副社長。

井上 裕司
1978年、島根県生まれ。2002年大学卒業後、神奈川県内で就職。
2014年、郷里にUターンし、株式会社田部に入社。代表秘書を務めながら、新規事業等の立ち上げに関わる。
2018年、田部家の100年ぶりのたたら吹きを実施。
2021年、株式会社たなべたたらの里、営業部部長。

株式会社たなべたたらの里
島根県雲南市吉田町吉田2407
ホームページ:https://tanabetataranosato.com/

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