• ~旅と日々の出会い~
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思い出を訪ねて

 ― ファンであることの微かなこだわり ―

どんな世界にも熱狂的なファンや一途なファンがいる。

野球を知った子供の頃からずっと南海ホークスのファンだった私は、1988年、ダイエイへの身売りとともにホークスファンだけでなくプロ野球のファンであることも辞めた。あの深緑のラインの走るユニホームがないプロ野球に、興味をなくした。代わりにパリーグの試合会場以上にガラガラの日本サッカーリーグを応援することにした。

かつて勤めていた会社の飲み会で、プロ野球談議になるとこの話をする。野球が好きなら球団が替わってもファンであることは辞めないはずだと必ず非難された。その先鋒が大阪近鉄バッファローズファンの部下だった。その近鉄が、2004年オリックス・ブルーウェーブに合併され消滅した。他部門に異動していた彼が、どうするのか気になった。暫くオリックスか、その年に結成された楽天かで悩んでいたようだ。ある日、訪ねた彼の机の上に『報知新聞』を見つけた。「寄らば大樹の陰か」とからかった私に小声で答えた、「パリーグファンでいることが辛いからです」。「よりによって巨人はないだろう」と笑った阪神タイガースファンの部下に、野球ファンであることをやめた私も同感だった。

南海ホークスのバッチ

それから何年後、私たちの会社はグループ会社再編の煽りを受け、消滅し吸収された。彼は部ごと吸収先の部門配下とになり、仕事の内容ややり方も変わったことから会社を去った。挨拶に来た彼に「相談してくれれば」と返したが、「ありがとうございました」と何も語らなかった。彼を面接し、採用したのは私だ。斜に構えた反骨さと一途な姿勢が気に入った。組織は大きくなるために再編を繰返す。しかし、所詮は人のつながり、上司の好き嫌いという負の判断ももっている。組織の発展のために私の元を離れた彼は、次第にやりたい仕事から遠のいたのだ。

それからまた数年の年月が過ぎた。携帯電話に彼から「今夜、飲みませんか」と誘いがあった。嬉しかった。その後の仕事も気になっていた。彼の指定したスナックのカウンターに座ると、開口一番「浜田(島根県)の酒です」と一升瓶をさしだされた。「意味わかりますか」と微笑む彼に、「梨田監督だろう。梨田昌孝。大阪近鉄バファローズ、最後の監督だ。そして県立浜田高校出身」。「やはりプロ野球のファンですね」。

日本海酒造。薄暗いカウンターの上に置かれた一升瓶は、まるで日本海の深淵に思えた。ぬる燗を好む彼にはぴったりの酒だ。私は常温にする。スナックの乾き物のつまみでも十分酒の旨味を引き出した。出張のついでに寄りましたという。「大阪近鉄バファローズ、忘れられませんね」と苦笑した。随分白髪も増えた。眉間の皺も深くなった。「浜田の酒といえば、分かってもらえると思いました」と言う。残念だが、彼の求める推理は外れている。私にとって梨田昌孝は、進学校である県立浜田高校の一員として甲子園に出場し、プロ野球選手を選択した意外性だ。プロ野球ファンとはまったく異なる島根県人としての感想だ。もちろん、そんなことは口にしない。浜田高校を見、飲み屋で『環日本海』を飲みかわしながら、大阪近鉄バファローズとロッテとの川崎球場ダブルヘッダーのことで盛り上がったと、繰り返す彼の話を聞いていた。

松江に帰り、酒屋や飲み屋で『環日本海』を見ると彼を思い出す。『環日本海』のもつ渋い旨味のなかから忍び寄る辛さが、岩場に打ち寄せる日本海の波に似ている。微かな琥珀色に成熟した香りと、舌に残る渋みの鬩(せめ)ぎあいが酒を楽しくする。

彼からの賀状もなくなった。どうしたのだろうか。オリックスがたまに近鉄バファローズのユニホームを着ることがある。きっと巨人ファンであることをやめ、思い出だけとなった大阪近鉄バファローズを追いかけているのだろう。いつか、浜田で、南海ホークスと大阪近鉄バファローズの対戦話でもしたいものだ。電鉄の規模では大差で負けるが、野球では、あの頃の南海ホークスが一方的に強かった。

環日本海
日本海酒造株式会社 (浜田市)

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