• ~旅と日々の出会い~
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保温携帯ポットの燗酒

 ― 大元神楽と藁蛇 ―

ビジネス協業の『異業種交流会』と結婚の『婚活』パーティー、成約率はどちらが高いのだろうか。この頃は参加しなくなった『異業種交流会』。意義ある会もあれば、意味のない会もあった。無駄であれば途中退席すればいいのだが、立食付きの有料の会ならば元を取ろうと飲食まで粘った。その女性との出会いも異業種交流会の立食パーティーの場だった。

「島根の方ですか。それとも神楽の研究か何かをされています」と声を掛けられた。怪訝な顔を返したのだろ、彼女は私がセミナー会場で読んでいた本を口にした。島根県邑智郡周辺に古くから伝わる神楽について紹介した竹内幸夫著『大元神楽』(柏村印刷株式会社出版部)だ。

島根県の『古事記編纂1300年』記念事業を契機に出雲神話に興味をもち、介護施設に入った父を見舞うたびに実家の書棚から古代史や神話、島根の文化に係わる書籍を持ち帰っては読み漁っていた。

両親が邑智郡出身で子供の頃に大元神楽を見た彼女は、新宿にある島根の店『かば』(現在休業?)に移動しても思い出に残る邑智郡の神楽を話し続けた。「境内にビニールシートを張って小屋をつくるのですよ」「神楽はね。近くで見るのが一番です」「いつものオジサンが憑依する瞬間がたまりません」。神楽についての知識のない私には、神楽を生活のなかで話す彼女の話は新鮮だった。

「島根のお酒が飲みたい」と店を選んだのだが、邑智郡の酒は置いてなかった。私の薦める出雲地方の酒を飲みながら出雲神話の概要を聞いた彼女は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に興味を示し、次は邑智郡のお酒を飲みながら話しましょうと約束して別れた。

大元神楽の主役である藁蛇は、土地の人が精魂込めて編みあげ、長さは7尋半ある(1尋は約1.5mから1.8m。7尋半は11.3mから13.5m)。神歌にあわせ神官の手によって藁蛇は大きく揺さぶられ、クライマックスは荒れ狂う蛇となる。やがて神木に巻き付かれて終わる。

彼女から再び電話があったのは街路樹の葉がすこし色付く穏やかな季節だった。昼間の新宿駅南口で会った彼女は、喫茶店ではなく線路沿いのベンチをすすめた。「どうしても飲んでもらいたくて」と言うと黒い携帯用のポットを開けた。鋭利な燗酒の香りが湯気とともにやってきた。「邑智郡のお酒です。燗にした方が美味しいから」。コーヒーでもすすめるかのようにコップ用の蓋に注いだ。

山手線か総武線の電車の駆け抜けていく金属音がした。風が新宿の埃と喧騒を運んだ。昼を少し過ぎた時間帯、ランチ帰りのサラリーマンやOLがちらっと見て行く。

舌の上で転がして噛みしめた。喉元を過ぎると豊かな香りがこみ上げた。燗独特の包み込むような味がする。

「美味しいよ」「そうでしょう」「どうしても燗酒で飲んでほしかった」。彼女にもすすめたが、「お腹をなでながら、ちょっと」と頬を染めた。邑智郡の『玉櫻』。「桜の咲くころには、玉のようや赤ちゃんが生まれるの」と微笑んだ顔は、webデザイナーですと名刺を差し出したあの日の顔に、もうひとつの顔、新たな生命を宿した自信と優しさに満ちた輝きがあった。

「いつか、邑智郡を訪ねてください」と紙袋に入れた酒『玉櫻』を渡された。ひとりで飲むのがもったいなく、知り合いの事務所で封を切った。薬缶で温めてガラスコップ注ぐ。携帯ポットの蓋では気が付かなかったが、コップは琥珀色に染まった。一口飲むと事務所の社長は豆腐を買いに行き、湯豆腐を作った。焼き鳥もいいが酒の味を楽しもうという。円やかだが深みのある味を、薬味のない醤油味の木綿豆腐が引き立ててくれた。

丹精込めて編んだ藁蛇と同じで、やがて酒はすきっ腹の中で暴れ出す。鯖の水煮を温めて肴にすると身体も心も穏やかな酔いに包まれた。それは山間部の朝露のように清々しい酔いだった

玉櫻には、お茶の色をしたカップ酒の『悠燗々』があります。日比谷シャンテの『島根館』で手に入れることができますので是非、燗でお試しください。

玉櫻
玉櫻酒造有限会社 (邑智郡)

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