• ~旅と日々の出会い~

富士は日本一の山

 ― すれ違いに織りなされた青春 ―

ずいぶん昔のことだが、ヴィヴァルディの『四季』にハマった時期がある。名曲喫茶に通う私に同情した友が、「レコードをもって来て、俺のステレオで聴けよ」と自由に聴ける場をくれた。ただし授業の代返の条件付きで。

イ・ムジチ合奏団の『四季』を聴きながら、サントリー・ホワイトとロングピースを手に文学論など交わした。あの日もそんな気分でレコードをかけ、座り込んだ。入った瞬間、気づけばよかった。シケモクで溢れた灰皿もなく、真新しいポロシャツを着ていたことに。『四季』は夏に移ろうとしたとこで、「帰ってくれ」とぶっきらぼうに告げられた。上期のレポートを無料で代理執筆した貸もあり、理不尽さに怒鳴りアパートを出た。駅へと向かう道で女の子を見て気がついた、彼女ができたのだ。

夏が去り、秋が来た。偶然、電車の中で彼女を連れた彼に会った。彼は詫びた後、照れくさそうに言った、「出雲高校(島根)出身の彼女を紹介すると、同郷同士で親しくなる気がした」と。「男の友情が大切だ」と笑ったが、それは半分的中する。

その年の年末、帰省する東京駅の新幹線ホームで彼女に偶然会った。私は自由席、彼女は指定席。人で溢れるホームを見て、指定車両の通路に来たらと微笑んだ。東京から岡山、岡山から松江、時間はあっという間に過ぎ、相手を理解するのに十分な時間だった。一緒に上京しようと提案した彼女に、地元の酒を友への土産にする私は、出雲の日本酒をお願いした。

バレンタインデーの前、彼女のいない私に大学の友人を紹介すると、彼のアパートで飲むことになった。優柔不断な私に彼女は二人の同級生と来、五人の飲み会は紹介というよりは気さくな飲み会となった。それがまずかった。酔った天真爛漫な子が、彼女と私が一緒に帰省し、上京したことを話したのだ。やましいことはないのだが、私も彼女も彼には隠していた。彼女を残し私と女の子は追い出された。数日後、割れたレコードが赤のボールペンで書かれた『絶交』の手紙と共に届いた。彼女とも別れた彼に誤解を解くため、二度三度訪ねたのだが、会ってはくれなかった。今のように携帯電話やPCメールがあれば、もっと根気よく説明をしたかもしれないが、私も面倒臭くなった。あの夜が彼と、そして彼女との最後となった。

二十年後、出雲市駅近くの飲み屋に入った。棚に並ぶ『出雲富士』の一升瓶を見て、「山高(出雲高校)の近くにある蔵元よ」と松江駅で渡されたことを思い出す。一気に飲むコップ酒は軽やかな甘味を含んでいて、やがて爽やかなキレとなり、そして渋みとなって落ちていく。二杯目を頼んだ。夏の日の紺のスーツとネクタイ姿が異様に映ったのだろう、親父さんは注いだ一升瓶を持ったまま睨みつけていた。二杯目はゆっくり味わった。安堵する気持ちの後を柔らかな稲穂の薫りが追いかけて来て鼻腔に抜けた。学生の時、出雲富士の味も香りも分からなかった。ただ彼女が一升瓶を二本買ってきてくれた思い出だけが出雲富士の味だった。

「美味しい酒ですね」。オヤジは頷き、「何か食うか」と言った。「おまかせします」と返し、尋ねられもしないのに、出雲高校出身の友を思い出したので寄ったと告げた。「恋人なの」、隣の女性が声を掛けた。「親友の彼女でした」、「複雑そうね」。誤解による別れだとあの夜のことを話すと、「私も山高よ」と言い、「何年卒」と尋ねられた。私は丁重に断り、一杯飲んでくださいと親父に注文する。「私がその子なら、あなたを探しに大学に行くわ。そして会えるまで探すわ。それが女子師範の伝統を継ぐ山高の女よ」。親父が茶化した、「十八番(おはこ)の始まりだ」。しかし、私は深く後悔した。アルバイトに奔走するあの時代に戻れるのならば、私が彼女の大学へ行き、探して言うべきだった、「・・・」。

今回、「富士酒造」のサイトを見た。『出雲富士』は、「富士山のように愛される日本一の酒が造りたいという想いをこめて命名」したと。伯備線の車窓越しに雪を被った大山(だいせん)を見、「出雲富士って大山(だいせん・鳥取)のことだろう。出雲(島根県)の酒なのにどうしてだろう」と、弁当を食べながら話した。その二人の疑問は今年の春に解けた。

出雲富士
富士酒造合資会社 (出雲市今市町)

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