• ~旅と日々の出会い~
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あの橋を渡ると

 ― 学食のカレーライス一杯分のラブレター ―

「死神」に出会ったのは家庭料理の店「キッチン大橋」だった。松江市を流れる大橋川に架かる松江新大橋北側にある、女将さんの料理とほのぼのとした雰囲気が特徴の店だ。お客さんも元気のいいご老人やサラリーマン、また島大生や食事を楽しむ独身者で賑わっている。自然と客同士の垣根もなく会話にも分け隔たりがない。

ある夜、カウンターに座ると数本の酒が目についた。こだわりと創造性のある酒蔵の、話題の酒ではなく意表をついた酒。思わず尋ねた、女将さんの趣味ですか。「お酒を入れているお店のお薦めです」。酒屋が大橋の注文と客筋を分析し、特徴と話題性のある酒を置くことで売上の拡大を試みたのだろうか。(完全な推測です)

おどろおどろしい文字の「死神」から、無茶苦茶な超辛口ではないか、舌が痺れるのではないか想像する。それが「死神」にふさわしい味だと確信さえした。塩味の卵焼きが好きだが、塩なしの卵焼きと冷や奴を注文し、「死神」を待つ。

頭のなかの舌は超辛さに震えていた。ところが舌に感じる味はほのかな甘味。確かめるようにもう一口含む。舌先で転がし、ゆっくりと飲む。やはり甘みのある旨い酒だった。女将さんを見た、「どこが死神?」。女将さんは首を振り「さあ」。

「そぎゃんことは酒藏に聞かっしゃれ」(酒藏に聞け)と笑った老人が教えてくれた。杜氏の退職で蔵元自らが仕込み、鑑評会で金賞を受賞するまでの酒ができた。また販売も高年齢化で、蔵元自らが販売店と話し納得できた取次のみに卸していると。「死神」の名も蔵元の頑張ってきた気持や変化を起こしたい洒落だろうと。意識変革というイノベーションとマーケテイングによる顧客の絞り込みのですね、と要らぬ返事をした。「めんだなことをいっわしゃ」(くだらないことだ)とまた一蹴された。店の波に乗れないときは河岸を替えた方がいい。支払いを済ますと川向こうの伊勢宮(繫華街)に向かった。

初代三遊亭圓朝の落語に『死神』がある。うだつの上がらぬ男が橋の上で死神に会い、妙な呪文を授かることで財を成すが、欲にくらみ失敗。再び死神に会うのだが、自分の命の長さを示す蝋燭の炎を欲で消してしまう話である。

橋の上で先ほどの老人に声を掛けられ、「どげかね」とカラオケスナックに誘われた。「歌わっしゃい」とマイクを渡され、昔のフォークソングの流れから『帰ってきたヨッパライ』を歌った。奇をてらった歌にほかのテーブルからも飛び入りがあり、その男が高校時代の同級生の義理の弟だった。「義姉(あね)に電話しますわ」。落語の『死神』とは違って、『帰ってきたヨッパライ』は眩しい青春の蝋燭に出会った。

彼女には一度ラブレターを書いたことがある。ただし同級生に頼まれた下書きだ。ところが雑な男で、そのまま彼女の鞄に入れたのだ。差出人の名前はなくても、特徴ある汚い字にすぐばれた。私は卒業までとぼけ続けた。「覚えちょう、あのラブレター」「知らん」「そげなこと言わんと」「知らんものは知らん」「忘れたん」。

松江で「死神」に会うたびに考える、あのラブレターは誰に頼まれ、どんなことを書いたか。まったく思い出せない。ただ学食のカレーライス一杯の代償で書いたことは思い出した。義理の弟と飲んだ店も思いだせない。もしかすると、あの老人は甘く優しい暇な死神だったかもしれない。

死神
加茂福酒造株式会社 (邑智郡)

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